60 王侯貴族の目に映るのは
ノールズ王国首都の王城では、貴族たちが一堂に会していた。
今後の段取りを決める会議であったのだが、果たしてその中身があったのかと言えば……。
「陛下、今日もお見事な采配でございました」
「予定通りに進んだのも陛下の御威光があればこそでございましょう」
お世辞を言う貴族たちは、古くからノールズ王国国王に仕えている家の者たちだ。土地は大きくこの王都にほど近いところにあり、それゆえに小競り合いや他国との軋轢などとは無縁で、領民は平穏な暮らしをしている。
しかし、その平和に陰りが見えてき始めたのは、つい最近のことである。
ことの発端は、ノールズ王国東に存在している小さな領内で農民の反乱が起きたことだ。なにも珍しいことではなく大抵は自然に収まるものだが、そのときは上手く偶然が絡み合って、農民らが勝利することになった。もちろん群雄割拠のこの時代、すぐさま力ある者が土地を押さえ、領主がすげ代わることになった。
そこから事態は急変する。
その小さな領主は次々と敵を打ち破り、その足を西へ西へと伸ばしてきた。
王へと恭順の意を示すべく叛意のなきことを筆で伝えてくるも、そのときにはすでに彼ら貴族の目と鼻の先に、かの男はいた。
ルーデンス魔導伯。
そう名乗った男は、まだ齢十四の少年であった。
なにをそんな子供相手に恐れているのかと言われれば、貴族たちにとっても口にはできない答えしかない。
彼らは戦争をほとんど経験したことがないのだ。
貴族の役割は戦うことである。迫ってくる外敵を打ち倒し、領内の安全を確保することが役目なのだ。
これまでは迫る敵があまりにも小さく、王の威光をチラつかせれば勝手に下手に出る者しかいなかった。だから戦うことは、パンをかじることや狩りに出かけることとそう違いがあるものではなかった。しかし、今度はどうか。
ルーデンス魔導伯なる男は、レム教を信仰しているという。このノールズ王国で広く信じられている神魔教ではなく。
レム教の教徒は取るに足りない異教徒と断してしまうには数が多く、かといって政治体制を揺るがすほどの規模でもない。それゆえに面倒事と腫物を扱うように放置されてきた宗教なのだが、それが今になってこれほどまでの存在感を持ち始めるとは、一体だれが思っていただろう。
そのレム教というのは、魔法を神の奇跡としている一般的な宗教と異なり、魔法の研究を行う変わり種である。
そしてルーデンス魔導伯はその力によってここまで成り上がってきたとも言われており、得体の知れなさがあった。
無論、貴族たちはそのような噂が本当であるとも思えなかった。魔法とは神に与えられる奇跡であり、選ばれた者たちが手にすることができる、ほんの些細な力だからだ。
しかし、ルーデンス魔導伯が領地を手に入れたのも事実。逃げ帰ってきた兵による噂はこの王都にまで届いており、とかく恐ろしく神すら恐れぬ人物であると、口をそろえて言うとのことだ。
諸侯たちにとって、無視できる話ではない。だが、自ら揉め事に首を突っ込むことを避けたかった貴族たちは、ここぞとばかりに王の威光を借りることにしたのだ。
果たして、ルーデンス魔導伯は手紙を受け取ることになった。
ノールズ王国国王アルベール・ノールズは、会議が終わると貴族たちとの歓談の時間を取ることにしていた。彼はひどく凡庸な人物で重要な決定はほとんど貴族たち任せであったが、人の敵意に関しては鋭敏だったようで、裏切りに遭ったことは一度もない。
そんなアルベールと親しげに話をしているのは、古くからの友人であるパーシヴァル・グラフトンである。
パーシヴァルはアルベールより二十ほど年上で、傍目から見ると父と子くらいの年の開きがある。しかし、だからこそうまくいっていたのかもしれない。
パーシヴァルはアルベールが幼い頃にはすでにグラフトン領を治める領主であり、アルベールは彼から貴族のなんたるかを学ぶことになった。
そしてアルベールが即位しノールズ王国国王となったときにはすでにパーシヴァルは息子に爵位を譲って隠居しており、この王城で王を補佐すべく動く生活をしていた。
だから第一線を引いておりこれといった出世欲もない彼は、自身の領地を第一に考える貴族たちよりも信頼がおけるのもあって、アルベールはあれこれと相談することが多くなった。
もちろん、貴族たちにとっては目の上のたんこぶである。とりわけ、うまく王を利用してやろうと考えている者たちにとっては。
しかし、今回はそのパーシヴァルに向けられている視線に棘はない。彼が国王アルベールに、ルーデンス魔導伯が謁見するよう勧めたからだ。そして今日、彼の使者がこの要請に応じる旨を伝えてきたのである。
そうして貴族たちが遠巻きに、視線を気取られないように見守る中、アルベールはワイングラスを傾けながら何気なく口にする。
「それにしても……そのルーデンス魔導伯という者。なんでもシャレット家の子だと言うではないか」
「ええ。そう聞き及んでおります」
「あの家は堅実な傾向があり、その分目立った成果もなかった。魔術師が輩出する下地があったとは思えぬ。なにか聞いてはおらんのか?」
話を振られた貴族の一人が、「戯言でしょうけれど」などと笑いながら噂話について述べる。アルベールとて、具体的な何かがあったとは考えているはずがないと知っているからだ。
英雄とはいつの世も、人々が想像だにしないところから現れ、想像だにしない偉業を成し遂げるからこそ、そう呼ばれるのだから。もちろん、彼が国を富ませる英雄なのか国家を揺るがす梟雄なのかは、これから判断されることになるのだが。
「我が国内では、魔術師になり得る薬が出回っていると聞きます。彼もそれを飲んだのかもしれませんな」
退屈な城内にあるせいか世間話好きのアルベールは嬉々としてその話に膝を打った。
「見事な推理だが、それには見落としがあるな。ルーデンス魔導伯があの土地を取ったのは一年前。そして薬の噂はつい最近だ」
「やや、これは一本取られましたな」
得意げなアルベールに、貴族たちは賛辞を贈る。
「ですが、彼がそれを広めはじめた可能性もございます。なんでも、聖域で化け物を倒していたとか。これが彼の実験だというのも否定できないでしょう」
彼らは名探偵にでもなった気分で、口先ばかりの言葉を吐き出し具体的な話もせず、こんな調子であるのは結局のところ、今回もなんとかなるだろう、これまで通りつつがなく終わってくれるだろうと思い込んでいるからだ。
そんな王と取り巻きたちをどうかと思うものがいないわけではないが、ここにいる者は皆が皆王都近しい人物たちだ。本質的には変わらないのである。
ずっと賑やかな雰囲気が続く中、一人の貴族がアルベールに尋ねる。
「ところで陛下、殿下の御婚約の日取りはいかがいたしましょうか」
ここでいう殿下とは、第二王子ペール・ノールズのことである。
第二王子はノールズ王国の気風を反映したように温和な第一王子とは違って意欲的、悪く言えば強引な人物であった。それゆえに優柔不断なアルベールともそりが合わず、あまり二人でいるところを見たものはいない。
それゆえにアルベールは息子の祝い事だというのに、なんとも答えにくそうな顔をして言葉を濁すばかりだった。そこには、息子を政略結婚に利用した、という引け目もあるのだろう。相手は帝国の王女なのだから。
そこには第二王子へのあてつけも多少なりともあったのだろう。王国の生ぬるさや古びた歴史に縋っているのが合わず、より強大な力を求める帝国への関心を持つことから、帝国かぶれと揶揄されている彼には相応しい相手だ、と。
「早いうちがよろしいでしょう。男というものは、妻ができてこそ落ち着いてくるものですから」
パーシヴァルがそう勧めると、さすがにこの年上の友人の言葉を無視はできないのか、アルベールも頷くばかりだった。
そうして様々な思惑を孕んだ視線に見送られる中、やがてアルベールは退室していった。
この数日後、ヴィレム・シャレットが首都に到着したという報告が上がった。