62 蘇る熱
「ルーデンス魔導伯。汝には謀反の疑いがかけられている」
その言葉の意味を理解するのに時間がかかったわけではない。しかし、この場にいる家臣の様子から、王がふざけて言っているのではないことは明らかだ。いや、たとえ悪ふざけであってもこのような台詞をひとたび吐いてしまえば、取り返しのつかないことになるだろう。加えて、本気で疑っているのであれば、しっかり裏が取れるまで口にすることもないはずだ。
その上で王が言った意味は――
「陛下。僭越ながら申し上げさせていただきます。そのようなお話は初耳でございます。いったい、どこからそのような噂が――」
「白々しいことを! これほどまでに領地を荒らしておきながら!」
怒号は左方から飛んできた。
見たことのない貴族であったが、おそらくはヴィレムが所有する土地に近いところの者だろう。他の貴族もまた、似たような表情を浮かべていた。
家臣が先の者を諌めると、王がヴィレムに問う。
「急速に領土を広げたのだ。国土を食い荒らす国賊と見る者がいるのも当然だろう。身の潔白を示せるというのか?」
「無論でございます。我が領土はすべて、奪ったものではございません」
「お主に奪われたと泣きついてきたものがいる。ではその者が嘘を吐いたと?」
王は語気を強めてみせるが、本気の殺意を向けられたことすらある者にとっては、ナマクラ同然であった。
「こちらから戦争を仕掛けたことは一度たりともございません。すべて我が領地を、そして領民を苦しめるべく襲い掛かってきた者たちから守っただけなのです。得た土地は捕虜の身代金としていただきましたが、その際、民には一切の被害を出してはおりません」
「つまり正当な領土である、返す義務はないと、そう申すか」
「敵が来れば陛下の盾となり外敵と戦いましょう。祝い事があれば馳せ参じて花を捧げましょう。ですが、陛下といえども我が領民を差し出すことはできませぬ。彼らの生活が富んでこそ、国が豊かになるのです」
ヴィレムははっきりと言ってのけた。すべての証拠も残っている。
これは以前の領主は圧政を敷いており、王の統治が及んでいないことを追求したということでもある。
こうなっては、王も面と向かってヴィレムを罵倒できても、彼の行いそのものを批判することはできなくなる。
ヴィレムは論点を土地から領民にすり替えていたのだ。ヴィレムを批判することは、圧政を敷いていた貴族を擁護することになる。自らが領民を苦しめたと言うようなものだ。
話の流れとしては、王が激昂でもしない限り悪くない。そしてヴィレムは王の性格を噂である程度把握していた。自身で決めることができず、流されやすいと。それゆえに、先ほどの追及も誰かが言うように仕向けた可能性が高かった。
おそらく目的は揺さぶりで、ヴィレムから情報を引き出しやすくすることや失言を狙ったものだろう。その場合、王へと助命を嘆願せねばならなくなる。
要するに、舐められているのだ。強大な諸侯相手にこのような暴論を吹っかけて話がこじれた場合、戦争に突入することだってあり得るのだから。
だからヴィレムも引くつもりはなかった。
王はヴィレムを見下ろしていたが、一瞬だけ視線を他の貴族に向けた。王に見られた者は背筋を伸ばすばかり。
「左様か。……此度の参上、ご苦労であった。今後は我が剣となり、国を守りたまえ」
王は抑揚のない声で告げた。結局のところ、彼自身はどうでもよかったのかもしれない。ただ、貴族たちが小うるさかったからこのような行為に及んだだけで。
そうなると王は使用人を呼びつけて、ボトルとグラスを持ってこさせた。とくとく、と注がれる赤の液体は、血のようにも思われる。
「汝の長旅を労うために用意させたものだ。飲むがいい」
ヴィレムは思わず息を呑んだ。
なにが入っているのかもわからないものを、言われるがままに口にせねばならない。運命を誰かに預けてしまうことの恐ろしさが蘇ってきた。
じわじわと腹の奥底が痺れるような痛みを帯びてくる。久しく忘れかけていた熱が蘇ってくる。
「どうした、なにゆえ呑まぬ」
告げられると、ヴィレムは我に返るとこうべを垂れた。
「申し訳ございません。田舎者ゆえ、陛下の杯を受けるのを畏れ多く思った次第でございます」
「遠慮することはない」
「では、ありがたく頂戴いたします」
ヴィレムは全身を覆っていた濃紫のローブを脱いだ。魔術師としての強さを信じていた彼に対して、王は権力という剣を振りかざしてきた。それはいかに腕力が強くとも、どうにもできない力である。
だが、魔術師が屈するわけにはいかなかった。魔術師がこのようなことで躓くわけにはいかなかった。
ヴィレム・シャレットはグラスを手に取ると、一気に呷った。赤い液体が流れ込んでいく。
これになにが含まれているのか。ただ一つ明らかなことは、権力という毒を飲んでしまったということだ。
王の命令を聞いた。ただそれだけのちっぽけな事実が、ヴィレムにとってはひどく大きな意味を持っていた。
相手にとっては、ヴィレムが忠誠を誓ったというただそれだけのことでしかない。仮にヴィレムが刃を向けた場合、侵略ではなく反逆という形になるというだけだ。
だが、ヴィレムにとってはまたしても権力が立ちはだかったということでもある。力だけではどうにもならない人と人を繋ぐ関係という糸を、手繰り寄せ合わせて自らのほうに持っていかなければならないのだ。
腹の奥底はやけに熱い。込み上げてくる炎が腹を焦がし胸を焼き、過激な言葉となって出てこようとする。
それをなんとかヴィレムは飲み込んだ。
ごくりと喉がなる。けれど、胃の底に貯まることはなかった。
ヴィレムはローブを脱いだ際、貴族たちから見えないように竜銀を変形させ、口中に薄く纏わり付かせていた。だから中身がなんであれ、関係がないことだ。
しかしそれでも、これほど飲み心地が悪いものは初めてだった。いつまでたっても、喉に張り付いて落ちていかないような気がした。
彼がグラスを置くと、使用人は片づけていく。これでここにいるものは皆王に仕える諸侯ということになるのだが、そんなのは形式的なものにすぎない。
外国との戦が起きれば味方として戦うが、手を取ることもなく、別々の隊がそれぞれに役割を果たすだけ。そして国内で諸侯同士が争うことだって珍しくない。なにより、ヴィレム自身に敵意を向けている者たちと手を取り合う意味がどこにあるのだろう。
これまではたとえ土地が広がっていこうとも、結局のところ親しい者たちによる狭いコミュニティーの中にあった。マーロとて、一度きりとはいえすでに会った者である。
それが今、別の立ち位置を模索せねばならなくなった。
力以外で道を探さねばならない。たとえ魔術で王都を焼き払うことができたとしても、後にはなにも残らないのだから。
用件が終わると、また後ほどなにかしらの用があるとのことで、ヴィレムはしばし滞在することになった。
他の貴族たちもこれで用は済んだのだろうが、彼らが王都を去ることはないだろう。領地に戻ってもやることがないのだから。それに、できるだけ王の意向を知ることこそが、上手く生きる方法でもあろう。彼らはそうして長らえてきた。
ヴィレムは様々な思惑が飛び交う場を後にすると、自分が早足になっていることに気が付いた。
だから彼女が待つ部屋にはすぐに到着する。
「ヴィレム様、お疲れ様でした。大丈夫ですか?」
クレセンシアがヴィレムの身を案じる。見透かされたように感じたヴィレムは、なんとかおどけてみせる。
「そんなにひどい顔をしているかい?」
「いつも見ていますから、ヴィレム様の変化を見逃しはしませんよ」
「じゃあ今がひどいんじゃなく、普段がいい顔なんだ」
「誰にでもいい顔をするヴィレム様はいやですよ」
クレセンシアはふざけてみせる。彼女にそう言われると、ヴィレムも悪い気はしない。
このいつも一緒にいられる状況こそ、ヴィレムをヴィレムたらしめているのかもしれない。
ゆっくりと、腹の中の炎が小さくなっていく。
と、そこでヴィレムは思い出して、口の中から竜銀を取り出した。クレセンシアはびっくりして尻尾をピンと立てる。
そんな彼女に目を細めつつ、ヴィレムは竜銀を箱形にして懐に仕舞いこんだ。これになにが含まれているのかも、一つの相手を知る情報となろう。
「……後で色々話すよ。それよりも、少し寄り道していかないかい?」
「それでよいのですか?」
「俺もあの手この手で君をもてなそうと思ってね」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
クレセンシアはそう言いながらヴィレムの手を取って甘える。
王都での生活は最悪なスタートを切ったが、ヴィレムはゆっくりと落ち着いてきた。城外に出ると、もう二人のことなど知らない人々がそれぞれの生活を送っている。
ヴィレムはローブを袋に押し込み、クレセンシアの手を引いて街中へと進んでいった。




