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61 二度目の王都


 門を潜り抜けると、首都の街並みが広がっていた。

 四年前にも来ているはずなのに、ヴィレムは初めてこの都市を見た心持ちであった。あのときは身の回りのことで精いっぱいで、楽しむ余裕なんてどこにもなかったせいだろう。


「ヴィレム様、前に来たときとあまり変わっていませんね」


 街並みを眺めていたクレセンシアは、ヴィレムに振り返った。


「そうだっけ? よく覚えているね」

「あのときのヴィレム様は俯きがちでしたから、無理もありませんね。せっかく楽しんでいただこうと私が話題を振っても、ヴィレム様はちっとも相手をしてくださりませんでした」


 クレセンシアは頬をぷくっと膨らませてみせる。そしてヴィレムがなにかを言わんとすると、ぷいっとそっぽを向いてしまった。


 だからヴィレムは困ってしまうのだが、窓の外にパン屋を見つけるとそちらに視線を向けた。


「シア、王都でも民はパンを口にするし、ルーデンス領だろうとどこだろうと変わらないものだね」

「……そんな誤魔化そうとしてもダメです」

「せっかく楽しんでもらおうと声をかけたのに、シアはちっとも相手をしてくれないよ」

「もう、ヴィレム様は意地悪です」


 クレセンシアはそっぽを向いたまま、後ろにいるヴィレムを尻尾で軽くはたいてみせた。二、三度柔らかな毛の感触があったが、それもすぐに収まる。


 ヴィレムもクレセンシアも、窓の外を眺めて目を細めていた。


「この通りを走り抜けて、近くの森まで行ったんだっけね。さっき通り過ぎた森の小ささに、驚くばかりだったよ」


 子供の頃は大冒険に感じられたものが、大人になってみると全貌がはっきり見えるほど小さいものでしかなかったと色あせて見えることのはよくあることだ。


 けれどヴィレムにとって、簡単に言い表せる感情でもなかった。


 ちっぽけな貴族の末っ子に過ぎなかった彼が、騎士になり、そしてルーデンス伯となり、それから数多の土地を手に入れてきた。数多の経験が、より高みを目指し進んできた誇りが、視野を広げてきたのだろう。


「そういえば、結局あの子たちはどこの子だったんでしょうね?」

「父上の知り合いの子だったみたいだけど、権力がある貴族ならば限られてくるだろうね。いずれ縁があれば会うこともあるかもしれないけれど、今と当時じゃ俺もすっかり変わってしまったから、既に過去の話さ」

「ヴィレム様も大人になられたんですね。あんなに夜泣きをして眠れなかったヴィレム様もすっかり大きくなられました」

「いくらなんでもそこまで小さくなかったよ」

「さっきの仕返しなのです」


 クレセンシアはぶんぶんと尻尾を振りながら楽しげだ。

 くだらない思い出話に花を咲かせていると、時間が経つのもあっと言う間。いつしか王城近くの屋敷の前で馬は足を止めていた。


 貴族用の滞在施設であるが、ヴィレムが招聘されたのではなく、自ら謁見しに来たことになっているため、費用は自分で出さねばならない。そのため使用人を何名か連れてきたのだが、食材も腐りやすいものは現地で調達する必要がある。普段はクレセンシアがやってくれることも多いが、今回は彼女にも楽しんでもらいたい、とヴィレムは考えていた。


 だからヴィレムは屋敷に案内されるなり、


「あとのことは頼むよ。といっても俺とシアしかいないから、忙しくもならないと思うけれど」


 雑事を丸投げすることにした。

 しかしだからと言って、やるべきことがあるわけでもない。謁見した後は猶予があるため、観光をするにしても時間はたくさんある。


 自分用の部屋に入るヴィレムと一緒に続くクレセンシア。貴族ならば大勢の使用人や護衛を引き連れてくるのが普通のため、部屋はたくさんあるのだが、やはり二人でいるほうがいいのである。


 ヴィレムは調度品を眺めて、クレセンシアに尋ねる。


「やっぱり貴族ならば、こういうところにも気を配るべきなんだろうか。

「今後、諸侯と会うことも増えるでしょうから、形くらいは整えておくほうがよいかもしれませんね」

「それは形にすらなってないってことかい」

「ヴィレム様は居館にあったもののほとんどを売却用の資産にしてしまいましたからね。倉庫ばかりが満腹で、お部屋はすっからかんですよ」


 ルーデンス魔導伯は贅沢をしている噂がまったくない一方、彼の私室には魔術関連の物が詰め込まれている――と言われているのだが、実際のところ、彼の私室にはほとんど物がない。


 魔術は頭の中にすべて叩き込まれているし、重要なことは決して忘れない。そして些末なことはすべてオットー任せだから紙の類はない。


 もちろん研究をしていないわけではないのだが、彼の膨大な知識はレムの記憶を引き継いだからこそのものであって、どれほど才能や時間、資金があったとしても到底十四の少年が得られるものではなかった。


 それもルーデンス魔導伯という存在が奇妙に思われている一因なのだろう。


「世の貴族様方は宮廷で優雅に踊り、日夜美食にグラスを遊戯に心を傾けておられるのですよ」

「俺の心は君に、大望は敵に奪われてしまったからね」

「あら、世の殿方はあの手この手で女性の気を引こうとするものですよ?」


 綺麗な衣装を送ったり、誕生日には花を送ったり、なにかと気を遣うものである。

 そう言うクレセンシアは澄ました顔をしてみせる。けれどそんな彼女の尻尾は期待いっぱいにふりふりと揺れていた。


「だから俺はこの()で、こんなにも君の気を引こうとしているじゃないか」


 ヴィレムはクレセンシアを後ろから抱きしめる。狐耳が驚きにピンと立った。きっと、すっかり顔を赤らめているのだろうと思うと、ヴィレムは頬を緩めずにはいられない。


「そういうことじゃありませんよう」

「嫌かい?」

「嫌じゃありません」


 好きだとは言わなかったのは、最後の抵抗だったのかもしれない。


 衣服越しに伝わってくる小さな小さな心の音。脈打つたびに瑞々しい生命を感じさせる。

 ヴィレムはこの瞬間、生きているということを肌で感じ取っていた。あの地獄の業火も、感覚が失われていく死も、今は忘れて。


 あのときレムは炎にかけられる前までの記憶を残すことだってできた。しかし、最後の最後までヴィレムの頭には残っている。死というなによりも強い印象を残すことで、それすらも克服し、何事にも立ち止まらずに進んでいく魔導王になれるのだと、信じていたのかもしれない。


 それでもヴィレムは今、穏やかな心持ちになっていた。薪のなくなった炉で炎は燃え上がらない。


「ルーデンス魔導伯。今すぐ参上するよう、国王陛下からのお達しがございました」


 ドアがノックされて、そんな言付けが伝えられた。

 もう行かねばならない。ヴィレムは名残惜しくも、少女を解放するしかなかった。


 それからヴィレムはクレセンシアとともに屋敷を出て、城に赴く。お供していたクレセンシアであったが、謁見の段になると、彼の帰りを待つことになる。


 いよいよヴィレムは一人、国王と対峙することになる。


 扉を開けて王が待つ一室に足を踏み入れると、彼の家臣たちが見守る中、ヴィレムは優雅にお辞儀をする。ひどく洗練された、魔術師の礼であった。


「ヴィレム・シャレット。参上いたしました。此度は謁見の機会をいただき、誠に感謝しております」


 招集に応じたのではなく、願ってやってきたということである。


 ヴィレムは王座に座っている男を見る。この国の王アルベール・ノールズだ。

 まだ老人の域に達してはいないにもかかわらず顔に覇気はなく、濁った瞳をしていた。権力を持ち得た者とは、このような顔をするものなのか。


 ヴィレムが落胆と憐憫の情を抱いた瞬間、その者は遥か高みからこう告げた。


「ルーデンス魔導伯。汝には謀反の疑いがかけられている」


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