44 少年らの戦い
平原を千近い兵が移動していた。
彼らは一様に東を向き、そこにある小さな砦を捉えている。その将はかつてその城砦の持主であった諸侯だが、数日前の敗戦によって砦を捨てて西へと逃げる羽目になった。
そも、彼が居城を失う切っ掛けになったのは、東への進攻だ。
シャレット領北の諸侯は争いを続けるのが常であり、この男も例に漏れず、領土拡大のために兵を挙げたのだ。
もちろん、まったく無策に挑んだわけではない。
狙った領地は、一年ほど前に田舎の騎士が手に入れたばかりという、経歴も実績も伴わないものだ。そして多くの諸侯が、一斉に動き出しているということもあった。どこから来るかわからない敵に対して、少数の兵で備えるのはあまりに難しい。
要するに、小さな土地にたくさんの諸侯が毒牙を伸ばしている有様であり、新米の領主が到底耐えきれるはずもなく、じわじわと諸侯が勢力を伸ばすための餌になるはずだった。
だったのだが――。
砦の前に見える兵たちの数はおよそ百。十倍の差があるものの防衛側ということを考慮すればそこまで少ないとは言い難いが、それはあくまで増援が来るまで耐え切る、という前提があってのことだ。
彼らに増援は来ない。いや、来てもあまりに少ないと言ったほうが正しいか。
今も各地で諸侯の進攻が続いているのを食い止めるべく、兵は奮闘しているはずだ。その証拠に、見える兵たちの顔ぶれは前回の戦闘から変わっていない。
本来ならば、領地内の兵すべてを集めて戦うべき決戦。しかし、相手はそれが叶わない。
敗戦を喫したばかりだというのに、この諸侯の男、すでにそのことは忘れ漂い始めた勝利の香りに酔い痴れている。
相手との距離が次第に近くなってくる。敵は動かず、こちらが距離を詰めていっているのだ。
そして、射程内に入った。
「射掛けろ!」
彼の号令をもって、兵が弓を構え始めた。
先の戦いで負けたのは、敵兵が少数で突っ込んできて、その勢いに押されてしまったからだ。それゆえに、遠距離から仕掛ければ数が多いほうが勝つ。
その自信を胸にやってきた男であったが、無数の矢は敵兵に降り注ぐ前に、見えない壁に阻まれて落下していった。
幾度となく続く矢は、一向に敵に当たる気配を見せない。兵たちに動揺が広がった瞬間、向こうの市壁の上に集まる幾何模様が見えた。
男は魔法の才能などからっきしであったが、それでもわかるほど強い力だった。
幾何模様は幾重にも絡み合い、そして直後、強い風を感じた。
諸侯の男の前にいた兵が吹き飛んだ。彼の顔にまで、飛び散った血がかかった。
一瞬で、百人もの損害が出ていた。その事実を受け入れられずにいるところに、裂帛の気合で飛び込んでくる敵兵たち。
彼らは数でいえばたった百。
防衛ならば城を利用するのが定番というのに、もはや誰一人城を守っておらず、ただやみくもに突っ込んでくる有様だ。
「倒せ、殺せ! 奴らを蹴散らせ! 相手は少ない、こちらは十倍もいるんだ、負けるはずがない!」
男の激励に伴い、真っ赤な血に真っ青な顔をしていた兵たちが、少しずつ我を戻していく。
が、直後、前列にいた男が血飛沫を上げた。次々と倒れて視界が広がっていく中、敵の兵が魔法を使っているのが見えた。
魔術師は一部の才能を持つ者だけがなると言われており、大きな諸侯でさえ、抱えている魔術師の数は多くない。
それが、あんな小さな土地になぜ多くいるのか。決まっている。どこか大きな諸侯が後ろに控えているからだ。弱小の貴族と侮ったのは、まんまと敵の策に嵌ったということか――。
聞こえる悲鳴の中、まとまらない考えを続けていた男は、さらに近づいてくる地響きの音を捉えた。
振動は近づいてきて、そして彼の前に現れた。
轟く咆哮が放たれる。ドラゴンだ。もはや伝説の生き物となったそれが多数、近づいてくる。
どうしてこんなところに。その疑問は、竜の上に乗る少年たちの姿を見て解けた。しかしだからといって、納得できるはずもない。
男が戸惑っている間に、竜はすぐそこまでやってきて、彼を守ってくれる兵を潰していく。
慌てて逃げ出した男であったが、背中から力を受けて、地面に押さえつけられる。そして視界の隅に煌めくものが見えた。
「お終いだ。投降しろ」
突きつけられた剣はやけに真っ黒で、それゆえに美しかった。
男が頷くとともに、一方的な虐殺は終結へと導かれた。
◇
呆気なく戦いが終わると、ディート・エデラーは捕らえた男をそこらの兵に渡して、自信は負傷した兵のところに行く。そして再生の魔術を使用した。
しかし、なかなかヴィレムがやっていたようにはいかない。非常時に有効であるから、訓練を重ねてなんとかこの魔術だけは使えるようにはなったものの、とても魔術師と比べられるものではない。
出血が激しく、このままでは追い付かない。ディートが僅かに表情を歪めたとき、横からすっと手が伸びてきた。
そして幾何模様が倒れた男を包み込み、元の姿を取り戻させていく。
「ディート。この男は敵兵だ。わかっているんだろうな?」
そう尋ねてきたのは、彼とさほど年も変わらない少年だ。
無愛想なディートよりも、誠実そうに見える。
「わかってる。あんたが言いたいこともな。……俺は敵を前に躊躇などしないし、命を奪うときだって、手が止まることはない。ただ、それとこれは話が違う。この者たちは、これから治めることになる土地の住民だ。彼らにも家族がいる。その者に恨まれることを、ルーデンス魔導伯は望まないだろう。……まだなにかあるか、クリフ」
今度はディートがクリフに視線を向ける番だ。
「ルーデンス魔導伯、ね……。それももう新しいものになるんじゃないか。この一年で、どれほど土地を手に入れた?」
「さあな。少なくとも、今はもう、小さな辺境の土地ではなくなった」
「これから先は一体、どうなることか」
クリフが付近を眺めながら言う。すでに片付けも終わって、あとは撤収するばかりだ。
そんな彼にディートが無表情のまま尋ねる。
「怖いのか?」
「まさか。楽しみなんだよ。ただの貧民にすぎなかった俺が、今はこうして魔術師を率いている。そしてほかの誰もが見られないような夢を、傍で追い続けることができる。ただ生きるのに精いっぱいだった頃には見えなかったものだが、今は生きるということが、ただパンを食らうことではないのだと感じられるよ」
ディートはそんなクリフの様子を見ても、特になんの感情も浮かんでこなかった。あの司教の元で働いていたときとなにが変わっただろう。
「お前はどうなんだ。夢がないなら、なんでヴィレム様のために戦う」
「別に……借金を返すためさ」
ディートは魔剣の柄を撫でた。
これは借金という枷であり、彼が戦い続けるための呪いであり、そして少しだけ望んだ未来へと近づけることができる力でもあった。
現実的には自身の解放のために働いている彼だが、なんとなく居心地は悪くなかった。自分の思い通りに動いても、咎められることもなく、それだけの自由があった。
「辛気臭えこと言ってるなあ。こう、派手に稼いで旨いもんを食って可愛い姉ちゃんを侍らせる! それだけでいいじゃねえか。ほかになにがいるってんだ」
と、ディートの頭上から声がかけられた。ドラゴンに乗った少年が快活に笑っていた。
「ヘイス。お前は少し身の振り方を考えたほうがいい」
呆れるクリフと、ちっとも考える気などないヘイスをよそに、ディートは立ち上がった。
「帰って書類を作成する。ルーデンス魔導伯はすぐに来るだろうから、間に合わせるために適当なものを作っていれば怒られるぞ」
「ヴィレム様の手を煩わせるようなことはするなよ」
クリフとディートがそろってヘイスを見た。
「な、なんだよお前ら。俺はちゃんとやるって。っていうか、ヴィレム様よりオットーさんのほうが厳しいぞ。あの人、竜に乗ってるときはすげえ自然体なのに、業務となったらまるで別だ。お前もそう思うだろう?」
ヘイスは自身が乗っているドラゴンに尋ねる。だが、竜はわからない、と首を傾げるばかりだった。
ドラゴンが会っているオットーは竜丁であり、ヴィレムの仕事を補佐する者ではなかったから。
クリフとディートが行ってしまうと、そんなヘイスも後に続く。基本的に仕事が雑な彼だが、誰より上手く竜に乗れるオットーへの敬意だけは確かだったから。
そんな三人は、なんやかんやと言い合いながら、居城へと戻るのだった。