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4 騎士と末っ子

「お前ら、さぼってないでちゃんと――ってどうなってんだこりゃ。てめえら、まだおねんねの時間じゃねーぞ」


 たった一人で入ってきた男は倒れている兵たちを見て、呆れたように零した。

 それからせっせと剣を振るクレセンシアを見て、驚き呆れた表情を浮かべる。無理もないことだ、長らく一緒にいたヴィレムでさえ、驚かずにはいられない上達速度なのだから。


 ヴィレムはその男を上から下まで眺める。

 二十代ほどの若さでありながら口元には無精ひげを生やしており、それに見合った気だるげな態度。しかしその瞳に、見る者が見ればわかる秘められた強靭な意志。そしてなにより袖口から覗く引き締まった筋肉が、一目でわかる強者の証であろう。


 ヴィレムは試してみたくなる。自分の魔術師としてではなく、剣士としての技量はどれほどのものであるのかを。当初の見て覚えるだけの予定は、いつしか頭の片隅から欠落していた。


 抑えきれない興奮に押し出され、口から言葉が飛び出す。


「歴戦の強者とお見受けしました。お手合わせ願いたく」

「あ? 嫌だね、ガキのお守りは趣味じゃない」


 すげなく返され、ヴィレムは唖然とする。これほどの者ならば、戦いへの情熱だってあるはずだ。なにか理由があって失っているのか、それともやはり子供と侮られ、相手にもならぬと断じられたのか。


 ヴィレムはしばし煩悶を続けていたが、その視線が不意に男の胸元にある首飾りに行った。決して豪華な作りのものではない。しかし、庶民が手に入るようなものでもなかった。この出世街道の場末にいる兵たちには到底相応しくないものだ。


 ヴィレムはしばし思い悩み、けれどふと思い切って賭けに出ることにした。 


「こんなところで終わりたくないのですか?」

「……あ?」

「取り立てて言うべくもない、一介の兵で終わる未来に腐っているのではないですか、と尋ねたのです」

「言うじゃねえか。いいぜ、一介の兵(・・・・)に打ちのめされても、泣くんじゃねえぞ」


 男は足元に転がっていた剣の柄に靴を引っかけて蹴り上げ、ぱっと手に取る。

 ヴィレムもまた、下げていた剣を構えた。


 じっと相手の構えを眺めて、ヴィレムはようやく確信した。この男、やはりこの王都の出身ではない。どこかの騎士か貴族といった出自だ。ほかの兵たちのものとは異なり、独特でありながら洗練された構えだったのだ。我流であったり、数多の流派が混じり合っていればこうはならないだろう。


 伝手や財力、はたまた相続権、家の影響力が小さすぎたからこそこのような役職に甘んじているのだという、ヴィレムの推測は果たして当たっていたようだ。ヴィレム・シャレットという貴族の末っ子だからこそ、感じ取ることができたのかもしれない。


「ヴィレム様ー! 頑張ってください! クレセンシアがついておりますよー!」


 彼女は少し離れたところでぴょんぴょんと飛び跳ね、尻尾や手をぶんぶんと振り、全身で応援の意を示してくれる。


「けっ、モテるねえ、少年」

「ええ、できる男というのは、雰囲気からして違うものですから」

「ほざけっ!」


 男が一足飛びに切り込んでくる。

 速い。繰り出された剣を見るなり、ヴィレムは軽く受け流して横っ飛びに距離を取る。


「やるじゃねえか、でも逃げてばかりじゃ勝てねえぜ」


 男はますます勢いづいて、右に左に揺さぶっていく。

 付け入る隙を与えない連続攻撃が放たれると、ヴィレムは下がるばかりになる。


 が、男が言うように、下がってばかりでは勝機はない。体格で劣り、魔術もこれまでの戦いで使い過ぎている。このままではじりじりと敗北へと押し出されていくだろう。いつかどこかで、勝利への道を切り開かねばならないのだ。


 数度の打ち合いの後、横薙ぎの一撃が来る。これまでいくつの首を取ったのかと、感じさせる太刀筋だ。


 しかし瞬間、ヴィレムは前方に飛び込んだ。ここが勝負どころだった。


 身長の差が有利に働いて見事懐に入り込むと、ヴィレムは渾身の力で剣を胴体目がけて切り上げた。


 が、襲ってきたのは鈍い衝撃。蹴りだ。

 小さな彼の体はふっと宙に浮かんでいく。が、そこで気を失うこともなければ、痛みに悶えることもない。自身のすべきことは経験(・・)でわかっていた。


 咄嗟に風の魔術で体勢を立て直し、受け身を取った。

 そのときすでに相手はすぐそこに迫っている。剣を掲げている。今にも切り掛からんとしている。


 ヴィレムは思わず左手を前に出しかけた。彼の経験が無意識のうちに突き動かしたのだ。発動が早い風の魔術なら確実に仕留められる距離であった。


 が、その手をすぐに引っ込める。今は魔術師として戦っているのではない。あくまで剣士ヴィレムとしてこの場にいるのだ。それが幼い矜恃であったとしても、今の彼にとって大事なものであることに違いはない。押し隠すことはできなかった。


 すっと、首筋に剣が当てられる。ヴィレムは真っ直ぐに男を見上げた。


「……参りました。お見事です」

「なあ、さっき……なにをやろうとした?」

「なにも。……いえ、敗者は多くを語るべきではないでしょうから、剣士として失敗したとだけ」


 男はしばしヴィレムを見ていたが、やがて剣をそこらで寝ている男に放り投げた。すると寝ていた男はすぐさま起き上がり、剣をそそくさと回収していた。すでにおねんねの時間が終わっていても、打ち合う干戈の音に起き上がることができなかったのかもしれない。


「お前さん貴族、か」

「おや、どうしてわかったのですか?」

「わからないわけねえだろ。その年で魔法を使い、従者もいる。そんなガキがあちこちにたくさんいてたまるか」

「そういうあなたもそうなのではないですか?」

「いいや。取るに足りない騎士の三男坊さ。お前さんらとは違う」


 騎士と貴族。そこには明確な差があろう。

 仕える者と使う者。戦う者と戦わせる者。領地を持つものと、与える者。

 なにもかもが違う。責任も役割も。


 けれど、そこから程遠い末っ子にもなれば、未来はそう違わまい。その先は、自分自身に委ねられている。


「もう一度お手合わせ願えますか」

「いいや、ガキをいじめるのはもうたくさんだ」

「そうですか。……シア、帰ろうか」

「はい! 帰りましょう、ヴィレム様」


 ぱたぱたと尻尾を振りながらクレセンシアが駆け寄ってきて、ヴィレムは練兵場を後にしようとする。

 ここで起きたことは、たぶんなかったことになるだろう。大の大人が、子供にいいようにあしらわれたなんて、格好悪くて言えやしないから。


 今日はいい運動になった、とヴィレムが扉に手をかけたとき、後ろから声はかけられた。


「お前さん、名前は?」

「ヴィレム・シャレット。しがない貴族の末っ子さ。あなたは?」

「シオドア・アーバス。取るに足りない騎士の三男坊だ。凡庸に成り下がらないよう、期待している」


 二人は一度だけ視線を交わす。そうしてヴィレムは笑った。


「次は大舞台で会いましょう。そのときを楽しみにしています」


 扉の向こうに、彼の姿が消えていく。

 それから街に出ると、ヴィレムは自身の汗と泥にまみれた姿に苦笑した。またしても父上に怒られるかな、と。


「ヴィレム様、先ほどあれ、かっこよかったですね。男と男は視線で語るというやつですか? だから多くは語らないのですか? クレセンシア、憧れちゃいます」


 狐耳を大きく立て、楽しげに尻尾を振るクレセンシア。

 彼女に悪意はないのだろうが、ヴィレムはちょっと気恥ずかしくなって、あえてそっぽを向いた。


「人と人との付き合い方というものは、いろいろあるのかもしれない。人を動かすということは、思っていた以上に難しい」

「それはそうですよ。人の数だけ思いがありますから」


 クレセンシアはヴィレムの前に回って顔を覗き込んでくる。彼はぐっと拳を握り、無理やりにでも大きく笑った。


「次は勝つよ、絶対に。次この王都に来るときは、俺はただの貴族の子ではなく、大魔術師として赴くときなのだから」

「はい、頑張りましょう!」


 ヴィレムはそうして次なる目標を胸にするのだった。子供の夢物語が具体的な形を帯び始めた瞬間でもあったのかもしれない。

 隣にクレセンシアがいれば、それだって夢じゃない気がした。

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