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50 アバネシー領、北にて


 アバネシー領の北にはかつて魔術師たちが崇め、それゆえに異民族と争いを繰り広げた地、聖域が存在している。


 アバネシー家は古くからこの東の土地を有しており、長年、東の帝国や北の異民族との戦いの矢面に立ってきた。それゆえに王家からの信頼も厚く、人材や物資のやり取りも頻繁に行われていた。


 そうした歴史もあって、アバネシー領の主都は王都に近い西に位置しており、そこが文化の中心地になっている。そして東側は山林由来の資源を中心に開発が進んでいたが、南はあまり特色のない土地だった。一方、北部では聖域の影響もあって植生や魔物を含んだ動物なども異なっているため、ほかとは違う独自の文化を育んでいた。


 その北部をアバネシー家の家紋が付いた馬車が進んでいく。その中には、かの姓を持たぬ、どころかややもすれば敵対しかねない立ち位置の者も乗っていた。


「うーん、随分と街からは離れたというのに、街道はきっちり整備されているんだな。相当なお金がかかっているんだろう。いやあ、すごい」


 だからこそ馬車の揺れがあまり伝わってこないのだが、窓から外を眺めていたヴィレムは、特にそう思っている風でもない。


「……俺が税を搾り取っていると言いたいのか?」


 マーロがふんぞり返ったままヴィレムに問う。もっとも、南部から離れればマーロが管轄しているわけでもないし、あくまで彼が商業ギルドに与えた影響がここまで及んだだけだろう。


 しかし彼の姿はどう見ても、彼自身が言うような悪辣な貴族そのものに見える。もう少しお行儀よくすれば、いいとこのお坊ちゃんに見えるというのに。


「違うのか?」

「当たり前だ。俺を誰だと思っている」

「アバネシーのマーロお坊ちゃんだろ。いよっ、さっすがアバネシー!」

「馬鹿にしてるのかお前は」


 囃し立てるヴィレムに、眉を顰めるマーロ。

 そんな二人に代わって、ずいと身を乗り出したラウハ。


「マーロ様は必要以上に貪ることはしません! 適切な税をかけてはいますが、それも個人ではできない大掛かりな事業のために使っていますし、皆が皆喜んでくれています!」


 感極まって勢いよく立ち上がった彼女は、大きな音を立てて天井に頭をぶつけ、うずくまった。彼女は小柄なほうとはいえ、この馬車はあまり天井が高くないのだ。


 狐耳がぺたんと倒れ、その上から両手でぎゅっと押さえるラウハ。マーロはそんな彼女に呆れたような視線を向ける。いつもこんな調子なのだろう。


「馬鹿、気を付けろ」

「マーロ様、心配してくださるなんて……ラウハは感激してしまいました!」

「その石頭じゃ馬車がぶっ壊れかねないだけだ」


 ふんぞり返ったままそっぽを向くマーロを見ていたクレセンシアは、彼とヴィレムを見比べて笑う。


 一方で、ヴィレムは先ほどのラウハの言葉を反芻していた。

 皆が皆喜んでいる。確かに市民の話を聞いている限り、マーロの判断は今のところうまくいっているようだ。


 しかし、きっとこの世のどこを探しても、どんな英雄が辣腕を振るっても、誰もが幸せになることなんてありえるものではないだろう。誰かが得をすれば、どこかで損をするものがでる。そのどちらの程度が大きいのか、あるいは小さいのか。ただそれだけの違いがあるだけで。


 仮に街道が整備されたことで旅人や商人が得をしたとしても、一方でその分の税が商品の料金に上乗せされれば市民にとってはなんら利益にならない。


 改革には必ずそういった側面が付き纏う。だから、これからヴィレムがやろうとしていることにも、不平不満、はては憎しみや殺意を抱く者が出てくるだろう。


 しかしそれでも、立ち止まるわけにはいかない。すべてを放り出すわけにはいかなかった。


 そうしてそれぞれの思いを抱えながらも馬足は緩まず、やがてもくもくと煙が立ち上る街並みが見えてきた。


 この聖域に近い北部では鉱石が算出されており、工業が発達しているという。そして聖域から運ばれてきた物資はここで加工されて首都や王都など各地に運ばれていく。こうしてこのアバネシー領の産業を支えている都市は、華やかさこそないものの、活気で溢れている。


 馬車は都市の中へと進んでいき、中心を目指していく。


 ヴィレムは街並みを見ていたが、すぐに飽きて今後の予定を考え始める。


「で、俺はどうすればいいんだい。悪徳商人に騙された哀れな子羊を演出するのか、それとも金を搾り取られ明日にも怯える可哀そうな市民になりきるのか」

「普通にしていればいいだろう。どうせ、許可を取りに行くだけなんだから。俺は普段からここで商いをしているのだ。なにも問題はあるまい」


 マーロは慣れた風に言うと、ラウハがすかさず賛辞を贈る。


「マーロ様は、ご自身で各地へと赴かれ、その目で確認されているのです! 太っているのは、決して動かないからではありません!」

「お前は俺を馬鹿にしているのか」


 元気に立ったラウハの狐耳を、マーロが押し潰す。


「痛い! マーロ様、ぶつけたところグリグリしないでくださいっ!」


 そんなじゃれ合っている二人を眺めていたヴィレムであったが、いよいよ商業ギルドの支部に着くと、できるだけ大人しくしていようと心に決める。


 マーロが平時に取り扱っている量では足りないため、こちらにわざわざ現在では希少金属となった竜銀などを求めに来たのであり、その手続きだってすぐに終わるだろう。


 だからヴィレムがすべきことは、余計なことをしないだけだ。


 マーロはずんずんと歩いていき、その隣をラウハがお供する。

 すでに彼の顔は知れているらしく、お偉いさんたちがやってきて対応を始める。ヴィレムは少しばかり頭を下げると、もうほとんど無視されるも同然の状態になった。きっと、マーロの部下かなにかだと思われていたのだろう。


 はて、そうして進んだ話であったが、ギルドの者が頭を下げる。


「マーロ様、申し訳ありませんが、現在聖域に関する事柄はすべて、アバネシー公を通すようになっております。我々の一存では……」

「ならば俺に主都まで行けと言うのか」

「い、いえ。居城まで赴いていただければ……」


 かの者の言葉尻がどんどん小さくなっていく。

 面倒事を都市の支配者へと押し付けたいのか、それともなにか煩雑な手続きになるのか、彼らはあまり強く出られないようだ。


 マーロは一瞬だけ複雑な表情を浮かべたが、さっさと馬車に乗り込んでしまった。

 なんと声をかけたものかとヴィレムは思うも、なにも浮かび上がってはこなかった。


「見ましたか、彼らのお顔を。皆、マーロ様の威厳を前にして小さくなっていました!」


 狐耳をピンと立てるラウハ。ヴィレムもクレセンシアもしばし呆気にとられる。

 マーロはそんな彼女の尻尾をぎゅっと握った。


「お前、そこは気を遣うところじゃないのか」

「いったいどういうことなのです、マーロ様?」

「いや、その……結局のところ、俺とあいつらの関係なんて、そんなものだってことだ」


 支配者と被支配者ならば、あんなものだ。まして、彼らは自身の利益を守るために、極力関わりたくなかったのだから。


 そんな状況を平然と言ってしまうラウハだが、別にそういった関係はマーロが望んで作り上げたものではなかったようだ。単に、ラウハが全然気付かなかっただけである。


 マーロもなかなか苦労したものだとヴィレムは苦笑せずにいられなかった。


 そうこうしているうちに屋敷に辿り着き、一室に通されると、椅子に腰かけていた男がマーロを見遣った。


 年は三十かそこらで豪奢な衣服を纏っており、長身で見た目も悪くない。そしてなにより、いかにも貴族然とした優雅なふるまいをしており、ヴィレムやマーロとはまるで根幹から違うように見える。


「話は聞いたぞ、マーロ。出来損ないが商人の真似事をしているようだな。貴族よりはさぞお似合いだろう」


 高圧的な物言いに、思い切り言い返すかと思いきや、マーロは唇を噛んでいるばかりだった。


「どうした、黙っていないで座れ。俺はお前と違って暇じゃないんだ。用があるならさっさと済ませろ」


 マーロは珍しく、普段のどっかと腰を下ろす姿とは違い、ゆっくりとぎこちなく腰掛けると、用件を述べ始めた。


 交易のシャレット領への拡大と、新たな産業への投資。それから竜銀などの採掘など。

 ヴィレムがこちらに来た目的以外のことが、すらすらと彼の口をついて出る。


 ヴィレムとの交流だけが問題にならないよう配慮したのか、それとも忙しいマーロが大量の案件を貯め込んでいたのをここぞとばかりに放出したのか。


 マーロの口から言葉が出なくなると、それまでじっと聞いていた男は鋭い視線を向けた。


「……好きにしろ。ほとんど俺が出るまでもないくだらない用件だ。いちいち持ってくるものじゃない。だが、竜銀の採掘に関しては認められない」

「いったいなぜですか!」

「それはこちらこそ問いたい。なぜそこまでしてシャレットに肩入れする?」


 男がマーロに問うた。マーロはあたかも見下ろされているかのような錯覚を覚えて、狼狽えることしかできなかった。


 なにも、彼にとって答えを用意していないものではなかった。それでも、自分よりも細いはずの男はやけに大きく見えて仕方がなかったのだ。


 男はすっと立ち上がると、もう用などないとばかりに去っていく。バタンと閉じられた扉の音が、室内に響いた。


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