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70 彼の姫君は


 人型の化け物が諸侯の一人を切り付け、離れた腕が宙を舞った段になって、衛兵が広場に雪崩れ込んできた。彼らは敵を取り囲み、剣や槍で応戦する。


 そしてヴィレムはその状況を見つつ、先の諸侯のところへと駆け寄っていく。と、目の前に立ちはだかる一体。


 兵の守りを強引に突破してきた相手だ。ヴィレムを見下ろすと、すさまじい勢いで刃と化した片腕を振り下ろす。


 ヴィレムは大きく踏み込んで敵の懐に入ると、大きく蹴りを放って相手の足を払う。するとクレセンシアが倒れた相手に炎の魔術を用いて焼き払った。


 そして先ほど倒れて呻く諸侯の元に辿り着くと、切り離された腕を手に取り、傷口に押し当てる。


「な、なにを……」

「じっとしていてくださいね」


 幾何模様が切断口に触れるや否や、出血はたちどころに止まり、感覚が戻ってくる。その男はこの夢のような魔術に驚き呆れるしかなかった。この時代ではこれほどの魔術師はそうそういない。


 そうしている間にも兵は次々となぎ倒されていく。クレセンシアは怯える兵の剣をさっと奪うと、一気に近づいてくる敵目がけて飛び込んだ。敵の足を切り、腕を断ち、頭を刎ねる。


 流れるような動作に、兵たちは状況も忘れて見入った。戦場に立って、彼女の美しさは一層際立っていた。


 そうして諸侯に恩を売っていたヴィレムだが、次にイライアスのところに敵がいるのを見て取ると、土の魔術で足を止め、接近するなり剣で一太刀の元に屠った。


「父上、ご無事ですか!」

「問題ない。ヴォロト辺境伯を助けた手腕、見事だった。だがそれより……」


 イライアスの視線の先では、第二王子ペールが、ライマーが率いる兵によって守られている姿がある。


 ヴィレムはふと、妙な違和感を覚えた。


 二人があれほど早く混乱から立ち直ることができたのはなぜだろうか。

 もちろん、ライマーが王子の護衛をなによりも優先させた可能性はある。しかし、兵たちまでそうはいかないだろう。よほど指導者としての素質があるのか、それとも……。


 悠長なことを考えていたヴィレムだが、見ているとライマーはペール以外に興味を示していないのが明らかだった。


 それゆえ彼の婚約者、ルフィナ・デュフォーは化け物に取り囲まれている。

 彼女はそれでも凛とした佇まいを崩すことはなく、敵を見据えていた。それは根拠のない自信から来るものではない。


 化け物が腕を振ると、ルフィナはすっと一歩分だけ下がり、攻撃を回避する。それを皮切りに周りの敵が一斉に動き出した。 


 途端、彼女の体から幾何模様が放たれる。それらは彼女の足元に広がり、土の壁を生み出さんとする。


 ヴィレムはそれを見て思わず目を見開いた。

 魔術だ。それもレムの時代に使われていたもの。やはりあの時代の魔術をどこからか仕入れた者がいる。


 そうしてルフィナは敵の攻撃を遮らんとしていたが、次の瞬間にはすべての幾何模様が砕け散った。彼女の顔が初めて驚き一緒に染まった。


 見てから解除の魔術を用いるには、あまりにも早すぎる。かといって、解除の魔術と同様の性質を持つ魔術的道具を用いた風でもない。


 敵の対応にルフィナは次の策を講じるのが遅れた。そしてもうすぐそこまで刃は迫っている。剣を持たない彼女には受け止める術などなかった。


 刃が豪奢な帝国のドレスに迫る。が、それが赤く染まることはなかった。

 ルフィナは抱きかかえられ、宙に舞い上がっていた。もちろん、それを行っているのは王子ではなく、しがない貴族の末っ子である。


 帝国の者を助ける義理も、王国の未来のために軋轢がなくなるよう努力する義務も、彼は持ち合わせてはいない。けれど、父イライアスを困らせる火種は取り除かねばならないと固く決めていた。


「ルフィナ様、僭越ながら、助力せんと参りました。非常時ゆえこのような無礼をお許しください」


 見様によっては人の婚約者をかっさらっているとも取れる行いに、ルフィナはくすりと笑った。


「お助けいただき、ありがとうございます。このまま逃避行をなさいますか?」

「お戯れを。このような田舎者、相応しくありません。なにより、そのようなことをしては、我が妻に申し訳が立ちません」


 ヴィレムが言うと、ルフィナはわざとらしく、がっかりという表情を作ってみせた。おてんば娘という話は聞いていたが、男を困らせるのも中々に得意の様子。


「ヴィレム様、ご無事ですか!」


 空中の二人を追わんとしていた敵を、土の魔術で生み出した槍でしたたかに打ちつけていたクレセンシアが叫ぶ。


 彼女が心配するのはルフィナではなくヴィレムだ。

 地位も身分も関係ない。ただ、敬愛する彼を思うと出た言葉だった。


「可愛らしい人ね」

「世界一の女性と思っております」


 ヴィレムは謙遜せずに言い切った。これもある意味、お前は彼女に劣っていると言ったようなものなのだから、無礼に当たらないこともない。けれどルフィナはやはり楽しげである。


 そうして着地すると、彼女はヴィレムに告げる。


「あなたの力を見せてくださりませんか?」


 その申し出の意味はよくわからなかったが、ヴィレムはこの場の敵をすべてさっさと片付けろ、という意味に取った。


「はっ。ご期待に沿えるよう、全力を尽くす所存でございます」


 ヴィレムは言うなり、幾何模様を無数に生み出した。広場一帯を埋め尽くすそれは、地面に埋まっては土の魔術となり敵の足を止め、敵の体に纏わりついては力の魔術となって移動を阻害する。


 そして、いくつかは風刃の魔術となった。

 鋭い刃が僅かな遅れもなく同時に放たれる。


 たった一瞬で、化け物は無数の細切れへと変わっていった。

 彼はなにも難しい魔術を用いたわけではない。この時代の魔術師たちが持つ知識でできなくもないようなことだ。


 一つ一つの技術を磨き、正確に制御する。たったそれだけのことだからこそ難しく真似できないものであり、強力なのであった。


 あっと言う間に鎮静化した舞台に、者どもはなにも言えなかった。

 あれほど苦戦していた相手が一瞬で死したのだ。なにか仕掛けがあるに違いないと粗を探す者だって出てくるだろう。だが、ほんの少しでも魔法をかじったものであれば、ヴィレムが非常に単純なことしかしていないことに気が付いたはずだ。


 ヴィレムが端から魔術を用いようとしなかったのは、後ろ盾も無しにこの場で力を見せることは、自身の不利につながると感じていたからだ。だからルフィナの命で行ったという名目は、非常に強力なものとなる。もっとも、ここノールズ王国でそれがどれだけ意味を持つのかはわからないが。


 そうして誰もが動けずにいる中、クレセンシアだけがぱたぱたと駆け寄ってくる。


「お見事です。さすがはルーデンス魔導伯ですね」

「残してきた魔術師たちが、胸を張れるような存在でなければならないからね。それに今は父上も見ているから」


 ヴィレムがなにより気にしていたのは、王でも王子でも姫でもなく、父の存在だった。結局のところ、数多の諸侯を打ち倒し領地を広げてきた強大なる魔術師は、父の前では末っ子にすぎないのだ。


 そんな父はどう見ているのだろうか。

 ヴィレムは気になってそちらを見ると、呆然としているようだった。強すぎる力はどこでも受け入れがたいのかもしれない。


 そう寂しく思ったヴィレムだったが、イライアスは駆け寄ってくると微笑んだ。


「ルフィナ皇女殿下、ご無事で何よりです」

「ありがとう。ええと……」

「イライアス・シャレットと申します。こちらは我が息子でございます」


 イライアスはそう言って、ヴィレムを紹介した。ルーデンス魔導伯ではなく、ヴィレム・シャレットとして。


「……ヴィレム。強くなったな。驚いたぞ」

「ありがとうございます。これも父上が見守ってくださっていたからです」


 ここに来てずっと不満ばかりを募らせてきたヴィレムであったが、今は腹の底の炎が少しだけ穏やかだった。


 それから諸侯たちはようやく動き出す。そして第二王子の無事を確認し始めるのだが、ライマーがそこで声を上げた。


「いったいこれはどういうことだ。誰が侵入を許したというのだ。そしてあのような魔術。端から仕組んだことではないのか?」


 彼は唯一、第二王子を護衛したということで、強気に出ていた。それは諸侯たちという確かな地位を与えられた者に対する嫉妬も含まれていたのかもしれない。


 そう言われると、そんな気がしてしまうものだ。そして折り悪くルーデンス領での動乱が伝わってくると、彼らはふと思い出す。


「聖域で化け物を倒していたとか。これが彼の実験だというのも否定できないでしょう」


 誰かがそんな言葉を言った。噂話であったが、現実味を帯びてきたのは確かだった。


 そも、実験でこんな七面倒な手順を踏む必要はない。なにより、ヴィレムが王城に来たのはこれが二度目だ。となれば、城で罠をしかけるのは非常に難しい。誰でもあっさり出入りできるほど警備は疎かである、と認めたも同然なのだが、それを表立って追及する者もいなかった。


 とりあえず第二王子についておいたほうがよい。それが彼らにとっての真実だったから。


 ヴィレムは改めてこの国の状況を思い直す。そも、こんな貴族たちがいるからこそ、彼は王城での言及を受けたのだと。


「貴公ら。いくらなんでも失礼ではあるまいか。我々は命を救われた立場であるぞ」


 思わぬところから言葉が飛んできて、ヴィレムは目を丸くした。悪名高いルーデンス魔導伯を擁護するものがいるなんて。


 見れば、それは先ほどヴィレムが助けた諸侯ヴォロト・ヴィルタである。ヴィルタ領は西の端にあるため、独立した権限が非常に強い。西国との紛争の矢面に立っているため、武力もしかと保持していた。


 皆が皆、こびへつらうだけで生き延びてきたわけではないのかもしれない。そんなことを思ったヴィレムだ。


 ライマーはなにかを言いたげであったが、第二王子へと呆れた視線を向けるルフィナの姿を見つけると、押し黙るしかなかった。ヴィレムがいなければ、彼女は死んでいたはずだから。そうなれば外交問題に発展せずにはいられない。


 そうして緊迫した状況に陥りかけたが、もともとここはめでたい場であり、襲撃に遭ったせいで腰が抜けてしまったものも多いため、とりあえずは事態の収拾がつくまでは、安全の確保に努めることで結論が出た。


「ヴィレム・シャレット様。先ほどはありがとうございました。改めて礼を申し上げます」


 ルフィナが頭を下げると、ヴィレムはなんとか返すので精一杯だった。彼をヴィレムと呼ぶ者は、今となっては数少ない。加えて彼はクレセンシア以外の女性と話をする機会はほとんどなかったのである。


「あのような方法しかなく、申し訳ありません」

「見事な魔術でした。とても楽しい時間になりました。では、ようやく兵隊さんがやってきたので私は参りますね」


 ルフィナはヴィレムとの時間を楽しいといい、ノールズ王国の兵がようやくやってきたという。そこにはこの国への不満が見え隠れしていた。なにが楽しかったのかはわからねど、ともかく敵には回さないほうがよさそうだ、などとヴィレムは思っていた。


 ルフィナは兵のところに行くまでの間、幾何模様を出しては消してを繰り返していた。

 彼女は確かに魔術と言った。それが意味するところは、単に歴史にかぶれているわけではなかろう。


「ヴィレム様。いったいなにを話していたのですか?」


 席を外していたクレセンシアがやってくるとそんなことを言う。二人の間になにかがあったことくらいは気付いていたのだろう。


「ただ礼を言われただけさ。……ああ、それと」


 ヴィレムは改めて真正面からクレセンシアを見る。戦いがあったため、少々ドレスは乱れているが、そんな瑕疵すらも魅力に買えてしまう美しい姿。


 あまりにも熱心に見つめられるものだから、クレセンシアは顔を赤らめ、目を逸らしたくなった。でも、ヴィレムの気持ちから顔を背けることもできずに、そのままクレセンシアは熱に浮かされる。


「俺には可愛い可愛い、世界一の人がいると、そう言ったんだ」


 告げられた言葉にクレセンシアはますます赤くなるしかなかった。どうやって答えればよいのかもわからずに、いつもなら尻尾を振って誤魔化すところだが、今はすっかりドレスの中に隠れてしまっている。


 彼女は戸惑いがちに手を伸ばす。そしてヴィレムは迷うことなくその手を取った。


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