39 都市の生活
市内は戦の影響か、あちこちにゴミが散乱し、人々の生活もどこか浮足立った感じがあった。そのうち幾分かは、先ほどの自分の襲撃が理由なのだろう、とヴィレムは思いつつ、その生活ぶりをクレセンシアと眺める。
人々の顔に浮かんでいるのは、もちろん不安がなによりも大部分を占めているが、どこかほっとしたところも見受けられる。それほどまでに、改革を嫌がっていたのか。
無論、それも無理はないことだ。改革なんてものは基本的に失敗すると相場が決まっているものであり、期待したものほど強い反感を覚えることになる。
この地でやっていくためには、この地域性を考えなければならないだろう。多少強引にことを運ぼうと、成功すれば誰もなにも言わないのだろうが、できる限りは穏便に済ませたいものだ。
それにしても、前の都市もそうであったが、ルーデンス領の暮らしぶりからすれば、シャレット領には貧民などいないようにすら思われる。もちろん、一般的な市民の目のつかないところにいけばどんな土地であろうが似通っているのだろうが、ここでは目に見えてひどい有様だった。
「……それほどまでに、この土地の生産性は低かっただろうか?」
「都市周辺部の畑は、そこまで不調ではなさそうでしたね。病気で全滅したわけでもなさそうです」
「となれば、税が重いんだろうな。いや、あるいは……」
ヴィレムはしばしぐるりと街を見回してから、居館へと赴いた。
そこは騎士の住まう場所らしく、古びてこそいるが目立った荒はない。が、中に入ってみるとそうでもないことが判明する。
調度品などの類がとにかく少なく、殺風景なのだ。とても支配階級が住む場所とは思えない。
「これは、前任の騎士が持ち逃げしたということかい?」
ヴィレムが尋ねると、少年がすぐに答える。
「いえ、以前からこの状態だったようです。この土地は何度も争いで領主が変わっているそうで、そのたびに売り払われたか、強奪されたと考えられます」
この争いが勃発している状況は、なにもこの都市だけに限ったことではないようだ。
付近の諸侯がすべて似たような状況であり、互いに土地を奪い合っているだけでなく、内乱も抑えねばならないのだろう。
戦争となれば騎行が行われ、力なき住人はなすすべもなく略奪されるしかない。補給の手間を考えると、多くの兵を動かして迅速に進むにはそうするほかないが、後の統治には多大な悪影響を与えるだろう。その結果がこの領内の荒れようなのかもしれない。
この状態では、もはや生産性云々以前の問題である。
安定した状況にまで持っていくには、まずは統治をしっかり済ませ、防衛に重きを置くべきだろう。
「……この問題は、案外あっさり解決しそうだね」
「確かにしっかりと治めればよいだけなのですが、土地は広いですよ、ヴィレム様。これまで通りにはいきません。私やヴィレム様が、何人もいるわけではありませんから」
当然、一人であちこちを見て回ることなんかできやしないから、誰かに任せる必要が出てくる。その者が裏切ったり、私欲を貪ったりすることだってしばしばあろう。
しっかりした知識を与えるのはもちろんのこと、人柄や能力も見極めていかねばならない。それはヴィレムにとって、なんとも面倒なことに思われた。
「ヴィレム様、捕虜となった兵の処遇はいかがなさいますか?」
少年の問いに、ヴィレムは少しばかり悩んでから、
「どうせ身代金なんか取れやしないし、きちんと規則を守るならそのまま使ってもいい。そうでないなら場合によって平民か農奴にするか、あるいは都市から追放するなど、君らに任せるよ」
そんな投げやりな答えを返した。
結局のところ、そこらの兵がいたところで、対外的な戦力としては期待できない。となれば、役割なんて都市内部の争いごとの仲介や、弱い魔物の見回りくらいだろう。だから、できるだけ面倒事を起こさない人物以外は置いておきたくなかった。
それからヴィレムは雑務をこなすと、クレセンシアと居室に赴いた。
二人きりになると、ヴィレムは大きなため息を吐く。
「未来を掴むってさ。あいつはそう言っていた」
三年前、ヴィレムがディートに言ったことである。それが彼の行動を変えてしまったのかもしれない。
平民とはいえ、学園に通うこともできるくらいなんだから、それなりに金はあったのだろう。それが民の反乱に加わることになろうとは。
農民から聞いたところ、乱に加わったとき、彼はすでに孤児の身になっていたそうだから、戦の犠牲者だったのかもしれない。
見たところ、戦い方を教わったようではなかったが、魔核の成長具合を見れば、魔物との戦いに明け暮れる苛酷な生活をしていたのが窺える。安直な動きばかりだったのも、魔物が高度な知能で先読みすることがなかったからだろう。
もし、あの言葉が三年前の言葉に対する答えなのだとしたら、ディートはこの三年間、本気でこの土地を奪い取ろうとしていたのかもしれない。
「ヴィレム様、大丈夫ですか?」
「ああ。なんともないよ。戦うのが嫌なわけではない。……いや、嫌だろうがなんだろうが、割り切れるだけかもしれないけれど。俺とて目的があるんだ、躓いたり立ち止まったりしていられないよ」
もし、彼が最後まで諦めないというのなら、この手で切らねばならないだろう。たった一度の邂逅であったが、仮に十年も付き合っていたとしても、結果は変わらないはずだ。
互いに譲れない思いがあるならば、もう戦って打ち勝つしか道はないのだから。
そうしていると、ドアがノックされた。
斥候として派遣されていた少年が入ってくると、ルーデンス領の現状を述べる。
「東の都市は多くが神魔教司教に下ったようですが、西の都市はまだどっちつかずのようです。これは領地を差し出す代わりに、西の諸侯の騎士となることを狙っているのでしょう」
「……そうなると厄介だな」
領内の都市を奪うのに諸侯が参戦するとなれば、争いが長引きかねない。無論、その場合も戦って勝つだけだが、一つの戦いはさっさと終わらせてしまったほうがいい。
「先に西を押さえますか?」
「いや、俺たちの数で戦力を分散させるのは、あまり望ましくない。敵が来る前に司教を打ち倒し、その勢いで西の都市を一気に平定する。この都市の状況は任せられるか?」
「もちろんです。お任せください」
「では魔術師を三十ほど、こちらに回してくれ。ここからは主都が狙える。直接行ってこよう」
少年は頷き、すぐさま出ていった。
通常、一日の内にいくつもの都市を落とすことはそう多くない。都市間の移動だけで日が暮れてしまうのみならず、多くの兵を動かすには荷物が増えるだけでなく指揮も複雑になるから、とにかく時間を取られるのだ。
だが、それでは遅すぎる。
ヴィレムは日頃から無茶を言っても付いてこれるように鍛え上げていたため、少年らは驚くこともなく行動を開始する。
そして彼が一杯の湯を飲んでいる間に準備は終わり、居館の前に並び立っていた。
「魔力のほうは十分に戻ったか? そうでない者は、ここで休んでいるといい。魔力がなければ魔術師といえど、そこらの兵と大差ないからな」
誰一人、不安を浮かべる者はいない。
少年らは仮に魔術が使えなくともなんとかなるように、武術の類も使えるようにはしているし、それに先ほどの戦闘――といえるかどうかも怪しい一方的なものだったが――では魔術を一発くらいしか使っていないため、消耗もほとんどない。
ゆえに、戦場へと赴く障害はなかった。
ヴィレムは軽く身体強化の魔術を使用すると、街中を行くのも億劫になって、家々の上を駆け、その勢いで市壁すら跳び越えていく。
到着までの時間を考えながら、ヴィレムは今後の戦いに思いをはせる。そこには、きっとディートもいるのだろう。
なんとかして手に入れたい人材ではあるが、説得できないのならやむなし。
ヴィレムは濃紫のローブをはためかせながら、街道を急いだ。




