64 相談事
ノールズ王国の城内に存在する館の一室で、二人の男が会っていた。
一人は老いによる錆びを見せつつもいまだ健在なる国王の懐刀パーシヴァル・グラフトンである。彼は引退して以来ずっとこの館に住んでいるため、顔見知りは事あるごとに訪ねてきていた。
しかし、今日の客は珍しい男だった。
「パーシヴァル殿。本日はこのような機会をいただき、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げるのは、若い貴族であるライマー・セーデルグレンだ。彼はそれなりに有力な貴族の次男であるが、長男が家を継ぐことがほとんど決まっているため、領地を継ぐことはないとされていた。それゆえに将来は王城での仕事をするだろうと期待されており、王都での生活が中心だった。
しかしライマーがパーシヴァルの居室を尋ねたのはこれが初めてのことである。
「いやいや、そう畏まらなくていい。君たちのような若者の礼は、このような老いぼれには勿体ない」
パーシヴァルは柔らかい笑みを見せ、それから座るように促した。
ライマーが座るなり使用人がやってきて、ボトルの栓を抜くとグラスに注ぎ始める。爽やかな黄色の液体から、小さな無数の泡がしゅわしゅわと音を立てて噴き出してくる。
パーシヴァルに勧められ、ライマーはそれを口にした。上品なリンゴの甘みが弾けて口いっぱいに広がっていく。それでいてくどくなく、後味はいい。
「……シードルですか。それも最上級の」
「君が来ると言うからね。なにが良いものかと悩んだ挙句、こんなものしか思いつきやしなかった。私は普段飲まないから、これでよかったのかと思っていたところさ。味はどうかね?」
ここノールズ王国ではあまりリンゴが取れないためシードルは流行っておらず、その代わりにブドウが多く取れるためワインが主流だ。
しかし隣国デュフォー帝国で、シードルは庶民から貴族まで広く親しまれている。
「ベルゲの涙ですね。まさかこのノールズ王国で飲めるとは思ってもいませんでした。わざわざ取り寄せていただいたようで、なんとお礼申し上げたらよいものか……」
ベルゲの涙というのは、デュフォー帝国のベルゲ地方で取れるりんごの名称である。かの地の由来となった女神ベルゲが流した涙にたとえられるほど美しい色合いをしていることから名づけられており、それに恥じない甘みが特徴的である。
ベルゲの涙を用いたシードルはデュフォー帝国内で高級品としてよく取引されているが常に品薄で、特別な祝い事でもない限り外国に輸出されることはない。そしてノールズ王国では祝い事となれば無難なワインが好まれていた。だからお目にかかることはないと、ライマーは思っていたのである。
「いやいや、気にしないでくれ。君は帝国に留学していたと聞く。だから本場の味にも親しかろうし、迂闊なものは出せないと思っただけなのだから。それに、今ではこうしたものさえ黙っていても入ってくるようになった」
「……なるほどアバネシーのですか」
「ああ。子供とは思えないほど上手くやっている」
帝国との交易と言えば、多少詳しい人物ならばマーロ・アバネシーの名を思い浮かべるだろう。数年前から調子を上げてきていたが、ここ最近はさらに流通量を増やしていた。
「そしてそこにルーデンス魔導伯が関わってきた」
パーシヴァルはそう告げた。
帝国との交易はもともと盛んではなく規模も大したことがなかった。そして帝国との平地における国境を有するアバネシー領には、戦争となったとき矢面に立ってもらう一方、帝国との交流も自由になっていた。アバネシー家は力がある諸侯だが、揉め事もなくやってきたため王家の信頼も厚い。
だからこれまでの経緯は特に問題があるものではなかった。しかし、ルーデンス魔導伯が関わってきたとなれば、看過できなくなってくる。
かの者は王侯貴族たちほとんどにとってよくわからない人物であり、帝国と手を組んでいるという噂すらあったからだ。加えて、多数の諸侯を打ち倒し領地を手にした経緯がある。
先日、王との謁見があり忠誠を誓ったとはいえ、領地的には帝国に近いのだ。なにかがあってからでは遅すぎる。
「まさか大それたことをやらかすとは思えませんが。なんでも、街中で彼を見かけた者によれば、従者の少女にうつつを抜かしていたとのこと。まだまだ子供でしょう」
「確かに。しかし、子供ゆえに誰かが見守っていなければならないこともあろう」
パーシヴァルは父親の顔になる。彼の子供はとっくに成人して領地を継いでいるため、思い返すのは昔の日々か。それを見たライマーは、
「それは殿下に関しても、でございましょうか?」
と間髪入れずに返した。パーシヴァルは意表を突かれて、僅かに眉を上げた。
「ああ、君はペール殿下と親しくしていたのだったな。気になるのかい?」
「身分の違いがあれど、我が友でございます。彼のためにならぬことならば、身を呈してお助けする所存」
ライマーは第二王子ペールとは幼い頃からの友人であり、帝国から帰ってきてはなにかと遊びに出かける仲だった。
彼が帝国に留学していたからこそペールも帝国に興味を持ち始めたのかもしれない。土産話に花を咲かせることは多くあり、そこでライマーは酔うたびにいつか行ってみたいと口にしていた。
それに対してパーシヴァルは王アルベールに近く、彼と親しい第一王子派であると見られている。
パーシヴァルはライマーを見て、小さく息を吐いた。
「君が思っているようなことはないだろう。この老骨に、大事を成す気概などありゃせん。王室の――陛下と殿下の幸せを願うばかりよ」
パーシヴァルは改めて目の前の若者を見た。
若さゆえの危うさすら感じられるほど活力に溢れた男だ。それが安堵の表情を浮かべている。わかりやすくもあるが、それだけ第二王子ペールとの関係も親しいということなのだろう。
「ところで君はなにか用があって尋ねてきたのではなかったのかね?」
「ええ。殿下の御婚約の話です。陛下はあまり乗り気ではないようでしたので、パーシヴァル殿からそれとなく勧めていただけないものかと思っております」
「……ということは、殿下は気に入ったのかね?」
「合うかどうかはわかりませんが、殿下にとってもつまらない方ではないでしょう。かの姫君は」
ライマーは遠目から見ただけであるが、ペールの婚約者を知っている。そして第二王子の相手に相応しいと判断していた。
そんな後押しもあって、パーシヴァルは王アルベールともう一度話をしてみようと思うのだった。
◇
アバネシー領南の都市の中央に存在している城には、領民ならざる者が出入りしていた。
コツコツと音を立てながら、地下に向かっていく足音が複数。その先にあるのは、罪人を捕らえておくための地下牢だ。
見張りが二人。そして堅固な牢の中には罪人と、二人の少年だ。
「お前は薬を誰から貰った?」
一人の少年――魔術師クリフが罪人に尋ねた。
虚ろな瞳を中空に向けていた男は、うわごとのように話し始める。
「あの男だ……ルーデンスの……いつも酒場で配っていた」
「その男以外にはいないのか?」
「ああ、そうだ……」
「どれくらいの期間、受け取り続けてきた?」
クリフの最期の問いに、男は答えなかった。いつしか意識を失っていたのである。そうなると尋問のしようがない。
「こうも簡単に話すとは、真偽のほどが怪しいな」
クリフの隣で経緯を見ていたディートが呟いた。それに対してクリフはこともなげに返す。
「人間というものは、正しい判断ができなくなれば、脆いものだ」
「じゃあいつも偉そうにしているあんたも、この毒の魔術を食らえばヘイスみたいになるってことか」
「おいおい、それはないぞ。だいたい、なんでもかんでも本性を曝け出すわけじゃないし、判断力が鈍るだけだ。それもほんの一瞬。上手くやっても、相手が嘘をついている、またはこちらが問いかけに失敗した可能性も排除できない」
「なるほどな。取り繕ってるだけで中身は一緒ってことか」
すげなく言うディートに対し、「どうしてそうなる」と追求しようとしたクリフであったが、上からの足音が近くなってくるとそちらに視線を向けた。
暗い牢屋に入ってきたのは、マーロ・アバネシーと従者のラウハである。マーロはこの城の主であるが、普段はこんなところに自ら足を踏み入れることはない。
そんな彼の前後には護衛が控えている。彼らはマーロの私兵と、ルーデンス領から派兵されてきた魔術師である。
「場所はわかったのか?」
短く告げるマーロに対し、クリフが返す。
「はい。一つ北の都市に潜伏しているようです。これから捕らえに行こうかと思いますが、よろしいでしょうか?」
「構わん。さっさと解決してくれ」
許可を得ると、クリフとディートは魔術師の礼をして、素早く駆けていった。
彼らがいなくなった後、マーロは罪人を眺めた。彼らは皆、意志が希薄で、命令されれば相手が誰だろうと聞いてしまいそうな危うさがある。
野盗として領内を荒らしていた者たちだが、憐憫すら覚えてしまう。こうなるなどと誰も思ってはいなかったのだから。
「力に溺れた者というのは、哀れなものだ」
「マーロ様は金貨に溺れて嬉しそうな顔をしていますが、それとは違うのです?」
間髪入れずに尋ねたラウハは、マーロの拳骨を食らった。
「あいたっ!」
「そうじゃねえよ。知らない相手から貰った知らない薬で知らない力を得る。そして知らないうちに壊れていく。どこに意思がある?」
ラウハはぺたんと狐耳を倒しつつ両手で頭を押さえていたが、真剣なマーロの顔を見て、両手を口に持っていった。
ここに囚われている彼らは魔術を使えるようになったと言われているが、決してそういうわけではない。
薬は魔核の魔力を生み出す作用を調節する因子に作用し、魔力がとめどなく産生されるようにするものだ。しかしもともとの生産能力には限界があるため、代償的に魔核は肥大化して多くの魔力を生み出そうとするものの、いずれはガタが来てしまう。加えて、魔術として用いられなかった過剰な魔力は体内の器官に様々な悪影響を及ぼしている。
つまり、彼らは魔術師になることもできず、ただ体を酷使していたに過ぎない。
けれどただ騙された者が愚かだったと片づけられる問題でもなかろう。
マーロは虜囚の身となった男たちを見ながら、どうしたものかと思うのだった。




