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57 ルーデンス領を二人で


 ヴィレムはクレセンシアと街中を歩いていく。

 誰もがヴィレムの顔を覚えているわけではなく、そしてルーデンス魔導伯といえば濃紫のローブという印象が強いせいか、多くの市民は彼を見ても彼だと気付いていないようである。しかし、クレセンシアに関してもそうかと言われれば、素直に頷けるものではない。


 もともとこの国ではレム教の保護によって狐の獣人は他の獣人よりも多かったが、ヴィレムがレム教とのかかわりを強めていることもあって、その傾向がより見られるようになってきている。


 とはいえ、尻尾を持たない人間のほうが圧倒的に多いのだから、黄金色のふわふわした毛はどうしても目立ってしまう。なんせヴィレムに「これほど美しいものはあるまい」などと言わしめるほどの毛並みだ。


 それだけではない。ヴィレムをすっかりべた惚れにさせている彼女は、たとえ耳と尻尾を隠して農民と同じ格好をしていても、たった一度微笑むだけで人々を魅惑してしまうほどの美貌を兼ね備えていた。


 そんな彼女が道を歩いていれば、自然と人目を引くのも無理もない。


「……尻尾、隠してきたほうがよかったでしょうか?」


 クレセンシアは尻尾を撫でつつヴィレムにそう尋ねる。


「いいや。君が周りに合わせる必要はないよ。なんだったら、君が気にしなくて済むように、尻尾の飾りの着用を義務化させてもいいくらいだ」

「ではヴィレム様にそうしていただきましょう」


 おどけたヴィレムにふざけるクレセンシア。二人のいつもの調子だ。


 街中は日頃から視察しているため物珍しさはないが、来るたびに違った景色が見えるものだ。たとえば未熟だったパン屋の弟子が窯を任されるようになっていたり、商人が一風変わった品を露店に並べていたり、はたまた建物の看板が取り換えられていたり――。


 人々はそんな変わり映えのしない日常を生きている。ここにいる者たちは戦いとは無縁で、ずっとずっと平凡な日々を過ごしているのだ。


 しかしそれこそ戦乱の世では、理想的でないかとすらヴィレムは思う。

 ヴィレム自身、ただこうしてクレセンシアと一緒に歩いているだけで夢見心地でいられるのだから。


 そうしていると、客寄せを行っている店の看板が目に入る。オットーが推していた店のリストに上がっていたはず、とヴィレムは思い返す。


 なにやら珍しいものがあるようだ、とヴィレムとクレセンシアが二人して人垣の向こうを覗いてみると、果汁を凍らせたシャーベットを主に売っていることがわかる。


 レムの時代では魔術師が大量にいて、魔術そのものに関する理解は共有されていることが多かったため、吸熱の魔術を使える者も少なくなかった。


 それゆえにこうした氷菓もよく見られた――といっても市民が手を出すものではなく、魔術を不純に扱うと見なす者もいたためこっそり魔術師が私的に楽しむのが主だった――のだが、この時代では魔術師がそもそも少ないため、ほとんど見ることもなかった。


 だから気になって店内を眺めてみると、店の奥で働いている女性の姿が明らかになる。

 何名かがせっせと動いているのだが、皆が皆、薄紫のローブを纏っており、そこに隠された臀部や布を纏った頭部はこんもりしている。


 あのローブはレム教のものであるから、働いている者の素性はおおよそ予測が付く。おそらくは狐の獣人なのだろう。


 布はなにも獣人であることを隠すためのものではなく、毛の混入を防ぐためのものだろう。彼女たちからはこれといった引け目は感じられなかった。


 狐を保護しているレム教の者はともかく、そうでない者たちにとって狐の獣人はまだ親しいものではない。


 けれど、やはり民草にとって大事なのは自身の生活なのである。


 もともと魔法を神の奇跡として崇めていた神魔教と違って、ヴィレムが主導するレム教では魔術を人の役に立たせることに重きを置いている。

 だから毒の魔術を用いて殺菌し安全な飲み水を作ったり、こうして吸熱の魔術を用いて氷菓を作ったりしてくれるレム教の人気は実益的な意味で高く、彼らが保護している狐を無下にすることもなかった。


「シア、一つどうかな?」

「そうしましょう、美味しそうですねっ」


 クレセンシアは尻尾を振りながら列に並んだ。

 そうして待っている間でさえ、二人の話題も笑顔も絶えない。


 やがて彼らの番がやってくると、獣人の女性がヴィレムの顔を見るなり、あっと声を上げそうになるのだが、ヴィレムは内緒だとばかりに自身の口に人差し指を当てた。今は堅苦しい用事ではないのだから。


 それから近くの椅子に腰を下ろして、二人でシャーベットをつつきながら、ヴィレムが笑う。


「なんだか見つからないようにしているみたいだったね」

「ヴィレム様が悪戯をして、父上に怒られないよう隠れていたときが懐かしいですね」

「あれは悪戯をしたわけじゃないよ。魔術の練習をしている途中で、失敗しただけさ」


 そんな昔のことを話したりしながら、のんびりしていると、向こうに見知った顔を見つけた。魔術師隊の隊長クリフと中隊長トゥッカである。


 二人してなにをやっているかと思えば、路上で言い合いをしているのだ。魔術師隊の名を背負っているとはいえ、今は非番ゆえに自由なのだが……そろそろ人目を引いてしまいそうである。


 しかし今はクレセンシアと一緒だ。ヴィレムが躊躇していると、クレセンシアはてくてくと二人のところに行き、小首を傾げた。


「なにかあったんですか?」


 そう尋ねると、まずクリフが口を開いた。


「クレセンシア様。これからミシュリー――トゥッカの妹のところに行くのですが、なにか土産を買っていこうと思いまして。そこで人形などどうかと主張したのですが」

「えっと……人形遊びをするような年ではなかったような気がするのですけれど……」


 クレセンシアが狐耳を動かしながら、なんとか彼女の情報を思い出そうとする。しかし、会ったこともないためほとんど覚えてもいなかった。


 クリフがダメだしされると、今度はトゥッカが告げる。


「ですから、それよりも本のほうがいいのではないかと言ったのです」

「いや、書物はもうすぐ安くなるから待ってたほうがいいぞ。どうしても欲しいのがあるなら別だけど」


 今度はヴィレムが言う。

 今朝オットーが持ってきたように、新しい製法で紙が作れるようになったため、ある程度安くなる見込みがあるのだ。


 さて、先ほどまで盛んに言い合っていた男二人は、顔を見合わせておろおろしていた。自信満々に言っていたが、結局のところ、なにを買えば喜ぶのかよくわかっていなかったらしい。そもそも、長らく考えて出てきたのがその二つだけだったようだ。


 そしてヴィレムもまたクレセンシア以外の女性など知らないため、こちらもだんまりである。そうしていると、クレセンシアが口を開いた。


「ほかにも色々あるではありませんか。巷で流行っている園芸とか、綺麗な装飾品とか。そういえば、妹さんは歌がお好きと聞いていましたが、楽器などでもよいのではないですか?」


 言われてトゥッカはなにか気が付いたようだ。

 顔を上げ、うんうんと唸っている。


「そういえば……欲しがっていたが、高くて買えなかったんだよな。一回言ったきりだったから忘れてたが……」


 時間をかけてようやく思い出したトゥッカは、早速店を探し始めた。

 そしてヴィレムとクレセンシアもまた、二人きりの時間を楽しみ始める。


「こうして少しずつ、変わってきたのですね」


 クレセンシアがヴィレムに言う。


「ああ。ただ生き延びるために生きてきた彼らが、あのような時間を過ごしている。皆が皆、そうなんだろう」

「これからも頑張らねばなりませんね」


 クレセンシアはぐっと拳を握り、ヴィレムに微笑んだ。

 そう、これからもずっと戦いの日々は続く。だけど、今だけは。


「シア、もうそろそろお昼になる。一緒にお菓子を食べよう。とびっきりの美味しいものを」


 この時間だけは、失ってはならない。

 ヴィレムは雑事を頭の隅に追いやって、今を生きることにした。


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