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65 売人


 アバネシー領南方の都市は、交易の活性化に伴って発展を遂げてきたため、目立った貧民街はなくなっていた。しかし、それでも人々があまり行かない地域は存在している。


 薄汚れた街路を歩いていくのはディートとクリフだ。二人は普段のローブではなく襤褸切れを纏っている。


 ディートが残飯に群がる豚を蹴飛ばしたり、寝転がっている男をよけたりしながらすいすいと進んでいくのに対し、クリフは上手く歩けずに泥を踏みつけて慌てて足を上げたり、うっかり壁に手を触れて崩してしまったりしている。


「……慣れてるんだな?」

「そりゃな。どこの都市だって、貧しい地域はこんなもんだ」

「俺だって、貧民街の出身なんだ、それくらいは知ってるさ」

「いいや。シャレット領は死体も転がっていないし、綺麗なところさ」


 そう言われると、クリフには返す言葉もない。

 平気で歩いていくディートを見ていると、自分だけがすっかり貧しかった生活を忘れてしまったような錯覚に陥る。


 実際、魔術師としての自覚が強くなる一方、過去を振り返らない者も増えてきていた。当然思い出したいものではないから、自然な傾向ではある。加えて、ルーデンス領は産業構造が変化したことで失業率がぐんと下がっただけでなく大幅に人口が増加したこともあって、貧しさには目が行きにくくなっていた。だが、こうして貧しい者たちがいるのも事実。


 改めて過去と現在の差を思い知らされた心持ちになっていたクリフであったが、ディートがさっさと進んでしまうため、慌てて後を追った。


「場所はわかってるのか?」

「前に地図を見ただろう?」

「そうなんだが、ここは入り組んでるからさ」


 そういうクリフに対して、ディートは天を指さした。


「迷ったらあれを頼ればいい」


 今は日が暮れつつあるため、影で方角がわかるのだ。しかし、野生児でもあるまいし、そんなことで正確な場所がわかるのかと言われたら疑問である。


 が、ディートはそうして目的地についてしまったので、クリフもなにも言えなくなった。

 まだ時間が少々早いため、酒場には客がほとんど来ていない。それゆえに客を見張るにはちょうどいい。


「俺が先に見張る」


 言うなりディートは近くにある廃材をさっと組み合わせて小屋状にし、その中に入り込んだ。そうなるとどこをどう見ても、路上で生活している者にしか見えない。


 ましてディートは剣を持ってきておらず、立ち居振る舞いも昔の生活ですっかり体に染みついたものに戻っている。


 だからクリフはなにも言わず、離れたところに身を潜めた。正直なところ、ディートに任せたほうが上手くいくと判断したのである。


 それからしばらく潜んでいると、酒場に出入りする者が増えてくる。

 ディートはその中に聞いていた風貌の男を見つけた。合図を出すとクリフがすかさずやってきて、今にも飛び出さんとしているディートを上から下まで眺める。


「その身なりで行くつもりか?」

「……問題が?」

「匂うだろう? さっきまで寝転んでいたのだから」


 クリフは懐から水の入った小瓶を取り出すと、毒の魔術を用いてからディートの頭に振りかけた。顔をしかめるディートだが、衣服を何度かぱたぱたと振りつつ臭いが落ちていることを確認する。


 便利なものだと思ったが、言えばクリフに笑われるような気がして、ディートはむすっとした顔のまま酒場へと足を踏み入れた。


 中に入ると、先ほどまでディートが見ていた男は見当たらなかった。

 とりあえず席に腰かけて酒を頼みつつ、クリフは気付かれないように風読みの魔術を発動させた。


 付近の音をことごとく拾っていき、やがてあの男の声が聞こえてきた。

 クリフがディートに合図を出すと、二人して一気に酒場の奥へと飛び込んでいく。


「あんたら! 待ちな!」


 店主による静止の声が上がるも、二人は構わず扉を開けて奥へ。そして地下に続く階段を下り、扉を開けたそこには数名の男たちがいた。


 ディートは素早く踏み込み、一人の男の腕を捻り上げた。そして手から粉末を奪い取る。


「動くな。お前たちの所業はすべて掴んでいる」


 ディートが告げるなり、男たちは気色ばむ。そして一人が腕を二人に向け、幾何模様を浮かべた。

 が、次の瞬間放たれた風刃の魔術が男の腕を切り落とした。


 上がる男の悲鳴を皮切りに、一斉に相手が動き出す。

 彼らは幾何模様を浮かべるも、クリフが用いた解除の魔術により半数以上が打ち消されて発動にまで至らない。


 そしてディートは懐から竜銀を取り出すと、いくつにも分割して解き放った。緑の小さな弾丸は瞬く間に距離を詰め、男たちを突き飛ばす。その勢いで壁に叩きつけられると、ぐったりして起き上がれなくなる者も出てきた。


 そこに至って、ようやく相手の魔術が発動した。土の魔術により石の壁が抉り取られ、クリフ目がけて放たれる。


 ディートはさっと後退して軌道上に飛び込むと、手元に残しておいた竜銀をぱっと広げて視界を遮った。石が衝突して小気味いい音を立てるが、竜銀の盾には傷一つない。


「クリフ、そっちに行ったぞ!」


 男たちがディートに気を取られている間に、首謀者は出口目がけて移動していた。ディートの背後で、男はクリフの目の前を通り過ぎようとしていく。


 が、突如倒れ込んだ。

 床が液状化して足に纏わりついており、抜け出すことができなくなっていた。蟻地獄の魔術をあらかじめ発動しておいたのだ。


 すでにこの部屋全体に幾何模様が走っており、敵はすべて動けなくなっている。


「負けやしないさ。偽物の魔術師には」


 そう言うクリフは男どもを一瞥した後、逃げようとする者の頭を押さえた。


「薬をどこから仕入れた?」

「な、なんのことだ?」


 男がとぼけるも、ディートがすぐさま目の前にしゃがみ込んで、袋をぷらぷらさせる。そこらで寝ている男から取ってきたものだ。


「お、俺じゃねえ。違うんだ」


 慌てふためく男の手に、ディートは魔剣を突き立てた。呻き声が上がると、剣を引っこ抜いて再生の魔術を用いる。


 傷が治って一息吐く男に、彼はもう一度尋ねた。


「あんたが薬を買った相手は誰だ?」


 男が答えないと見ると、ディートは刃を手に這わせた。とうに調べはついており、物的証拠も上がっている。あとは直接吐かせるまでのことだった。


 そうして時間が過ぎていくと、やがて血走った目で男が口にする。


「ル、ルーデンス魔導伯と名乗っていた! あの男は! そ、そうだ。見間違えるはずがない、あの紫のローブを!」


 ディートはクリフを見る。だが、魔術師といえども真偽を確実に確かめるすべなどは持っていなかった。


 クリフが小瓶を取り出して嗅がせると、男はすぐに意識を失った。


「まさかルーデンス魔導伯が犯人ではないだろう」

「そうだと思うが、あの男ならやりかねない。俺たちを動かす必要があったならな」

「本気で言ってるのか?」


 尋ねるクリフに、顔色一つ変えずにディートは返す。


「冗談さ。ルーデンス魔導伯は得にならないことはしないし、こんな無駄なこともしない。なによりこんな手間をかけるだけの時間があるなら、間違いなく直接的にことを終わらせて、余った時間で尻尾を追いかけているはずだ」


 クリフはよくわかっているものだと思う一方で、冗談なのか本気なのかよくわからない男だ、とも思った。


 ヴィレム・シャレットという人物は回りくどい方法を嫌い直接的な行動を起こすのを好む傾向がある。しかし策を用いないというわけではないので、諸国からはそう見られてはいないだけだ。


 だから今回もおそらく、このような複雑な状況を聞けばうんざりした顔をするのだろう。


「とりあえず、こいつらを連れて戻ろう。マーロ殿にも聞かねばならない」


 ディートは頷くなり竜銀を用いて男たちを拘束し、引き摺りながら階段を上がっていく。様子を見に来た店主と目が合うと、店主が驚き目を見開くのに対し、ディートは変わらぬ表情でその横を通り過ぎていく。


 クリフもまた、一瞥をくれることなく進んでいくのだが、


「あ、あのぉう!」


 店主が裏返った声を上げると、小さく視線を向ける。


「そ、そのぉ、えっと、お、お代、お代のほうをいただいておりませんゆえ……」


 もう自身が悪事を働く者に場所を貸していたことなど忘れて、目先の金を回収することしか考えていない。したたかに生きているものだが、はたしてルーデンス魔導伯に会わなかった場合、自身は今こう思っただろうかとディートは考えずにはいられなかった。


 もちろん会っていなければ、今こうして魔術師として動いていることもないため詮無い過程なのだが、それだけ自身の変化を認識していた。


 ディートは懐を探るも、そもそも彼は給金を貰っていなかったので、金銭の類は持ってきてすらいなかった。


 クリフが店主へと硬貨を投げ渡すと、もう振り返ることもなく酒場を後にした。


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