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42 乱の終結

 塵埃にまみれた男たちの合間を、黄金色が駆け抜けていた。


 市壁の上に跳び上がったクレセンシアは、美しい髪をたなびかせながら全力で走り、槍を振るう。

 槍が翻るたびに男どもが薙ぎ倒され、宙を舞い、市壁から落とされていく。遠慮していないため、骨折だけならまだしも、落下して頭を打てばどうなることか。少年らがあとから残った男らを蹴散らしながら付いていくが、その必要も感じないほどの勢いだ。


 そうして数が減っていくと、幾何模様の生成も遅くなり、もはや魔術の完成も不可能と見える。反撃の手立てがないのだから、狂信者といえども、もはやこの状況には狼狽えるほかなかった。


 助けなんか来やしないし、自ら戦う術もない。

 そんな男たちに、クレセンシアは憐れみすら抱きながらも、手は止めない。魔術の発動のために使われている以上、背を向けない限り敵なのであった。


 そうしていると、幾度となく黒く濁った風が背後から吹き付けてくる。けれど、クレセンシアは一度も振り返らない。見たところで、予想通りの光景があるだけなのだから。


 幾何模様を辿っていくと、市壁の上にある塔に男がいることが明らかになる。

 男は黒のローブを纏っており、手には一振りの杖。その杖に幾何模様が集まると、魔術が放たれる仕組みのようだ。


 おそらく、あれがこの乱を起こした司教なのであろう。

 クレセンシアの接近に気が付くと、男は杖を掲げた。


 未完成の幾何模様が別の形を取り、無数の風の刃となってクレセンシアへと襲い掛かる。彼女はさっと床を踏みつけ土の魔術を発動、すべてを防ぐ壁となす。


 少年らがその影から風刃の魔術を用いて敵を狙い撃つと、こちらに向かってくる魔術が止む。

 クレセンシアは迷うことなく身体強化の魔術の出力を上げ、一息で飛び込んだ。彼我の距離は一瞬にして詰められる。


 クレセンシアが驚く司教の首へと槍を突きつける。


「動かないでください。魔術の発動も止めるように」

「お待ちなさい。貴方は騙されているのです。話をしましょう」


 司教はこの期に及んで、クレセンシアにそう持ちかけた。

 自身の優位性をまだ保っていると思っているのか、それともヴィレムという人間を見誤ったのか。

 クレセンシアは表情一つ変えることなく告げる。


「魔術の発動を止めなさい。三度目は言いません」

「我々の未来のために――」


 次の瞬間、悲鳴が上がった。

 杖を持っていた手の肘から先がなくなっていた。


 クレセンシアは話し合いをしに来たわけではない。司教を捕らえるか殺すか、その二択を選びに来たのだ。


 大抵の領主は捕らえることができれば、身代金を請求することができよう。しかし、この男はルーデンス領以外の土地を持っておらず、加えて言うならそれすらもままならぬ有様だ。


 そういった方面の価値はない。つまり、捕らえたところで手間が増えるだけなのだ。


「質問に答えなさい。あなたがこの農民の乱を主導した。相違ありませんね?」

「え、ええ……。私は彼らが望む未来のため、この戦にかけたのです。あなたはなんのために、このような乱を起こしたというのですか! どれほどの大義があるというのです!?」


 司教は憤りを浮かべていた。

 きっと、自分の未来が正しいものだと信じてやまないのだろう。誰かを率いるということは、責任を一身に負うということでもある。だから、彼がそう思ってしまうのも、そう思わずにいられなかったのも、無理はないことだ。


 クレセンシアはひどくつまらなそうに、彼に返す。


「大義も理想も力なくばただの夢物語となにが違いましょうか。私はなによりも強き力と、そして魔導王の名のもとに統べられる未来のために動いております」

「……過去の夢物語に縋るというのか。狂っている」


 司教は初めて、怯えを浮かべた。

 クレセンシアとて、自身の考えをどうかしていると思わないこともない。けれど、そうでもなければやっていけやしないし、こんな大それた行いばかりをしてもいられない。


 けれど、夢物語だとは思わなかった。彼となら、理想も現実に変えていけると信じていたから。


「さあ、すべてを渡してもらいましょう。あなたの未来は潰えたのです」


 クレセンシアは平静を保ったまま、司教にそう告げた。

 もう司教は項垂れるばかり。そしてそんな男の姿を認めると、兵たちは誰もが手を上げるしかなかった。



    ◇



 黒の刃が迫ると、ヴィレムは風壁の魔術を発動させた。

 途端、すさまじい勢いで迫っていた刃はゆっくりと勢いを失っていく。魔剣そのもので切りつけられれば解除の魔術により無効化されるが、すでに放たれたものであれば、魔術で防ぐことだってできよう。


 一撃必殺の力は、彼に届きやしない。


「残念だったな。風の魔術ならば、俺も得意とするところでね。単純な力比べで負ける気はしないよ」


 ディートは平然としているヴィレムへと幾度となく切り付け、そのたびに浮かび上がった幾何模様が崩れ去っていく。だが、刃は届かない。それよりも早く、新たな魔術が発動されるから。


 ヴィレムが風刃の魔術を放つと、ディートは身を翻して距離を取る。そしてありったけの魔力を込めて、もう一度巨大な黒の刃を生成し、勢いよく振り抜いた。


 ヴィレムはその様を見て、素早く風壁の魔術を用いながら、踏み込んだ。

 風の壁が敵の攻撃を真正面から受け止めると、ディート目がけて風刃の魔術を繰り出した。


 ディートは剣を振り下ろした体勢のまま、迫る刃を見る。すぐさま下がらんとするが、足は動かなかった。いつのまにやら発動していた蟻地獄の魔術が彼を捕らえて離さない。


 素早く魔剣を動かして足元を切り裂き、それにより幾何模様を消し飛ばす。地面が元の有様を取り戻すもすでに風刃がすぐそこまで来ていた。


 ディートは致命傷を避けるべく、攻撃の少ないほうへと飛んだ。そして次の瞬間、不敵に笑う顔を見た。


 彼の動きはあまりにも単純で、それゆえに狙い通りに動かすことも容易い。あらかじめ回り込んでいたヴィレムは、手にしていた瓶の中身を振り撒いた。

 白銀の粉がきらきらと舞い、少年の頭に降り積もっていく。


 彼はヴィレム目がけて切り掛からんと、剣を振るう。が、彼の肉体はすっかり力を失って、剣の重みに耐えきれず地面へと投げ出された。


 ひとたびこの沈黙の大樹の粉末を浴びれば、魔術師は当面、力を失ってしまう。風の魔術で浴びないようにするのが対抗策だが、ディートにその知識はなかった。


 ヴィレムはさっとディートの手を捻り、解除の魔術を用いて魔剣を引きはがして取り上げる。


「さて、俺の勝ちだ。往生際の悪いことはするなよ」


 塔を見れば、すでにクレセンシアが勝利を収めている。予定通りの結果だった。

 ディートはヴィレムから顔を逸らす。情けない顔を見られたくなかったのだ。


「ああ、勝ったのはあんただ。好きにするといいさ。……この都市にいた兵を殺したのも、あちこちの砦を襲ったのも俺だ。殺したけりゃ、さっさとしろ」


 ヴィレムはふて腐れるディートの正面に回り込んで、じっと彼の姿を眺める。


「……なんだよ」

「もっと悲壮な顔をしているかと思ったが、そうでもなかったな」

「人を切ったんだ。奪ったんだ。何度も、何度も! ……いつか、俺だってそうなることくらい予想できる。それに、あんたに切られたなら、死んでいった同胞にも自慢できるさ。俺はあんな奴と渡り合ったんだって。ちょっとばかり運が足りなかったんだって」


 ディートはこれまで失うものが多かったのだろう。そしてそれにも随分と慣れてしまった。だから、こんなにもあっさりと命を諦めてしまう。


 ヴィレムはディートの肩を叩く。


「よし、じゃあお前は今から捕虜になってもらう。身代金が支払われるまでは俺のものだが、ちゃんと支払われれば解放しよう」

「好きにしろ。どうせ、見込みのない話だ」

「ほうほう、誰も支払う見込みがなく、好きにしていいと。二言はないな。じゃあ今からお前は俺のものだ。文句を言わず、しっかり命令を聞くんだぞ。初仕事は市壁の付近で倒れている兵をまとめること、それから死者の確認だ。それが終われば争いで損傷した街の箇所を探せ。ああ、知っているなら都市の資産の調査を協力してもいい」


 ディートはぼんやりと、ヴィレムの姿を眺めている。

 捕らえたばかりの敵兵に、いきなりこんなことを言うやつがどこにいるというのか。


「ほら、さっさと動け。早くしないと、死ぬ奴が増えるぞ」


 無理矢理立ち上がらせられ背中を思い切りたたかれると、ディートはそのままの勢いで走り出した。自分でもわからないままに動き出したが、一度そうなってしまえば足はいつも通りに動いてくれる。


 倒れている兵――クレセンシアに落とされた者たちを見つければ、すぐさま手当を始める。そうして必至に動いていると、考えるべきことも忘れてしまうものだ。


 そんなディートの姿を見ながら、ヴィレムはふと頬を緩める。

 これで聖域へと一歩近づいた、と。


 都市を得たことはもちろんだが、それだけでは足りない。治める人がいてこそ、土地が意味を持ってくるのだから。


 ヴィレムは先ほど叩き折られた剣を拾い上げる。

 そして魔剣と見比べて、この手に入れた折れない剣が道を切り開いてくれようと微笑むのだった。


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