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54 マーロの覚悟


 マーロ・アバネシーは木箱にどっかりと腰を下ろしたまま、忙しなく視線を動かしていた。


「遅い。まったく、あいつらはいつまでかかるんだ。そんなに時間はかからないと言っていたのは誰だ」


 じれったくて仕方がない様子でマーロはぼやく。

 そんな彼の隣にいたラウハは笑顔のまま、尻尾をぶんぶんと振る。


「マーロ様、まだそれほど時間は経っていませんよ。せっかちですね」

「俺は暇じゃないんだ」


 元気に動いていたラウハの尻尾をむんずと握るマーロ。反論できないときなんかに、彼はよくこうすることがあった。ラウハも満更でもないのだが、たまに汗ばんでいることがあって、そのときはちょっぴり嫌な顔を隠せなかったりもする。


「優しくしてくださいな」


 ほんのりと顔を赤らめるラウハを見ずに、マーロは尻尾を持ち上げたり握ったり、とにかく落ち着かずにいた。


 そうしてこのような場所にいても日頃と変わらぬ振る舞いを見せていた二人であったが、突如、ラウハが狐耳を立てた。


「マーロ様、騒ぎがあったようです! 見てきますね、マーロ様はここにいてください!」


 すぐさま立ち上がり、飛び出さんとするラウハ。が、すぐにそのまま倒れ込んだ。


「ふぎゃん!」

「馬鹿、尻尾掴まれたままだろうが。ええい、お前なんぞに任せられるか、俺が行く」


 マーロは立ち上がり、扉のところまで行くが、干戈の音が耳に入ると否が応でも震えずにはいられなかった。


 その隙にラウハは彼のところまでやってきており、ゆっくりと開けた隙間から外を覗く。

 すると、見えたのはヤニクの兵たちと切り合う化け物の姿だ。


 ラウハもマーロもすっかり青ざめ、扉をしかと閉めると息を殺し始める。隠れていれば、気付かれないはず。


 振動が伝わってくると、二人してびくりと震え、ラウハの尻尾はすっかり垂れさがり、マーロは歯がカチカチとならないよう震える口元を無理やり手で押さえ込んだ。


 そして訪れる静寂。戦いが収まったのかと安堵の色を見せた瞬間、これまでとは比較にならぬ大音声が響いた。

 

 音源はすぐ目の前。壁をぶち破り入ってきたのは、人型の肉塊である。


 マーロは尻餅をつきつつも、慌てて扉を蹴破って外に逃れる。ラウハの視線は彼と異形の化け物の間を行ったり来たりしていた。敵が恐ろしく、けれどマーロを守らねばならない。そんな葛藤を秘めて彼女は外に出た。


 素早く辺りを見回せば、倒れた集落の人々が見える。すでに息絶え身動きもしない彼らの姿に、ラウハは我が目を疑うことしかできなかった。


 この時代、人死には珍しいことではない。けれど、マーロの庇護下で育った彼女はそういった世の現実からは遠ざけられていた。


 知識として知っていることと現実に見るのではまるで異なる。その強い印象に足を止めかけた彼女を、マーロが引っ張った。


「逃げるぞ。こんなところにいられるか」


 ヤニクの兵たちはすでに円陣を組んで自身の身を守ることしかできなくなっており、もはや当てにならない。いや、もしかすると、端からマーロを守る気などなかったのかもしれなかった。


 マーロは目で馬車の在り処を示す。そこにいる馬を使えば、近くの都市までは逃げられるはず。彼とて貴族、乗馬程度の技能は身に付けていた。


 必至で足を動かすも、二人は日頃から訓練を行っているわけではない。見えているはずの馬がやけに遠く感じられる。


 もう少し。あと少し。息をしているはずなのに、どんどん体から奪われていくように、苦しくて仕方がない。


 それでも必死に自らを鼓舞する二人であったが、いつしか眼前に先の化け物が立ちはだかっていた。思わず力が抜けて、ラウハはぺたんとその場に座り込んでしまう。けれど、彼女の後ろには動けずにいるマーロがいる。


「マーロ様! 逃げてください!」


 ラウハは震える手を突き出した。

 その腕に纏っていた装飾具から幾何模様が浮かび上がり、風の刃が放たれる。


 ヴィレムから護身用に貰っていたものであり、魔術の素養がないラウハであっても使用することができる代物だ。


 しかし――。

 放たれた刃は敵の胴体に食い込むも、両断するほどの威力はでない。いかに効率よく用いようと、そもそも魔力が少なければどうにもならなかった。


 懸命に放つラウハであるが、敵はドンドン近づいてくる。

 彼女の震えが大きくなった瞬間、マーロは走り出した。


 彼は一刻も早く、こんなところから逃げ出したかった。敵が目に入らぬところに隠れたかった。けれど……その前にやるべきことがあった。


「マーロ様!?」

「いいから、あいつを抑えてろ!」


 ラウハを肩に担いだマーロは、歯をかち合わせながらひた走る。走って走って、ようやく馬にまで辿り着いた。


 素早くラウハを乗せ、縛りつけていた縄を切って自身も飛び乗ると、馬の腹を挟んで駆けさせる。


 一刻も早く遠くへ。早く、早く、早く。

 焦燥感が時間の流れを遅く感じさせる。だから、彼らはその後に起きた現象をしかと見て取った。


 集落を取り囲むように生じた幾何模様が一斉に輝き、灼熱の業火を放った。家々が吹き飛び、大地が弾け、天すら嘆きの黒煙を上げた。


 マーロの体が投げ出されると、勢いよく地にぶつかり、体中が擦れて血が流れ出す。

 それでも助かりたい一心で顔を上げると見えたのは、臓物をぶちまけた馬に頭を突っ込む人型のなにかと、気を失ったラウハへと近づく足。


 マーロは痛みも感じずに、両手で地面を押し込むようにして体を起こす。


 すでに一帯は炎に包まれており、もう逃げ場なんてどこにもありはしない。死んだふりでもして、なにもかもを見ないで震えていたほうがよほど賢く幸せな選択だったのかもしれない。


 こんなときアバネシーの名はなんの役にも立ちはしないし、ヤニクの兵が見捨てたことからも、それはきっと真ならざる名なのだろう。今更どうこう足掻いたところで英雄なんかになれやしない。


 ヴィレムから貰った指輪の力があれば、自身を嫌なことから覆い隠す盾と化して、引きこもっていることだってできる。


 けれど、マーロは立ち上がらずにはいられなかった。

 馬鹿げている。どうかしている。短い時間であったがあんな狂った男と一緒にいたせいだろうか。


 しかし、迷うことはなかった。

 彼を「マーロ様」と呼ぶ者が倒れていたから。ここで立ち上がらねば、彼はこの先、「アバネシー」の名以外のすべてを失ってしまいそうだったから。


「俺を、誰だと思っている」


 彼はアバネシーの仮面を拭い捨てる。ずっと縋り続けてきた、なにからも守ってはくれない仮初の名を。


マーロ様(・・・・)が、怯えていられるものか。お前らごときに屈してなるものか。俺のものに、手を出させてなるものか!」


 彼は指輪を翳し、幾何模様で全身を覆う。そして指輪は形を変えていく。

 生じたのは自分を守るための盾ではない。確固たる意志が生み出したのは戦うための剣。


 無論、なんの技能もない彼が挑んだところで結果は見えている。だから――


 剣はさらに形を変え、マーロの全身を包み込む。そうして出来上がった深緑の鎧は、一歩を踏み出した。もう足は止まらない。


 すでにこのとき、鎧はマーロの支配下にはない。意図的に制御を、竜銀の指輪へと委ねたのだ。かつて、彼を襲った魔導鎧のように。


 恐怖はない。ただ一つ、大切なことを守るよう、この手綱を引くだけだ。


 飛んでいったマーロは剣を振り、少女へと伸ばされた異質な手を切り裂いた。そして素早く何度も何度も剣が振るわれる。


 敵の肉が切り裂かれ、千切れていく。

 このままならば倒せる。そう思ったマーロの目の前で、肉が膨れ上がり、元通りの姿を取り戻していく。そしてその腕がさらに巨大化し、彼の首を締め上げた。


 纏った鎧が軋む。その強度ゆえに潰されることはないが、このままでは時間の問題だ。敵の使用した幾何模様が入り込んできていた。


 そして多くの敵が集まってきている。どこにも勝ち目なんかありはしない。

 どんなに弱者が頑張ったって、どうしようもない差がある。命をかけたところで、変えられない現実がある。そんなのはわかってはいたことだ。アバネシーの名に隠れながら、そこから目を背けてきたのだから。


 マーロはぐっと歯噛みする。ようやく、未来へと踏み出せた気がするというのに。

 視界が滲んだ瞬間、目の前の化け物が弾け飛んだ。


「すまない、遅くなってしまった」


 そう告げられると、マーロはもうすっかり張っていた緊張が解けて尻餅をついた。いつしか、彼を覆っていた鎧は指輪に戻っている。


 そしてマーロが瞬きをするたびに、一体、二体と敵が倒れていった。


 与えられた才能にはどうやったって埋められない差がある。けれど、今はなぜだかそれが心地好い。


 浮かび上がる幾何模様は見事の一言に尽きる。あれこそが魔術師。あれこそが世を変えていく大物なのだろう。


 マーロはラウハのところまで行くと、怪我を治すための魔法を使用した。下手くそな魔法で、違いを嫌というほど実感させられる。


「うーん……マーロ様?」

「このアホ狐。主人をほったらかしにして寝ていてどうする。早く起きろ」


 しゅんとしてしまうラウハであったが、マーロの姿を見て嬉しさを隠せなくなる。マーロはラウハの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「仕方がないから、このマーロ様が敵を倒してやったぞ」


 そう言って胸を張るマーロに、ラウハは嬉しげに尻尾を振り返す。


「ラウハはマーロ様が立ち上がられる日を、ずっと心待ちにしていました」


 微笑む彼女はこれまでのいつよりも美しい。マーロはつい見ていられなくなって、そっぽを向いた。


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