32 招集
ヴィレムはクレセンシアと一緒に、畑を見ながらを歩いていた。
開墾したばかりの広大な農地の端には、少しばかりの高さがある塀が作られている。上空から見下ろせば、中心から屋敷、市街、黄金色の畑、抹茶色の大地、とくっきり様相が分かれているのがわかる。
簡素な守りとはいえ、広さが広さだ。結構な手間がかかっている。とはいえ、これで魔物の被害を抑えられるなら、安いものである。
顔割れ族の脅威がなくなったことで警備に割く人員が減り、魔術によって作業はサクサクと進んだのも、うまくいった一因だ。ヴィレムのみならず、魔術師隊の面々もすっかり魔術の取り扱いに慣れつつあった。
「来年はもっと収量が増えるから、人口も増えるかもしれないね」
「ですが、天災も考慮に入れなければなりません」
「そればかりは、いかに領地を治める者であれどうしようもないから、備蓄を進めるしかあるまい。やることはいくらでもあって困るよ」
そんなことを言っていたヴィレムだが、今の生活に満足していないわけではない。騎士として領地を治めるということに関しては、上手くやっていると自負していた。
もちろん、聖域の奪還という大望のことを考えれば、全然足りやしないし、こんな生活を続けていてはあと何百年かかるかわからない。
しかし、確実に彼自身の力は成長しているし、人を使うコツもなんとなく身に付きつつある。
この日の散歩を終えると、ヴィレムは再び屋敷に戻るべく街中へと足を踏み入れる。
昼時なので民は食事を取っているが、その前には綺麗な布で手を拭いていたり、洗っていたりする。
彼が最近ずっと続けているのは、衛生の概念をいかにして植え付けるか、ということである。そこらに糞便を放置していたり、汚い手で食事をしたり、そういった何気ないことで病は蔓延るのだ。
手洗いをすぐにできるよう、ヴィレムは井戸などを整備しており、今では随分と病に陥る者も少なくなった。高度な医療技術となれば話は別であるが、現状に不満はない。
そうして今日も平和な一日だろうと思いながら屋敷に戻ると、ドミニクがヴィレムを迎えてくれた。
「ヴィレム様、お帰りなさいませ。イライアス様からの使者が来ております。帰宅するなり取り次ぐよう告げておきましたが、なにか問題はございましたか?」
「いや、それで大丈夫だ。すぐに会おう」
そういうことになると、ヴィレムは早速使者との面会を始める。
使者はヨニーではなく、イライアスの屋敷に住んでいたときに見かけていた者だった。彼はヴィレムを見るなり、貴族の末っ子ではなく一人の騎士として対応する。
「突然の訪問にお時間をいただきありがとうございます。イライアス様から書状を受け取って参りました」
ヴィレムは書類を受け取って中身を確認する。
東のほうで魔物が確認されたので、大規模な討伐部隊を結成するため、各地の騎士を招集しているところだと書いてある。
クレセンシアと顔を見合わせると、彼女も同じ考えに至ったようだ。狐耳を動かしながら思案している。
東と言えば、デュフォー帝国との国境があるため魔物の討伐は盛んではない。だから魔物が増えていたのかもしれない。
これが顔割れ族が、この領地の近くにやってきた理由だろうか。そうだとすれば、彼らの多くは魔物の餌食になってしまった可能性が高い。
しかしそんな状況で都市を奪いに来るかと言われれば、ちょっと簡単には頷けない。あのローブの魔術師が、なにか操るための秘訣を握っていた可能性も考えられるが……。
「なにかございましたか?」
「いえ、大したことではないのですが、騎士を招集するほどの魔物というのが気になりまして」
「魔物は大型の個体が生まれたわけではないのですが、中型の魔物が結構多く見られるため、少数では迂闊に手出しをできない状況になっております。そのため、一掃するべく此度の連絡に至りました」
もちろん、ヴィレムが考えているのはそんなことではない。これまでの一連の流れに関係しているのではないかと思っているのだ。
しかし、使者と問答したところで、なんらかの答えが得られるはずもない。
指令通りに兵を集めて赴くよう告げると、その日の面会はそれで終わった。
そうなると、今度は誰を連れていくか決めなければならない。魔術師隊を全員連れていけばこの土地の守りが弱くなるし、かといってそこらの兵ばかりでは魔物に対応することもできない。
相談すべくドミニクを尋ねると、そこにはドミニクだけでなくオットーと、サイクス兄弟二人が揃っていた。
「おや、取り込み中だったかな?」
「予算について話していたのですが、ヴィレム様もよければ聞いていただけませんか?」
「そういうことなら、もちろん。派兵するにあたって、聞きたいこともある」
二人の話してた内容も、派兵するにあたってかかる費用に関するものだったから、都合がいい。ドミニクは予め対応してくれるため、ヴィレムは非常に助かっている。
遠征となれば当然糧食が必要になるし、毛布など夜の寒さを凌ぐものが必要になる。ヴィレムはこだわりがあるわけでもないため、テントは別になくてもいいのだが、クレセンシアのことを考えるとやっぱり一つくらいは欲しいところだ。
騎士といえば馬に乗る者と相場が決まっているし、おそらくほかの騎士は皆そういう出で立ちで来るだろうが、ヴィレムは特にいらないと判断していた。なんせ、馬に乗るより自分で走ったほうがずっと早いのだから。そうすれば餌もいらなくなるため、随分と荷物を減らせる。
鎧だって、簡素なものでいいだろう。魔術師としては、防御を物理的な鎧に頼るのはどうかと思われるし、簡単に貫かれる可能性も高い。
「では、当初の予算よりも随分と少なくなりますね」
オットーが計算した結果を見せてくれる。ヴィレムは自分で言ったこととはいえ、本当に足りないものがないのかと不安になったくらいだ。
極力、不要なものを排除していくが、兵ばかりはそうもいかない。
ヴィレムはクレセンシアと二人だけで行ってもいいとさえ思っているのだが、見栄えというものがある。実際の戦力はともかく、あまりに少なければ手を抜いたと見られかねない。
「魔術師隊から十人ほど、つけてもらえるだろうか? 残りの者でなんとかしてくれるとありがたい」
「それだけでよろしいのですか?」
「ああ。彼らなら十分働いてくれるだろうし、クレセンシアも一緒に来てもらうから。だからむしろ、この都市のほうが戦力不足で心配だからね。魔術隊への指示はドミニクに任せるよ。上手く使ってやっておくれ」
「はい。お任せください」
ドミニクは胸を張って答えた。
ややもすると自身よりも強い者たちを扱うことに気後れもなければ、嫉妬の色も見せない。それこそが、人を扱う者としての素質だったかもしれない。
ヴィレムはそんな少年の姿を見ていると、自分よりもよほど騎士らしいんじゃないか、と思うのだった。
そうして出発の予定が立つと、指定された日時に間に合わせるべく準備が開始される。この土地はイライアスの領地からは比較的近いため、時間的な猶予は結構あった。そして小さな領地であるため、大掛かりなものも求められない。
ヴィレムは準備に慌ただしくなることもなく、のんびりと過ごしていた。クレセンシアはそんな彼を見て、声をかける。
「なにか考え事ですか?」
「うん、父に会うのも久しぶりだと思ってね。どう思うだろうか。ろくでもない息子に育ったとでも言うかな?」
「それは元からではありませんか?」
「まさしく」
クレセンシアと冗談を言って笑い、日々は過ぎていく。
そして、出立の日になった。