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63 その熱さえも



 質素な外套を纏ったヴィレムとクレセンシアは、二人で街中を歩いていく。そんな格好だと年相応の子供二人がはしゃいでいるように見えるが、歩くという動作一つとっても無駄がなく、熟練の兵士さながらに洗練されている。


 しかし、ヴィレムはともかく、クレセンシアのほうは普通の人と動きが少し異なる。尻尾でバランスを取ることができたり、体が非常にしなやかだったりするからだ。


 そんな獣人の姿はルーデンス領と比べるとかなり少ない。

 狐の獣人はノールズ王国では比較的多く見られるが、それでも街中に来ることは少なく、ましてこの華やかな王都ともなれば肩身の狭い思いをせずにはいられないのだろう。


 けれどクレセンシアは先ほどから尻尾を上機嫌にふりふりしつつ、あちこちの音を拾うべく狐耳を動かしている。


「シアが楽しそうでよかったよ」

「ヴィレム様は先ほどもてなしてくれると言いました。誰かをもてなすにはその人自身が楽しんでいなければなりません。ヴィレム様御自身が楽しまなければ、それ以上に私を楽しませることなどできないのですよ?」

「うん、もっともだ。では俺も楽しむとしよう」


 ヴィレムはクレセンシアとの距離を詰め、そっと肩を抱いた。

 元気に揺れていた尻尾がピタリと止まり、俯きがちになってしまう。


「その……ヴィレム様」

「うん、なんだい?」

「恥ずかしいです」

「そんな君を見ていると、俺はとても楽しいよ」


 笑みを浮かべるヴィレムと、口を尖らせるクレセンシア。

 けれどヴィレム自身もなんだか面映ゆくて、肩を抱く手を放して、向こうに見えた建物を指さした。


「ほら、ここからでも学園が見えるよ」

「懐かしいですね。寄ってみますか?」

「いつか来ることになるのだから、そのときの楽しみにとっておこう」


 クレセンシアは頷き、それからヴィレムの開いた手を見て、自身の両手でぎゅっと包み込んだ。いつもよりも強く握った彼女の手を離すまいとヴィレムは思いながら、握り返すのだった。


 ここでは領民も部下もいない。

 それゆえに誰かに憚ることもなく、ただ二人の少年少女になることができた。


 買い食いをしたり街並みを眺めつつ、展示されている今風の衣服に興味を持つ。

 けれどクレセンシアには尻尾があるため、試着してみることはできないし、買っても仕立て直さなければならない。


 ぼんやりと眺めていたクレセンシアだが、デザイン的に気に入る店があったらしい。狐耳が前後に動いている。


「シア、中に入ってみようよ」

「ですが、婦人物のお店ですよ?」

「だからだよ。俺がお洒落したところで誰も喜びはしないが、君がお洒落をすれば誰もが目を心を奪われるだろう。いや、そうなると俺は困るんだけど」

「ヴィレム様は大げさすぎます。それにヴィレム様のお洒落を、ここにいる一人はずっと見ていますよ」


 笑うクレセンシアと一緒に中に入ると、ヴィレムは早速楽しむことにした。

 帽子を手にとってクレセンシアに被せてみせると、耳がすっぽり収まってしまう。街の若い女性といった風で可愛いのだが、彼女は窮屈そうだ。


「帽子はあまり好きじゃないです」

「じゃあこのヴェールとかはどうだろう? 刺繍が入っていて上品な感じだけど」

「合わせるドレスがありませんよ」


 あれこれとヴィレムが提案するのだが、クレセンシアには却下されてしまう。女性のファッションは難しいものだとヴィレムは唸らずにはいられない。


 こんなとき、ヴィレムはお調子者の部下を思い出す。訓練となると嫌々やらされている姿がよく見られる竜騎兵隊隊長ヘイスは、ヴィレムが知っている中で一番女性に詳しい。そんなことよりも真面目にドラゴンの扱いに注力してほしいと思うことは多々あったのだが、あれはあれで長所なのかもしれない、などと思う始末だ。


「ヴィレム様は、私に贈り物をしたいのです?」


 眉間にしわを寄せながら首飾りを眺めていたヴィレムにクレセンシアが小首を傾げた。


「もちろんだとも。君は俺の屋敷をすっからかんと言ったけれど、俺は器用じゃないから多くの物を手にするのが難しいんだよ。だから、大事な君だけはなにがあってもなくさないように、傍に置いておきたいんだ。そのためならば、どこまでも必死になって気を引こう」


 真顔で言うヴィレム。クレセンシアに対する独占欲は、もしかするとレムの孤独感も影響を与えていたのかもしれない。


「ヴィレム様のお気持ちは嬉しいです。ですが、そのようなことをなさらずとも、クレセンシアはお傍におります。一緒に、大望を叶えると誓ったのですから」


 もちろん、ヴィレムだってそんなことはわかっている。わかっているからこそ、彼女のためになにかをしたいと思うのである。


「それにヴィレム様と同じほうを向いているのは、私だけではありませんよ。ルーデンス領に帰れば、魔術師たちの誰もがヴィレム様の未来を見たいと願っているでしょう」

「……ああ。もはや俺はただの魔術師ではなく、領主なのだから。狭い視野ではいけないね。けれど、それとこれはまた別だよ」


 ヴィレムは少女らしい上品なチュニックをクレセンシアの衣服の上から被せ、飾り紐を使って腰のあたりで軽く結ぶ。それから大人し目ではあるものの凝ったデザインの首飾りをかけ、髪の両サイドをさっと手に取り髪飾りで束ねて、さらにはふんだんに刺繍が入ったヴェールと被せる。


 クレセンシアが狐耳を動かすたびに刺繍が模様を変え、髪飾りが揺れて輝く。けれどなによりもはにかむ彼女が眩しくて、ヴィレムは思わず意識を奪われた。


「……せっかくですが、着る機会がありませんよ?」

「いつだって、俺に見せてくれればいい。なんといっても、こんな姿を見れば誰もが恋に落ちてしまうのだから、俺だけのものにしないといけないのだからね」


 困り気味のクレセンシアに対して、ヴィレムは真剣である。この男、普段はなにごとにも興味をあまり示さないにもかかわらず、ことクレセンシアとなれば過保護とも言える扱いようだ。


 クレセンシアは嫋やかな指で、髪飾りを撫でた。

 以前貰ったリボンも大切に取ってあるが、ヴィレムからの贈り物ならばどれほどあっても邪魔にはならなかった。なにより、自分のために選んでくれたというのが嬉しくて、クレセンシアはつい尻尾を振ってしまう。


 そんな彼女を見ていたヴィレムは、店主に購入の旨を告げることにした。


 荷物は滞在している屋敷に届けてもらうことにして、ヴィレムが手続きをする間、クレセンシアは待ちながら街の音に耳を傾ける。


 楽しげな市井の声がいくつも聞こえてくると、不思議と人々の姿や流行も違っているのに、笑うのは旦那の愚痴であったり、雇用先での不満であったり、あまり変わり映えしない。


 そうした他愛もない噂話が続く中、クレセンシアの狐耳がピンと立った。


「なんでもルーデンス魔導伯が来ているそうじゃない。恐ろしい魔術を開発してるって話だし」

「ええ、皆がそう言うくらいなのだから、本当なのでしょうね」


 歩いているのは二人の女性だ。

 一見するとおしゃべりに夢中になっているようだが――


「誰の差し金だろうね」


 ヴィレムはすでに手続きを終えてやってきたところだった。

 わざわざ喧伝するように人々のほうに口を向けていたことや、不満を言うときこそ早口になりやすいものを、一言一句丁寧に言っているところや、滑舌がいいことなど訓練された声であることなどから、普段から宣伝を生業にしていることが窺える。皆、などという言葉を用いたのも、信じさせるために範囲を広げたからだろう。


 どうするのかとクレセンシアが悩む一方、ヴィレムは肩をすくめた。


「どうにもできないよ。証拠なんかありゃしないし、貴婦人を捕らえたなんて噂が広がったらそれこそ最悪だ。迂闊なことはできないよ。向こうが厄介な相手だと思っているのは当たり前のことだから気にすることではないけれど、誰が狙ってやったことなのかは、知っておきたいところだね」


 加えて、彼女たちはなにも知らないだろう。どうせ適当なことを言うように金を握らされたものにすぎない。


「ヴィレム様、此度はご購入まことにありがとうございました」

「ああ、機会があればまた来るよ」


 ヴィレムはひらひらと手を振ると、クレセンシアと一緒に店を出た。


 それから街中を歩くヴィレムはここが敵地であるのだと認識しつつあった。あまりに抜きんでた者は、いずれどこかで不興を買う。いま一度、そのことを思い出さずにはいられない。


 けれど今はクレセンシアとの時間なのだ。誰にだって、邪魔されない二人の思い出である。


 つないだ手の温もりに、身を焦がす熱をこの一時だけは忘れることができた。


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