66 おてんば姫
デュフォー帝国の首都には他国で類を見ないほど巨大な城が存在している。
武力で他を圧倒してきた力の象徴とも言えるその城の中では、宮廷貴族たちが生活していた。
ここデュフォー帝国では皇帝の権限が強く、政務はすべて中央から派遣された者が行うことになっていた。
それゆえに帝国の統治下に存在している各国の権限などあってないようなものであるが、不満を抱く者は長きにわたる統治でいなくなっていた。戦いに勝ち続けてきたからこそ、今の盤石な地位があるのだ。
だからこそ武力を重視する傾向が非常に強い国だが、一方で貴族たちは城での暮らしが長いため優雅な文化も育まれてきていた。
ある館の庭では、そんな帝国の文化に似つかわしい、剣を振る音が響いていた。
風を切る音は心地いいほど一定のリズムを刻んでいる。だが、それを行っているのは武人ではない。もっといえば、優雅にドレスを纏い踊っているのが似合うような女性であった。
第四皇女ルフィナ・デュフォーであるが、彼女の傍に近寄る従者の姿はない。
そんな彼女は初代皇帝とその一族が纏っていたという民族衣装を纏っている。伝統もあり公的な場にも着ていけるものだが、今ではあまり好まれていない。
というのも、当時はまだ華やかな文化が形成されておらず争いが続いていたため、女性でも戦えるように動きやすさを重視したものだからだ。怪我をしたときに巻けるよういくつもの布を巻き付けたようなものであるが、それぞれの異なる色が重なりあうことで絶妙な美しさを醸し出している。
現代でも女性でも強く気高くあらんとする気風は残っているが、それは精神的な面におけるものであり、実際に剣を取って戦う者はいない。
だからこのように剣を振る女性を城内で見かけることはない。それに加えて、ルフィナはもっと特殊な性格をしていた。
剣を振る腕は細く、華奢である。それでいながら鉄剣を軽々と振るのだから、まるでおもちゃの剣のようにも見えてしまう。
だが、それはルフィナが身体強化の魔術を用いているからにすぎない。彼女は武術のみならず魔術にも興味を示していた。
彼女は詩や史書にも造詣が深く、歌も一人前に上手いとされていた。しかし、他の女性たちのように科を作るのが得意ではなく、思ったことを率直に口にしてしまうような女性であった。
だからあまり貴族の男性には受けがよくない。しかし本人は気にした風でもなく、こうして剣を振っていたり、書物を読んで得た知識で魔法を使ってみたりしている。いわば変わり種、悪く言えば跳ね返り娘なのだった。
そうした理由でまともな相手とは結婚させられまい、と半ば諦められていた姫君なのだが、ノールズ王国第二王子との婚約に至ったのは、ちょっとしたわけがある。
「……兄様。いつから見ていらしたの?」
ルフィナは視線を屋敷のほうへと向けた。
そこに立っているのは、デュフォー帝国第三皇子アスター・デュフォーである。
「たった今着たところさ」
「嘘ばかり。所詮女の剣だ、と陰で笑っていたのでしょう?」
「そんなことはない。私はその素質を見出したからこそ、魔術を教えたんだ」
「そして面倒なことになったから、王国に送り出すことにしたのですね」
微笑しつつ言う姿は気品が感じられるが、言ってるところは単なる当て付けである。
アスターはじゃじゃ馬娘に困った風でもなく、いつものようにたしなめる。
「君を気に入って、ぜひ殿下の妻にと言ってくれる方がいたんだ。敵国の姫君である君を。人に嫌われるのは容易いが、好かれるのはひどく難しい。それをたった一目でそうさせたのだから、誇るべきことだ」
「その殿方はよほど女性がお好きな方なのでしょうね。けれど兄様よりは見る目があるわ」
ルフィナは剣を鞘に納め、手の甲で額を拭った。汗ばんでいる姿さえ色気があって見えるが、言い寄ろうものなら携えた剣で鼻先をぴしゃりとやられるだろう。
そんな彼女といえども、この兄アスターには敬意を払っていた。彼は魔術の才能があり、ルフィナにも教えてきたのだ。
「王国に行っても元気でやれよ」
「あら……それでは兄様が困るのではありません? 私を推したのは兄様なのですから」
「構わんさ。なんせ陛下は今、南方との戦争で忙しいからね」
それは暗に、王国に興味などないということを意味しているのだが、そんなことは二人ともわかっているため、とやかく言うこともなかった。
「お嬢様。そろそろお時間でございます」
侍女が呼びに来ると、ルフィナは快諾してそちらに向かう。
「兄様、いずれまたお会いしましょう」
優雅に礼をするルフィナの姿を、アスターは微笑みを携えながらいつまでも眺めていた。
◇
ヴィレム・シャレットはルーデンス領からやってきたクリフの報告を聞いていた。
「……というわけです。今後の調査に関してはいかがいたしましょうか?」
「わかってはいると思うが、俺はなにも関与していないよ。だから誰かが意図的に仕掛けた可能性が高い」
ルーデンス魔導伯が魔術師を育成しているのはもはや広く知られていることだが、それが薬によるものだと知らせることの意味はなんであろうか。
ヴィレムの隣で話を聞いていたクレセンシアが狐耳を立てる。
「たしか、街でもヴィレム様の噂をさせられていた者がいましたよね。こちらは同一の者と見ていいのでしょうか?」
ルーデンス魔導伯が恐ろしい魔術を開発しているという噂だが、それと薬による魔術師への変化を結びつけると、悪逆非道の方法で人体実験を行っているということになる。政敵の悪評を広めることはよく行われることだが、少々それには度が過ぎているように思われる。もちろん、これらの関連性をうかがわせる証拠はない。
「この前に俺が呑まされたワインだけど……あれはなんてことはない、ただの高級ワインだったよ。毒物の検査を行った後に、慣れた者に飲ませたところ、グラフトン領で作られているものだとか」
「グラフトンと言いますと、王に近しい諸侯ですね」
「ああ。王の側近のパーシヴァル・グラフトンはよく助言していることでも有名だ。けれど、だからといって彼がなにかをした、と言い切れるわけじゃないよ。
王に頼まれているなら、わざわざ自分の領地から取り寄せるなんてことをして、自分の領地を肥やそうと見られることは避けるだろうし。毒を入れるならもちろん、自分のとこのものを使いやしない。
けど今回はそうでもないから、ほかの誰かがやったことだとしても、なんらかの理由があってパーシヴァルがやったことだとしても、そこに敵意がなかった、という以上のことはなんにもわからなかったのさ」
王に敵意がない可能性は高いが、結局のところ、誰がなんの目的でやっていることなのかはわからない。
「こんな状況だから、さっさと領地に戻ってしまいたいところなんだけど……」
クレセンシアが机の上に置かれた書状に視線を向ける。
「そういうわけにはいきませんよね。ペール殿下の御婚約が決まったようで、出席するよう通達が来ておりますから」
「まったく、面倒くさいことだ。結局のところ、俺に来てほしいんじゃなく、俺が祝いの品を持ってくるのを期待しているだけなのに。それなら金だけ出してしまえばいいではないか」
「そうおっしゃらないでくださいな。ここで急遽領地に引き返してしまえば、なにかやましいことがあるのではないかと付け込まれる隙になりましょう」
ヴィレムは嘆息する。そしてこれまで話を聞いていたクリフへと視線を向けた。
「というわけだ。八方ふさがりなんだよ。おそらくルーデンス領内で薬は広まっていないしそんな輩もいないだろうけれど、念のため警戒しておいてくれ。俺はここだと連絡が遅くなるから、だいたいのことはオットーに相談してくれてもいいし、ある程度は独断で行ってもいい」
「承知いたしました。領内のことは我々にお任せください。どうかヴィレム様もお気をつけて」
クリフはきちっとした礼をする。
彼は比較的厳格な性格だが、物事を柔軟に判断することもできるため、ヴィレムとしては非常に助かっていた。特に魔術関連のことはなにかと教えてきたため、今では部下から上がってくるそちらの相談事を任せることもできている。
それゆえにヴィレム自身がいなくとも、領地内のことはオットーやクリフだけでなんとか回すことができるし、魔物や敵の調査となればディートやヘイスもいる。
そうして多くの役割がなくなったはずのヴィレムだが、その分、領地の顔としてあちこちに出向くことが増えつつある。
厄介なことだと思わずにはいられないが、こうした戦いから逃げていたからこそ、魔術師レムの挑戦は最後に失敗に終わってしまったのだ。気を抜いてなどいられない。
「ああ、そうだ。金品の類をこちらに輸送してくれるよう、オットーに伝えておいてくれ」
クリフは承知するなり、ルーデンス領へと戻っていく。
「少しくらい休んでいけばいいものを」
「それがクリフさんのよいところではありませんか」
ヴィレムはきっちり仕事をしようとするクリフの休日の過ごし方を思い出す。友人であるトゥッカとの付き合いにおいても、きっちりやり遂げようとしていたところは変わらない。
そんな彼が今後もやっていける環境を作らねばならない、とヴィレムは思うのだった。