3 才能の在り処
剣を振る兵たちは、熱心に励んでいる者もいれば、やる気もなくいかにしてさぼるかばかり考えている者もいる。しかし運命というものは実に酷で、彼らのやる気をあざ笑うように、てんで無関係に才能を振り分けたらしい。
汗を散らしながら剣を振る男は、隣で汗一つかかずにひどくゆったりと剣を振る男を極力気にしないようにしつつも、苛立ちと妬みのこもった目をときおり向けずにはいられない。中年の男性は、後ろから聞こえてくる、若者から発せられる切れのいい風切り音に焦りを覚えずにはいられない。
願ったものが願っただけ貰えるようになんて、できてはいない。ましてここは王都。才能や実力だけではなく、地位や身分、境遇のまるで違う兵が一か所に集められているのだ。軋轢が生じないわけがない。
そんな荒くれ者たちの視線が、一か所に集まっていた。
身なりは立派なものではないが、一瞥で平民とは違うとわかる少年と従者の少女だ。
はてさて、そのヴィレム・シャレット、刺々しい視線もものともせず楽しげに辺りを見回し始める。隣のクレセンシア・リーヴェはヴィレムのほうをチラチラと見ている。なにも怯えているわけではなく、ヴィレムの態度がこの場に相応しいものかと気掛かりでならないのだろう。
が、そんなクレセンシアの心配は、ヴィレムの嘆息とともに裏切られることになった。
「シア、あまり見ないほうがいい。下手なのを見ていると癖が移るよ」
挑発とも取れるヴィレムの言葉は、はたして熱気と掛け声の中、どれほどの兵に届いたことだろうか。不快感と歯ぎしりの音を数えることができた者がいれば、きっと息を呑んだに違いない。
「……癖というものは、移るものなのですか?」
「ああ。人の動きを見ていると、我々の頭も同じように働く仕組みになっているんだ。つまり、優れた動きの者を眺めていれば、いつしかその動きは自分のものになる。といっても、どのように体を働かすかという戦略を考える部分であって、何度も反復練習しないと身に付くものではないけれどね」
「つまり、どれほど自身の体に優れた命令を与える軍師になろうとも、座ってばかりでは剣士になどなれやしない、ということですね」
「そう。だから俺たちは怠惰という脂肪を身に付けないようにしなければね」
ヴィレムが言い終わったところで、一人の兵がつかつかと歩み寄ってくる。比較的大柄な男性で、腕っぷし自慢なのだろう、筋骨たくましい肉体には血管が浮き出ている。
威圧感たっぷりに見下ろしてくる相手に、ヴィレムはこれまた呆れて嘆息した。わざわざ自己を大きく見せようとする輩に、目を見張るものはない。力があるならばおのずとわかるだろうし、なにより力を小さく見せようとしてもなお余りあるものなのだから。
「おい坊主。ここはお前みたいなお坊ちゃんが来るような場所じゃあねえぞ」
「お遊びで剣を振る場所でもない、と俺は思うけれどね。ぜひ見せておくれよ、ここで一番腕が立つ男の技を。見惚れるような一振りを」
「遊んでやるよ、ガキ。身の程ってものを――」
男が口の端を上げた瞬間、ヴィレムは右前方に踏み込んで男の手首を軽く握って握力を奪い、手にしていた剣をさっと取り上げる。
「こんな子供に奪われるようじゃ、この筋肉の中には空気でも詰まっているのだろうか。さあ、一番強い奴を出しておくれ。俺はその者に遊んでもらいたい」
ヴィレムが言うなり、男は激昂のままに腰に差していた剣を抜いた。これまで訓練に使っていた刃引きされているものとは違い、刃が煌めいている。
「ヴィレム様、口が過ぎます」
「ああ、悪かった。特に君たちを馬鹿にする意図はないのだ。ただ、俺は実力がある者の剣技を見たいのだよ」
「あまり変わっておりません、ヴィレム様」
クレセンシアが嘆息するも、ヴィレムは堂々たるものだ。子供らしい傲慢さと、その身に有り余る経験がそうさせる。
相手がすらりと剣を構えると、ヴィレムもまた左半身を引き、右手を前に着き出すような形で剣を構えた。
が、重い。そもそも今手にしているのは両手剣であり、まして彼は子供の身。その構えが不適切なことを知るなり、ヴィレムは両手に持ち替える。それでもなお、ろくに振ることはできそうもなかった。
「どうした、剣も持てねえってか」
「そりゃあね。俺のような子供が、なにもせずに振り回せるはずがあるまい」
男はにやりと笑みを浮かべ、ヴィレム目がけて切り掛かってくる。無論、寸止めするつもりであろう。
しかし、ヴィレムの表情は変わらない。遠巻きに見ていた者たちの顔さえ、しかと見えていた。
すっと踏み込み、魔術を発動させる。
一瞬だ。ほんの一瞬、男が視線を定めようとした僅かな隙に、ヴィレムは一瞬だけ強化された膂力で敵の剣をいなし、そのまま滑らせるように首筋へと突き付ける。
ごくり、と息を呑む音がやけに大きく聞こえる。
「なにもしなければ、ね」
からん、と乾いた金属音が鳴った。ヴィレムは男に突き付けていた剣をさっと引き、辺りを見回した。自ら行ったこととはいえ、歓迎してくれる雰囲気はない。
しかし、それでもよいとヴィレムは思っていた。この子供の体でどこまで通用するのか、試してみたいと思っていたのだから。なにより丁寧に挨拶をしたところで、侮られてろくに対応されないのが目に見えていたから。
「彼一人に勝っただけで、いい気にならないでもらいたい」
「命の取り合いでなく、稽古ということなら、歓迎しよう。では俺が勝ったときには、一番強いものを出していただこうか」
「勝てるものならな」
吐き捨てるように言う男。
きっと、ヴィレムは嫌われているのだろう。無理もないことだ。
ただ生まれた身分が違うだけで優遇されて、彼らとは将来性もまるで違うのだから。そして才能だって。
ヴィレムもそのことは知っているし、理不尽だとも思っている。だから、彼は貴族の権力で相手を押し付けるのではなく、自身の力で勝ち取ることを選んだ。そのほうがよほど、公平であろう。
それだけでなく、ただのヴィレム一個人としても、勝ちたいと思った。それは彼の子供らしい部分でもあったのかもしれない。
「さあ始めようか」
ヴィレムが笑い、兵たちがそれぞれ戦う準備を始める。。
「ヴィレム様、がんばってください! クレセンシアはヴィレム様を応援しております!」
「やあ、これはこれはなんとも可愛らしい勝利の女神だ」
「そ、そそそのようなことなど! もう、ヴィレム様、なにをおっしゃるのですかぁ!」
クレセンシアはすっかり赤くなり、兵たちも顔を真っ赤にしながらかかってくる。
荒い一撃を流れるように回避し、胴体に一撃を叩き込む。続く剣戟をすりあげ、そのまま頭部へ。刃引きされた剣は鈍い音を立てて、さらなる獲物を狙う。
反応が鈍い。期待と実際の動作で距離のずれがある。時間のずれがある。魔術と体の動きが一致しない。
ヴィレムは一つ一つ、意識的に修正しては確認していく。細かくも、着実なステップアップを実感できる時間だ。いつしか彼は額に汗を、口元に笑みを浮かべていた。
「こんの、ガキが!」
もはや止める気などない大振りの一撃が繰り出されると、ヴィレムは懐に入り込み、喉元に掌底を叩き込む。
とても貴族の戦い方とは思えない、優雅さの欠片も見当たらない振る舞いであった。しかし、魔術師の戦い方でもない。
魔術師の戦いは魔術で決まる。近接戦闘であってもそうだ。剣を使うのは、生身で受け止めたくないときや、なにか仕掛けてきそうな相手に突き刺すときくらいだ。それゆえに先ほどは魔術師としての構え――剣を受け以外に重要視しない構えを取ったのだが、今はそれとも違う。
貴族でも魔術師でもない戦い方を、ヴィレムは身に付けようとしていた。
大きく息を吐き、剣を地面に付ける。すでに兵たちは立ち上がれないほどに疲弊しており、彼の相手をできる者はいなくなっていた。
「ヴィレム様、すごいです! かっこよかったです!」
「ありがとう、君の応援があったからさ」
クレセンシアはよいしょ、と小柄な身に似合わぬ剣を手に取った。
「それをどうするんだい?」
「ヴィレム様の動きを真似するのです。ヴィレム様は先ほどおっしゃっていました、何度も反復練習しないと身に付くものではないと。ですから私も頑張るのです。えいっ、えいっ」
クレセンシアはちょっぴりよたよたしつつも、剣を振るう。
いや、振り回されているといったほうが近いかもしれない。彼女はしばらくそうした後、おもむろに剣の表面を撫でる。すると幾何模様が浮かび上がり、あたかも羽でも取り扱うかのように、クレセンシアは軽々と振り始める。それは獣人だからこその膂力だけでは説明がつかない。
剣そのものに力を加えることで、自在に扱っているのだろう。「身体強化」の魔法と同じく、力の魔術に分類されるものであり、非力な魔術師にとって近接戦闘時になくてはならない魔術だ。しかし、これほどまでの流れるような扱いは、熟達した魔術師でもなければできない芸当だ。
そうなるとクレセンシアは次々とヴィレムの動きをトレースしていく。ぎこちないものも何度か繰り返すだけで、まったく意識せずに行えるようになっていくのだから、まったく驚きである。
そうしてヴィレムが見惚れていると、足音が聞こえてきた。