38 口上
ヴィレムが嗜好品を売り払うことで得られる金額などを、この土地の騎士に仕えていた者に算出させていると、斥候として出していた少年からの報告が上がった。
「ヴィレム様。北の都市は、たった一夜にして落とされたようですが、占拠はうまくいっていないようです」
「うん? 上手くやってのけた割に、あとが続かないというのはどういうことだろう。ただ力があったということなのかな」
「どうやら神魔教の強制に反発する者が多いようで、それにともなう政治体制の改革も受け入れがたいようです」
聞いてみれば、どうやら乱を主導しているのが神魔教の司祭だという。確かに宗教を中心に据えるのは悪くない。人々にとって縋るべきものになるのだから。
しかし、それはあくまで偶像にすぎない。もちろん、わかりやすいイメージは非常に大事だが、そればかりを重視するのは無駄だ。
むしろ、そのための費用がかさむ分、これまで以上の出費になるのは間違いなかった。
強硬すぎる改革は好ましくないが、今よりも少しだけよくなる状況にはすぐに飛びつくのが、この土地の性格なのかもしれない。
「いずれにせよ、こちらも揉めているうちに取ってしまおう。早速ですまないが、魔術師隊を集めてくれ」
告げられた少年は早速、動き始める。
そもそもの数が少ないため、圧倒的な早さで行動できるのがこの隊の強みだ。それでいて、魔術が使えるためそこらの兵を千人集めるよりよほど役に立ってくれる。
さて、都市が二つともなれば、できることも増えてくるだろう。都市間の土地をどう使うか、今から考えておかねばなるまい。
ヴィレムは簡単な鎧の上から濃紫のローブを纏った。当代では誰も使わない濃紫の色は、魔術師レムのものとされている。拒絶する者もいれば、畏敬の念から畏れ多く感じる者もいるのだ。
彼はあえてそれを身に着ける。
魔術師レムを越えていく覚悟の表れでもあり、人々に強い印象を与える現実的な意味もある。
「行きましょう、ヴィレム様。私たちの未来のために」
クレセンシアが先導し、ヴィレムが居館を出る。すでに魔術師隊は集まっていた。
それゆえにヴィレムは出陣の旨を告げるのだ。あとは駆け出せばいい。おのずと付いてくる者たちがいる。
魔術師の足ならば、都市間など軽く踏破できよう。それゆえに念入りに準備せずとも、簡単に攻め込むこともできる。加えて少数であることから、糧食の心配もなかった。
整備されていない街道を進んでいくと、やがて畑の向こうに市壁が見えてくる。領主の居館は結構な高さがあるようで、ここからでも見ることができた。
ヴィレムは地面に手を当て、土の中規模魔術を発動させる。
幾何模様が広がっていき、そして地面へと潜り込むや否や、急激に土が盛り上がり始めた。それは都市のどこからでも見えるほどの規模になっていく。
発動にやや時間がかかり、維持にも魔力を消費するが、扱いやすく中規模の戦闘に向いている特徴がある「土巨人」の魔術だ。
ヴィレムは巨人の肩から都市を見下ろしつつ、大きく息を吸い込む。
「これよりヴィレム・シャレットは、兵を率いて攻め込む! 騎士の誇りがあらば、民を守るべく戦いに出でよ! 返答のなき場合、都市を放棄したものと見なす!」
一気に言い切ると、ヴィレムは騒然とする都市を眺める。
この時代、宣戦布告も無しに攻め込むことは珍しくなかった。それゆえに市壁は強固に作られており、防御に徹する側は敵の包囲を少数でも退けられる可能性もある。
小規模な争いなど日常茶飯事であり、気付かなかったほうの落ち度であるとさえ見なされていた。
が、ほんの一瞬で襲来する魔術師を予知せよというのはあまりに酷であり、そして市壁も彼らの前ではなんの役にも立たない。
だから一方的な蹂躙になるのを避けるべく、ヴィレムは問いかけた。これで降伏するならば、それに越したことはない、と。
が、間もなくして市壁からは兵が吐き出されてきた。彼らは皆、くたびれた顔の男たちであった。どこをどう見ても戦いに慣れているとは思えないから、傭兵ですらないのだろう。
その数はこれだけの都市にいるとは思えない多さであり、おそらくはただの農民だったのだろう。ただ都市を奪うことだけしか頭になかったのかもしれない。未来を見て行動できる者はそう多くはなかった。
すでにヴィレムが乗る巨人の姿に震え上がっている有様であり、彼が一歩巨人を動かすと、それだけでもはや縮み上がった。
これでは戦うまでもない。ヴィレムがそう思うなり、飛び出してくる者が一人。まだ少年と言ってもいい幼さがあるが、身のこなしは粗削りながらも才能を感じさせる。
「ルーデンス領領主が刃として、ディート・エデラーが参る!」
口上を述べるなり、身体強化の魔術を用いて突っ込んでくる少年。
ヴィレムはディートを見下ろしたまま、風刃の魔術を放った。
いくつもの刃が進んでいく中、ディートは一部の恐れすら抱かずに向かってくる。襤褸切れの上に皮の鎧を纏っただけだから、動きやすいのもあるが、それはたった一撃で致命傷になりかねないということでもあった。
それでも迷いのない瞳がヴィレムを睨み付ける。
「シア! そっちは任せたよ!」
ヴィレムが告げたときには、すでにクレセンシアが迂回して農民たちの側面から襲い掛かっていた。
土の魔術が炸裂し、彼らの武器がことごとく弾かれていく。無防備になったところにクレセンシアが槍を突きつけると、もはや農民らは手を上げるばかりであった。
そして巨人の腕を伝って上ってくるディートに、ヴィレムは語りかける。
「お前の自慢の仲間はすでに降伏したぞ」
激しい歯ぎしりの音を立てながら、ディートは短剣を振り上げた。
そしてヴィレムへと振り下ろすも、彼はさっと位置を変え、ディートの側面に回り込むと同時に蹴りを叩き込んだ。
その衝撃にディートは巨人の上から真っ逆さまに落下していく。
ヴィレムはとても魔術師らしからぬ戦い方だ、と苦笑しつつも、剣を振るえばあっさりと切り殺してしまいそうだから仕方ない、と結論付ける。
ヴィレムは土巨人の魔術を解き、自ら地に降り立った。
ディートはそんな彼を睨みながら、短剣を強く握る。睨まれているヴィレムは相変わらずの態度だ。
「なあ、お前。なぜこんなことをしている?」
ヴィレムの問いにディートはますます激昂を露わにした。
「お前たちが、貴族が、騎士が奪うからだ! 俺たちの土地を、俺たちの生活を、俺たちの自由を! だから奪い返す。奪われたものを、取り返す! 俺が自分の手で未来を掴むんだ!」
ディートが身体強化の魔術を強め、一気に飛び込み短剣を突き出す。首を狙った迷いのない一撃だ。
しかし、あまりにも安直。野生の獣を相手にしているのとなんら変わらなかった。
ヴィレムはディートの首を掴んだ。
「無理だな、これでは。俺に触れることすらできないんだ。どうやって奪い返す? お前にはなにができる?」
その言葉を聞いたディートは、至近距離から短剣を振るう。
ヴィレムの鎧の隙間を狙った一撃は、肩口を切り裂くはずだった。が、まるで刃を掴まれているかのように動かない。
短剣の周りには、幾何模様が浮かび上がっていた。魔術だ。
ヴィレムがディートを放り投げると、少年は歯噛みしつつも距離を取る。
しばらく敵意を剥き出しにしていたが、一つ呼吸を整えると、ぱっと身を翻して麦畑へと飛び込んだ。
そして足音が遠ざかっていく。
さすがにこの状況で戦いを続けようと思うほど愚かではなかったようだ。
「ヴィレム様、都市の制圧が終わりました。……逃がしたのですか?」
クレセンシアがやってきて、そんなことを尋ねる。
「俺が誰彼かまわず仕留める男に見えるのかい?」
「すでに巨人を操る悪辣非道の魔術師の噂は街中に広がっております。かの名前はええと、なんでしょうか?」
悪戯っぽく悩む仕草を見せるクレセンシア。ヴィレムは困ったな、と頬をかく。
「……冗談だろう?」
「はい、冗談です。あ、ですがヴィレム様に畏怖する者も少なくないようですから、統治はしやすいと思いますよ。前任の騎士なんか、すでに逃げ出してしまいましたし」
ヴィレムはやりすぎたかな、なんて思いつつ、都市へと戻り始めた。とりあえず自身の目で見るのが一番早いから。
「それで、あの少年はなんだったのです?」
内緒ごとをされていることに対してか、ちょっぴり嫉妬の色を見せるクレセンシア。
「君も知っているはずだよ」
ヴィレムの返答に、クレセンシアはうーん、と悩む。尻尾や狐耳がぴょこぴょこと動くのが愛らしい。
しかし、考えても思い当たる節はなかったようだ。
「三年前。学園で魔導鎧に呑まれた少年がいただろう。彼だよ」
クレセンシアがぽん、と手を打った。
「なぜ彼が戦いに参加したのです?」
「それを知りたくて聞いたんだけど……まあ、詳しい話は多分、農民らに聞いたほうが早いだろう。それに、今後のこともあるからね」
ヴィレムはそう言うと、都市へと歩を進めた。




