45 拡大の終わり
ルーデンス領南西の都市へと進んでいく兵があった。
彼らが狙うのは、兵の姿がほとんど見えない小さな都市だ。三百はあろう人数に対し、都市が用意したのはたったの十人。
彼らは市壁の上から迫る敵を眺めていた。
その一人ヴィレム・シャレットは、隣にいた狐耳の少女クレセンシア・リーヴェに小さく告げる。
「予想通り、攻めてきたね」
「はい。そう仕向けたのですか?」
クレセンシアの問いにヴィレムは頷いた。
戦いの中でこの都市を奪い取ったのだが、ここでもヴィレムは「相手から仕掛けてきた」という体を取っていた。そして敵はまたしても奪われた都市を奪い返すために戦いを挑んでくる。
ヴィレムはあくまですべて、自身とその土地を防衛するために戦い、敵に反撃したついでに城も取ってしまう。表面上はそんな戦いをしていた。
当然、普通に攻めるほうが圧倒的に有利であり、わざわざ後手に回る必要はない。いきなり攻めていって準備のままならぬ相手を倒すほうがはるかに楽だ。
しかしそれでも、ヴィレムは敵が攻めてくるように仕向けていた。
より大きな目的のためには、ただ勝つだけでは十分と思えなかったから。人望を集めるだけの肩書が必要だったから。不安を感じた民が縋るたびに勝利する英雄像を演じていた。
ヴィレムはあえて諸侯にルーデンス領のどこの土地が弱いという情報を流し、そこを攻めるように仕向けた。といっても、かの領地に強いところなどなかったのだが。
各諸侯に同時期に噂を流したことや、まだヴィレムがルーデンス領以外の土地を持っていない、小さな領主だったときから行っていたため、誰も疑いはしなかった。そんな弱小領主が自らを餌にしようなどとは誰も思いもよらなかったのだ。
それゆえに、誰もが小さな土地を貪りにやってくる。しかし、今となっては諸侯が手出しをできないほどの大きさになっていることに、誰が気付いたであろう。たとえ気付いたとしても、常人ではたった一年の間にそれほどの変化があるなど信じられなかったはずだ。
「俺は卑怯者かい?」
ヴィレムがクレセンシアに問うた。
襲い来る梟雄をことごとく打ち倒し、住まう者に安寧と興奮をもたらす。しかしその実、自ら敵を引き込み思いのままにいたぶる、民を騙し敵を欺く奸雄に違いない。
そんな彼の問いにクレセンシアは答えず、逆に聞き返した。
「ヴィレム様は戦争がお好きですか?」
じっと見つめる彼女の瞳を前にして、ヴィレムは自身を飾ることなんかできやしない。
「俺にとって戦争というものは、あくまで過程に過ぎない。戦争それ自体に美徳を感じることはないし、悪徳を覚えることもない。住民たちにとっても、そういうものだろう。負ければ悲惨な目に会うが、勝てば自身が裕福になる」
限られた資源の奪い合いを続けている限り、その構造が変わることはない。だから、今以上の幸せを願うには、変える必要がある。発展をもたらさねばならない。
ヴィレムは視線をまだ遠くの兵に移した。
「たった一度でも負ければ、そのほころびがすべてに及ぶこともある。だから、俺は勝たなきゃならない。勝ち続けなければならない」
どこか張りつめた空気を感じ取って、クレセンシアが柔らかく質問した。
「ではヴィレム様がお好きなものはなんでしょう? 可能なものでしたら、頑張ってお贈りいたしますよ」
尻尾を振るクレセンシアをじっと眺めていたヴィレム、先ほどとはまるで違う表情を浮かべる。
「俺が好きなのは、君だよ」
そっと手を握るヴィレム。直視できずに赤らめた顔を背けるクレセンシア。
「……では、私が戦いなどしたくない。ずっと一緒にお菓子を嗜んでいましょうと頑なに言い張れば、どうなさるのです?」
目標である聖域の奪還と自分のどちらを選んでくれるのか、ということだ。
ヴィレムは答えに窮するしかなかった。なによりもクレセンシアが大切なのは間違いない。だが、やめろと言われて本当に止めることができるのだろうか。本意を押し隠して生きれば、この自分は一体どうなるのだろう。
まったく想像できない未来に、ヴィレムは戸惑うしかない。
これまでのどの表情とも違い、子供らしく困惑するヴィレムの背を、クレセンシアの尻尾がぽんぽんと叩いた。
「冗談です。きっと、そんなヴィレム様はヴィレム様らしくありませんから。クレセンシアはヴィレム様と一緒に頑張りますよ。さあ、敵がやって参りました。此度も勝ち取ってみせましょう」
クレセンシアが言うと、ヴィレムは腰の剣を手にする。
これはいったい、いつ手に入れたものだったか。戦いの中、そこらの兵から鹵獲したものだが、もう何本目になるのか、覚えていない。それほど戦いばかりの日常だったとも言えよう。
しかし、今日でもってそれもひとまず終わる。
この戦いをもってルーデンス領の南西部は制圧が終わり、南側に隣接する領土はシャレット領のみとなったからだ。
北のアバネシー領は広く歴史がある豊かな土地であり、北西部は王都に近く争いが比較的少ない土地だ。
西の諸侯も多くを押さえ、残すところは王に近しい人物が治める土地となっているから、手を出すわけにもいかない。
たとえ一国を相手にしても勝ち取る気概がないわけではないが、先ほど述べたようにあくまで戦いは必要な過程に過ぎず、国取りになど興味はない。そんなことをしていては、聖域を取るのが遅れるだけだろう。
つまり、これ以上ヴィレムが治めるべき土地が広がることはない。いや、その必要はないと言ったほうが正しいか。
聖域を取るにあたって十分な兵力を備えるには、これ以上の広さを無理に得る必要がなかった。あまりに広げても管理が行き届かなくなる。今度は、それ以外の方法で力を高めていくべきだろう。
「ヴィレム様。敵将が見えました。接近戦に持ち込む模様です」
と、魔術師の一人が告げた。
数百の兵を相手にして、なんら緊張したところがない。かといって、増援を当てにしているわけでもなかった。
主な戦力は北西の戦線に回している。向こうは多くの諸侯が攻めてきているため隊を分ける可能性もあり、指揮を執れる人物が多く必要だった。
だから、ここにいるのはヴィレムとクレセンシア、そして数名の魔術師だけ。しかし、それでも余裕があるだろうとさえ踏んでいる。
千の雑兵よりもたった一人の優れた魔術師のほうが恐ろしい。そのことを身をもって知っているからか。
「さあ、すべて蹴散らしてしまおう」
ヴィレムはゆっくりと全身から幾何模様を上らせる。
それらは複雑に絡み合い、雲霞の如く押し寄せる兵を、天と地で挟み込んだ。
どよめく彼らの声を掻き消す激しい雷鳴が轟いた。
ほんの一瞬。誰一人反応することもできずに眩しい光に包まれたかと思いきや、動くものはいなくなった。
雷の大規模魔術「天鳴」である。あたかも天が怒り嘆き悲しみ、感情を露わに叫んでいるようにも見えることからつけられた名に恥じない威力を持っていた。
たった一人の魔術師がいるだけで戦争などというものにすらなりやしない。だからヴィレムも魔術師の数と質を高めていかねばならないと思っていた。
一般の兵でも死なないように加減はしておいたが、個人差があるためどうなっているかはわからない。ヴィレムは魔術師たちに指揮官の確保を命じると、一息吐いた。
これから捕虜となった諸侯から土地を貰わねばならないのだが、ヴィレムにとっては戦うよりも面倒な作業であった。
「ヴィレム様。お見事でした。これからもクレセンシアに、その辣腕を見せてくださいね。ヴィレム様が望む未来を見せて、ともに歩ませてください」
半ば一方的に告げるクレセンシアに、ヴィレムは「任せておいて」と返した。
それからこの都市でのすべきことを終えると、彼は任せきりだった北西部の領地へと赴くことになる。そちらが終われば、ルーデンス領の居城に戻ることになるだろう。戦いが長引き、ルーデンス領にしばらく帰っていないため、なんとなく懐かしい心持ちだ。
田舎ゆえに、手に入れた別の土地に拠点を移してもいいのだが、やはりルーデンス魔導伯の名前がなによりもしっくりきていたし、東側の情勢も気になる。
そんなことを考えながら、ヴィレムは新任の隊長たちが上手くやっているだろうか、と思案しながら北西に向かうのだった。




