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56 ルーデンス領の日常



 ルーデンス領主都の市外に設けられた訓練所では、兵たちが盛んに剣を振るっていた。その多くが領主ルーデンス魔導伯に仕える魔術師たちである。


 ここは長距離を短時間で移動できる魔術師たちにとっての拠点の一つとなっていることもあって、他の都市に比べると魔術師の数がとりわけ多く、一般の兵の姿は見られない。というのも、必要がないからだ。


 都市内部における揉め事を取り締まる者は別にいるため人員は足りており、ルーデンス魔導伯のお膝元で荒事を起こそうなんて輩もいやしない。

 それゆえにこのあたりで見られる佩剣した者と言えば、剣士隊の一員がほとんどだ。


 しかし、今日は訓練所の端で、魔術師隊の者が剣を振るっていた。


 深緑の剣身が幾度となく翻り、鮮やかな軌跡を見る者の目に残していく。剣士隊のものに比べれば多少の雑さは残っているが、一太刀ごとに才能の片鱗が見え隠れしている。剣は主人の開花を今か今かと待ち侘びているかのよう。


 そして緑の剣戟を受け流すのは、鉄の剣だ。こちらは相手をするのがやっとという具合であるが、それは反応速度に劣るからではなく、剣の扱いに慣れていないからだ。


 なんとか鉄剣を振るっていた男――魔術師隊隊長クリフは距離を大きく取ると、風刃の魔術を素早く無数に発動させた。


 不慣れな剣とはまるで異なって、こちらはよどみなく自然に行われていた。それゆえに魔術の起動から発動までの時間遅れは存在せず、相手が回避する隙を与えない。


 魔術師が近接戦闘を行わない傾向が強いのは、偏に魔術のほうが危険が少ないからだ。そして魔力が存在する限り、一方的に攻め続けることだってできる。


 猛攻に出たクリフが生み出す幾何模様をしかと捉えた相手の少年は、常套手段である土の魔術による防御をすることはなく、剣を前に突き出した。


 そして次の瞬間、剣が一気に開いた。

 あたかも皿に注がれた水が瞬く間に広がっていくかのように、剣は形を変えて少年の前面に展開されて盾となる。


 金属音が響くも、緑の盾には一切傷が付くことはなく、背後の少年に衝撃を伝えることを許さない。


 その隙に少年は幾重にも幾何模様を生み出し、盾の側面から回り込ませるように移動、そこで魔術を発動してクリフを追い詰めようとした。


 だが――。


 彼が生み出した幾何模様は、いつしか掻き消されていて、どころか彼自身が多重に絡み合った幾何模様に囲まれている有様だった。


 少年はさっと手を上げる。


「参った。……それにしても、解除の魔術か。いつの間に覚えたんだ?」


 相手の用いた魔術に対して相応しいもの用いなければならない解除の魔術は、判断力と知識、そして経験が求められることになる難しいものだ。


 問いに対して、クリフは得意げな笑みを浮かべた。


「お前がそうやって、竜銀に夢中になっている間だ。なにも、ヴィレム様から手札を与えられたのはお前だけじゃないってことさ、トゥッカ」


 クリフは慣れない鉄剣を手の中でくるくると弄びながら――いや、途中で失敗して落としつつも何食わぬ顔をして――目の前の少年トゥッカを見る。


 トゥッカは腕輪のようになって手首に巻きついた竜銀を眺めていた。


「本当に俺が貰ってもよかったんだろうか、この装備。俺よりもっと相応しい者がいるんじゃないかという気がするよ」

「気にするな。お前が勝てなかったのは腕が未熟なのではなく、俺のほうが魔術の扱いに長けていたというだけのこと」

「知ってるさ。そしてクリフが俺よりももっと剣が使えないことも。だから隊長じゃなくて中隊長の俺に回ってきたってことは知ってるけどさ……」


 つい先日、アバネシー領に出掛けていったヴィレムは竜銀を持ち帰ってくるなり、嬉々として隊長、それから中隊長を呼びつけ、あれやこれやと実験を行った後、相応しいものに相応しいものを優先的に回すということで、一人ずつオーダーメイドで装備を渡しているところであった。


 その際、クリフは隊長でありながらにして、トゥッカよりも後回しにされたのである。もちろん、それは彼の魔術の腕前ならば、竜銀を用いる戦闘を無理に行う優先順位が高くないということであり、信頼されていないわけではない。


 だからトゥッカが言っているのは「隊長であるクリフより先んじていること」を憂いているのではなく、例えば剣の扱いならば「小隊長以下であっても剣士隊の者にも優れた人物がいる」ということだ。


 そもそも、クリフとトゥッカは地位の差が多少あるとはいえ、元は同じシャレット領の貧民街の出身であり、ヴィレムが深い考えもなく設立した子供の隊のときから親友としてやってきた仲である。なにも気兼ねすることはなかった。


 加えてトゥッカは特に出世を考えているわけでもない。ヴィレムへの忠誠がないわけではないのだが、彼にとって一番優先すべきことは――


「そういえば、トゥッカのところの妹は元気にしているのか? トゥッカはしばらくルーデンス領から離れてたんだろ?」

「今日は帰るよ。そろそろ不甲斐ない兄に頬を膨らませている頃だからね」

「そうするといい。ちゃんと土産は持ってきたのか?」


 クリフが問うと、トゥッカは予想外のことを聞いたとでも言いたげな顔をした。


「いや……土産よりその分の金を渡した方がいいだろ?」

「気持ちの問題だろう。細やかな気配りが女性には必要なんだ」


 クリフが滔々と語る。トゥッカがそんな彼をじっと眺めてから、口を開いた。


「それ、誰の受け売り?」

「……ヘイスだ」


 ため息を吐くトゥッカ。


「そんなことだと思った。だいたい、クリフが女性と一緒にいるところなんて見たことないし」

「いや、でもな。ヘイスはあんなんだが、あれでも意外と受けはいいらしいぞ」

「俺が欲しいのは口説き文句じゃなくて、可愛い妹をなだめる方法なんだよ。……まあいいや。クリフ、この後暇だろ? ちょっと付き合えよ。妹が会いたいとか言ってたのを思い出した」

「……俺を機嫌取りの出しにするなよ」


 クリフは剣を元の位置に立てかけると、訓練所の入口へと向かっていく。そして振り返り、トゥッカに告げた。


「ほら、さっさといくぞ。仕方ないから、手土産は途中でなにか俺が買ってやる」


 なかなか満更でもない顔をしながら。



    ◇



 ルーデンス領の主都の居館は今日も慌ただしい。普段はオットーがなにからなにまで取り仕切っており、如才なくこなしているがゆえにそこまででもないのだが、ヴィレムが帰ってきてからというものの、とにかく仕事が増えていた。


 そのヴィレムもまた、執務室で頭を抱えながら、書類の束と格闘していた。

 オットーのおかげでどうでもいい紙きれは回ってこないので助かっているが、それでも領主ともなれば確認しておかねばならないことが多くなる。すべて任せるよ、なんて言ってしまえばそれまでのことなのだが、重大な事項を知らずに危機に陥ってしまった、などと後から文句を言う相手などいやしない。できうることをしておきたかったのだ。


 最近はずっと戦いが続いていて、それが終わればアバネシー領で約束を取り付けてきた。ようやく戻ってきて、腰を落ち着けたいところなのだが……。


 アバネシー領との交易の中でも聖域関連はすべてヴィレムの確認を取ることにしているため、増えた分の書類がそのままヴィレムのところまでやってくるのだ。


 聖域で採れた鉱石のリストを見て、「あのときとは産出量もまるで違うなあ」などと呟き、食料の輸入予定量を見ては「これがあれば、かつてのあの料理もできるのではないか」などと晩飯のことを考えていたのも束の間。今ではとにかく事務的に目を通して、サインをしていく。


 紙が一枚ずつ左から右へと動くたびに残り枚数を数えていたのは、百を超えないあたりまでだった。


 早起きしてせっせと続けてきたおかげで、昼前にはすべての書類が片付いた。ヴィレムは時間を確認して、大きく伸びを一つ。


 早速、この束をオットーに持っていってやろう。そう思って腰を浮かした瞬間、ドアがノックされた。


 ひょっこりと顔を覗かせたのはオットーである。


「ヴィレム様、ようやく終わりましたね」

「どうだ。俺もやるときはやるだろう?」

「ええ、予想通りです。まさかぴったりだとは思いませんでしたが。……というわけで、次の仕事を持ってきました」


 オットーはドアの死角から手押し車を引いてくる。その上にはこれまた紙の束。

 それを見るなり、ヴィレムは口をあんぐりと開けたまま、青ざめていく。なにやら言いたいことがたくさんあった彼だが、口から出てくるのは空気のみ。


 そんな彼を見てオットーは楽しげに笑った。


「おやおや、どうなさいましたか?」

「そ、そそそそれは一体なんだねオットー君。聞いていないぞ、俺の仕事はこれで終わりだって、そう言ってたじゃないか」

「ええ。先ほどのは冗談ですよ。いつもひどい扱いをされている私の辛さを知ってもらおうかと思いましてね。さて、これはなにかということですが……紙ですよ」


 オットーは紙を一枚つまみあげて、ひらひらさせる。両面にはなにも書かれていない。積んであるものはすべて同じである。


「聖域で採れたという植物から作らせてみたものですよ。ヴィレム様が言っていた通り、思った以上に高品質なものができました」

「……はあ、それを先に言えそれを」


 ヴィレムはあたかも死地から戻ってきたかのように安堵の息を吐いた。オットーはそんな彼を見ながら、ヴィレムが討伐した書類をざっと確認し始める。


「それにしても、ヴィレム様でもあんな顔をすることがあるのですね」

「当たり前だ。シアとの約束があるのだから。間に合わなければどうしようかと思った」

「ははあ、すっかり尻に敷かれているんですね」

「そういうわけではないけれど……最近はずっと、彼女にも忙しい思いをさせてしまったからね。たまには一緒にお菓子を食べる時間を作ることにしたのさ」


 ヴィレムが言うと、オットーは「そう言うと思っていました」とポケットから一枚の紙を取り出してヴィレムに差し出した。


 そこには、女性に今流行のお店などがリストアップされている。


「このままだとどうせ適当に連れまわしてクレセンシアさんに呆れられると予想していたので、作っておきましたよ」

「……まったく、シャレット領にいたときはオットーはここまで才覚があると思ってもいなかったよ。嬉しい誤算だ。そしてここまで皮肉屋だったともね」


 ヴィレムの軽口に対しオットーは肩をすくめながら窓際に行くと、窓を全開にする。心地好い風が吹き込んできた。


「さあ、行ってらっしゃいませ。もうすぐ時間なのでしょう?」

「窓から出て行けとは……領主に対する敬意とかないのか?」

「このほうが早いでしょう?」

「もっともだ。じゃあ、あとは頼んだよ」


 ヴィレムは窓からひょいと飛び下りると、そのまま風の魔術を用いて滑空し、一気に城壁の向こうまで飛び下りた。


 それから辺りを見回すと、黄金色の尻尾が目に入る。


「お待たせ、シア」


 彼女はヴィレムの存在に気が付くと、満面の笑みを浮かべ、尻尾を振りながらやってくる。たまには市井の者と同じように、と待ち合わせをしてみたのだが、なんとも新鮮な気分であった。


 ヴィレムは早速彼女の手を取って、一緒に街中へと繰り出した。

 今はもう濃紫のローブも来ていない。ルーデンス魔導伯とその従者の影はすっかり鳴りを潜めて、十四の少年少女は人並みに紛れていった。


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