74 おてんば姫と竜丁
ヴィレムは帝都に着くなり手際よく連絡を済ませ、城に向かっていた。
皇帝たちはルフィナを、その性格ゆえに外に出したくなかったのか、他の領地などに赴かせることはほとんどなかった。だから籠の中の鳥は、いつだって城にいるそうだ。彼女はそれゆえに退屈しているのだが、表立って文句を言うこともなかったようである。
そういうわけですぐに会ってくれることになったのだが、彼女たっての希望で、竜が引く車にヴィレムとクレセンシアは乗っていた。
ここ帝国では竜が車を引くことなど滅多になく――そもそも竜の繁殖に成功したのはシャレット領くらいのものなので、使っている国といっても儀式の用途がほとんどなのだが――城に向かっていく竜には視線が集まっていた。
ヴィレムならばそんな状況に陥れば困った顔をするのだろうが、現在、竜の手綱を引いているのはヘイスだ。彼は向けられる視線の元に若い女性を見つけると手を振ってみたり、興味を持ったらしい子供がいれば、竜に合図を出して尾を振らせたり、状況を完全に楽しんでいる有様だった。
門をくぐり場内に入っても、針のむしろなのは変わらなかった。兵たちも竜が暴れないかとびくびくしているのだ。そしてヴィレムもなにか問題が起きやしないかと不安に思うのだった。
やがて広場に辿り着くと、ルフィナと侍女たちが出迎えてくれ、ヴィレムはすぐに馬車から降りる。
「ヴィレム様、クレセンシアさん。よく来てくださいました」
優雅に頭を下げる彼女は、いかにも皇族と見える。この帝国を武力で作り上げてきた昔ながらの気風さえ感じられるのは、帝国の民族衣装を纏っているせいか。
「こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます」
ヴィレムが頭を下げると、いつの間にか隣にヘイスがやってきていた。
「かねがね噂は聞いておりましたが、まさかこれほどお美しい女性がいるとは思ってもおりませんでした」
ヴィレムよりよほど社交的な態度で、ヘイスがルフィナの前に跪く。
確かにルフィナは美しい容貌をしているし、今は色とりどりの布を組み合わせた華やかな衣装を身につけており、仕草だって姫君のものだ。けれど実際、このお姫様がそんなおしとやかな人物かと言えば、まったく異なるだろう。
だからお気に召す言葉かどうかもわからない。そもそも、いきなり主人と相手の会話に入り込むこと自体がどうかしている。
ヴィレムは不満たっぷりにヘイスを睨んだ。
「あら、そのようなことをおっしゃってくださるのは、異国の方だけですよ。このお城に住んでおられる方々は、なんというじゃじゃ馬かとお笑いになっていますから」
「それは嫉妬でございましょう。迂闊に近づけば蹴り飛ばされ卒倒してしまうほどの魅力を備えているということにほかなりません」
隣のヘイスを見て、よく回る口だ、とヴィレムは思った。
しかし、ルーデンス領ではむしろルーデンス魔導伯こそ、そのように思われていたかもしれない。いつもクレセンシアを褒め称える言葉が尽きることはなかったから。
なんにせよ、ルフィナはヘイスを嫌がっている素振りを見せなかったので、ヴィレムはほっとしていた。もしかすると、皇帝の娘という立場ゆえに、お世辞を言われたり気を遣われたりすることが多かったのかもしれない。
これほど本気で賛辞を送る人物はいやしないだろう。いや、ルフィナ相手でなくとも、初対面でこうする男自体があまりいないはず。
立ち話もなんなので、と屋敷へと促されると、ヘイスは竜のところに行って、車を引かせ始めた。
「それにしても……竜とはこのように言うことを聞くものなのですね」
「ええ。知能が高く、言葉も簡単なものなら理解してくれますよ」
ルフィナは竜を見たことがなかったらしく、興味津々だ。
ヴィレムはレムの知識を用いて飼育に成功しているが、他国で簡単に行えるかと言われれば、少々難しいものがある。
なにしろ、竜は子供の時点で非常に力が強く、しつけをするにも常人には難しいからだ。魔術師が多いルーデンス領では、竜に蹴飛ばされたところで死ぬ者などいやしないが、そうでもなければ命がけになる。
そんなルフィナの視線を受けて、ヘイスがおどけてみせる。
「頼めばなんだってやってくれますよ。ほら、このように」
彼が言うなり、竜は後ろ足で立ち上がり、あたかも手を振るように前足を動かしてみせる。
「まあ、とても可愛らしいのですね!」
ルフィナはすっかり竜の動きに夢中である。一方でヴィレムは眉を曲げていた。
「曲芸を仕込むより、やることがあるんじゃないか?」
「ルフィナ様が喜んでくださる以上のことがあるのですか、ルーデンス魔導伯」
真摯な態度のヘイスにヴィレムは、こいつを連れてきたのは間違いだった、と思うことしきり。
しかしこうなってしまった以上は、ルフィナが満足するまで竜にも頑張ってもらうしかあるまい。
しまいには、ヘイスはルフィナを竜に乗せる有様だ。彼女が希望したこととはいえ、なにかあったら、と思うとはらはらする。
「ヴィレム様、よいではありませんか。ルフィナさん、楽しそうです」
クレセンシアが彼女を見ながら頬を緩めた。
そしてヴィレムもなにかあれば助けられるようにしつつ、できうることをしてあげようと思う。きっと、誰もが彼女を腫れ物のように扱ってきたのだろうから、今ばかりは。
ルフィナはやがて一人でも竜に乗れるように、ヘイスに教えを請う。
やんちゃな姫君であるが、ヴィレムはなるほどと思う。出迎えに来たはずなのに、もはやヴィレムなどほったらかしなのだから。
手綱を引くルフィナと、竜と併走しながら彼女の面倒を見るヘイス。侍女たちはいつものことなので慣れているかと思いきや、慌てていることから、やはり困っているようだ。
そうして眺めていたヴィレムだが、ふと視線を感じてそちらを見ると、窓から様子を窺っている初老の男性と若い青年の姿があった。
慌てて姿勢を正したヴィレムだが、次の瞬間には二人はもういなくなっていた。
それからしばらくルフィナに付き合った後、疲れ切ったヘイスが戻ってくると、ヴィレムは懲りたかと目で尋ねる。返ってきたのは、とてもいい笑顔だった。
◇
「先ほどは失礼いたしました」
と述べるのはルフィナ・デュフォーだ。さすがにあの状況は悪かったと思っているのだろう。
すかさずヘイスが彼女に返答する。
「いえ、気にしておりません」
「おいヘイス。今のはお前に言ったものじゃないぞ。というかなんなんだよ、さっきから」
「ルーデンス魔導伯のお気持ちを代弁しているだけです」
「俺には手も口も、あるんだから、そんなの必要ないよ」
ヴィレムが肩をすくめると、クレセンシアが笑う。
「ですが、尻尾はありませんよ。素直になれないヴィレム様には、勝手に気持ちを伝えてくれる方法があってもよろしいのではありませんか?」
「そんなものがあったら、俺は君の前では四六時中愛を囁かねばならないじゃないか。舌がもつれてしまうよ」
ヴィレムの返しにクレセンシアは顔を赤らめながら喜びを体現するように尻尾を振る。いつものやりとりなのだが、ルフィナには新鮮だったらしい。
「皆さんは仲がよろしいのですね。きっと、ルーデンス領は賑やかなのでしょう」
笑う彼女に、すかさずヘイスが同意する。
領主としての威厳はどこに行ってしまったのだろうと思うヴィレムだった。
それから少し、他愛もない話をした。帝国領では最近、派手なファッションが流行っているとか、おいしい料理が民衆の間で広まっているとか。そして戦争で領地が拡大したことにより、南の特産品も入って来やすくなったそうだ。
「お土産を持ってきたのですよ。手荒れなどにお使いください」
と、ヴィレムが差し出したのは、聖域の植物から抽出した薬だ。最近はヴィレムだけでなくクリフも開発に携わっていたりするため、新しい品が出回るのも早い。
「ありがとう。なにかお礼をしなくてはいけませんね」
「いえ、お気になさらないでください」
「そういうわけにはいきません。……ヴィレム様は、なにか用事があって来たのでしょう?」
どうやら、ルフィナにはある程度予想されていたようだ。なかなかに聡い相手だと思いつつ、ヴィレムは頷く。
「ええ。国境で魔物が多く出現するようになったため、そこでの活動を認めていただけないものかと思いまして」
「その程度なら、わざわざ許可を取る必要はないのではありませんか?」
「ルフィナ様にとってはお優しい父上かもしれませんが、私たちにとっては強大な帝国の統治者ですから。敬意を払わないわけにはいかないのです」
「そういうことでしたら、兄上に話をしておきましょう。おそらく、父上にまで上げることではありませんから」
あっという間に話が進んでしまった。
ヴィレムは予想外にうまくいったことに驚きを隠せずにいる。ルフィナが「ところでヴィレム様」と続けたので、やはりなにかあるのかと思いきや、
「あの……その、ドラゴンをいただけたりはしませんか? あ、食べたりはしませんよ! 大事に育てますから!」
慌てて両手を振るルフィナ。どうやらよく馬に乗っているそうだが、それよりよほど気に入ったらしい。確かに、力強さで言えばものの比ではない。
「もちろん、ルフィナ様の願いですから、できることなら差し上げたいと思います。ですが、竜を輸出するとなれば、いろいろと手続きも必要でしょう」
とてもヴィレムの一存で決めるわけにはいかないということだ。そもそも、ヴィレムは国王ですらなく、一領主に過ぎないのだから。
ルフィナはようやく現実に戻ってきたようだが、諦めてはいないらしく、まだまだ張り切っていた。
そうしてルフィナのおかげでヴィレムはここでの役割を果たせそうになり、その日はすんなりと引き下がって城下の屋敷に泊まることにした。
そして数日後、ヴィレムには連絡が来ることになる。
喜び勇んで封を開けた彼の目に飛び込んできたのは、皇帝に謁見するという内容だった。