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26 ルーデンス領

 その日、ヴィレムはルーデンス領にやってきていた。

 騎士の身代金が支払われることになったため、手続きをすることになったのだ。初めは支払いを拒否されていたのだが、なんとか交渉した結果、安値で取引が成立した。貰えないよりはましだから、妥協したのだ。


 そうしてシャレット領にほど近いルーデンス領内にある都市の一室でくつろいでいたヴィレムだったが、騎士を引き渡す時間となった。


 取引の場にやってきたのは、ルーデンス領領主である。てっきりどうでもいい役人か、騎士の親戚あたりが来るだろうと踏んでいたヴィレムは当惑する。なんせ、領主が捕虜になったとき騎士が金を出すことはあれど、その逆はそうそうない。とはいえヴィレムは、金さえ手に入ればいいので気にせず話を進めることにした。


 やることは騎士が当人であるかどうかの確認と、金が偽造されたものでないかどうかくらいだから、すぐに終わる。


 互いに確認を終えると、無駄な会話をすることもなく、部屋を後にする。

 領主がわざわざやってきたのだから、シャレット領の内情について聞きたいことでもあったのかと思いきや、ヴィレムにも興味を示さなかった。


 騎士は青い顔をしながら領主に引き取られていく。

 あんなのでも農民よりはずっと使える。戦争がないなら、ろくでもない騎士より金のほうがよほど大事だから、こんな展開にはならないだろう。あちこちで戦いがあり、人手が足りないのか。騎士の態度から察するに、領地ごと没収されることで身代金が捻出されたのかもしれない。


 そんなことを思いながら、ヴィレムはその場を後にする。なんにせよ、関係ないことだと。

 今日は珍しく懐が温かいが、好き勝手に使うわけにもいかない。土地を治めている以上、ヴィレムの金ではあるのだが、公共への投資をしなければならないし、兵や農民の増員もしたい。それからもうすぐ――


 ヴィレムは隣のクレセンシアに視線を向けた。


「そういえば、そろそろ父上に金を納める時期だったね。すでに用意してあるから問題はないと思うけれど、なにかすべきことはあっただろうか?」

「ヴィレム様がすべきことは、イライアス様からの連絡の使者を迎えることくらいでしょうか」


 あくまでヴィレムが治める土地はイライアスのものであり、彼からこの領の管理を任されているにすぎない。その収益を納め、戦時には駆けつけることが、騎士という立場には課せられていた。


 その額は適切に設定されているため、きちんと領地経営を行っていれば、苦もなく納められるはずである。


 今後のことを考えながらルーデンス領を歩いていくと、どうにも市民の視線が気になる。他の領から来た騎士に差別的な考えを抱いているわけではなさそうだ。ただ、虚ろな瞳でぼんやりと眺めている。


(彼らは飢えているのか。あの騎士が特別どうしようもない重税を課したのか、それともこの領地自体が……)


 しかし、一介の騎士が他の領地に関わることはあるまい。今後、彼らと出会うこともなかろう。

 とりあえず今は、屋敷に着くまで盗難被害に遭わないよう気を付けるくらいだ。


 ヴィレムは自身の為政を顧みながら、帰途を急ぐのだった。



    ◇



 イライアスからの書状を携えた使者が来るというので待っていたヴィレムだが、やってきたのは意外な人物だった。


「……兄上。お久しぶりです」


 兄と言っても、長兄テレンスではなく次兄ヨニーだ。成人するなりすぐに騎士として領地を治めていたため、彼もまたヴィレムと面識があまりない。


 そんな兄ヨニーは、小さな弟を眺める。以前あったときからは、かなり大きくなっているのに、まだ身長には差があった。


「それなりに騎士としてやっていけているようだな」

「はい。兵や領民に支えられながら、なんとか切り抜けてきました」


 そう言うヴィレムだったが、新人が精いっぱい努力している風ではない。どこか慣れのようなものが窺えるのだ。


 ヨニーは早速、懐から手紙を取り出した。父イライアスの署名がある公的なものだ。それを見ていると、自分とイライアスは父と子という関係だけではないのだと実感させられる。そうあらねばならないと思われるのだ。


 内容はこれといった特別なものではなく、すでにこれまで受け取ってきたものとほとんど変わりない。


 ヴィレムが確認した旨を告げると、ここでのヨニーの仕事は終わった。


「兄上、せっかくですから、馳走を用意いたしますよ。といっても、大したものは出せませんが」

「ああ、すまないな。……なあヴィレム。剣を始めてから何年になる?」

「十年くらいでしょうか」


 それが一体なんなのだろう。ヴィレムは質問の意図が読み取れずにヨニーを見る。

 彼はヴィレムの答えになにかを言うことはなく、ただ表に誘った。


 普段ヴィレムが訓練に使っている庭に出ると、ヨニーは地面を軽く蹴り、錬金の魔法を用いて刃引きされた剣を作り上げた。


 ヨニーは剣を拾い上げて構えると、ヴィレムに相対する。


「ちょっとした腕試しだよ。なあに、父も兄上もお前が強くなったって言うから、試してやろうと思ってな」


 気軽に言うヨニー。

 ヴィレムは戸惑っていたが、彼が促すので渋々地面を蹴った。錬金の魔術で剣が形作られるのと同時に蹴り上げられ、次の瞬間にはすっぽりと手に納まっている。反復練習により、流れるような一つの動作として磨き上げられていた。


 それを見てヨニーは表情を引き締める。魔術の才能がないと言われていた末っ子の姿ではなかったから。


「いくぞ、ヴィレム!」


 ヨニーが踏み込み、振りかぶった剣を振り下ろす。ヴィレムは半身を引いて躱すと同時に、ぴたりと首筋に剣を突きつけた。


 あまりにもあっけなく終わった勝負である。が、ヨニーは再び構えなおした。なにかの間違いだとでも言いたげに。


 けれど、ヴィレムは手を抜かない。それは失礼に思われたし、なによりそうすることで自身の腕が錆びついてしまうのが怖かった。わざとに下手な動作を行ったせいでそれを学習してしまい、ほんの一瞬が命取りになる状況で不意に表れてしまうのが不安だった。


 人生はどのような落とし穴が潜んでいるかわからないから。ほんの些細な過ちが、すべてを瓦解させることにだってなり得るから。


 結局金属音は一度もならなかった。膝を落としたヨニーは、深く息を吐く。


 彼の十年は、才能の前にあっさりと覆された。

 自身の半分ほどしか生きていない小さな子供に敗れたのだ。どれほどの衝撃があったことか。どれほど認めたくなかったことか。


 後から追い上げてくる不安。自分の努力の価値を問われる恐怖。

 それはきっと、当事者にしかわかりえないものだ。そして自分自身でどうにか折り合いをつけなければならないものでもある。


 だが、ヴィレムとてたった数年で身に付けた力ではない。知られざる数十年の努力を胸に秘め、表情を変えずにいるヴィレムに、ヨニーは告げる。


「悪かったな。試すような真似をして」

「いえ……」


 ヨニーが立ち上がり剣を放り投げると、それは土くれに変わっていった。彼は屋敷の外に向かって歩き出す。


「あの、兄上」

「用も済んだし、帰ることにするよ。食事はまた今度な」


 彼の足ならば、イライアスのところまでは苦もなく辿りつける。けれど、きっと長い道のりになってしまうのだろう。重くて長い道が待っている。


 弟に抜かれる兄の気持ちというのは、どういうものなのだろうか。

 ヨニーの後姿を見ながら、ヴィレムは判断を間違えたのかと自答する。ヨニーの姿は、オットーと重なって見えた。


「なあヴィレム」

「……はい」

「気を付けろよ。澄ましていると、いつか足元をすくわれるぞ」


 ヨニーはそれだけ言うと、曲がり角の向こうに消えていった。

 理性だけではうまくいかないこともある。そう言いたかったのだろう。


 ヴィレムとてわかっている。わかってはいるのだ。

 ただ最善を追求するだけがすべてではないことくらい。


 けれど、いまだに身を焦がす熱は消えていない。いや、騎士の身分になってからますます激しくなったようにも思われる。


 熱に駆られて先を求めずにはいられない。立ち止まったら、再び全身が焦がれるような幻視に襲われてしまいそうで。


 彼はしばらく、ヨニーが放り投げた剣の残滓を眺めていた。そうしていると、休憩を取っているらしいオットーが通りがかった。


「……ヴィレム様?」

「兄上は仕事があるからと、帰ったよ。……難しいな、兄弟というものは」

「ヴィレム様でも悩むことがあるのですか」

「それはどういう意味だい」


 ヴィレムは苦笑する。愚直な性格とはいえ、なにも考えないほど単純にできていれば、もっと楽に生きられたのかもしれない。


 オットーはなにか感じるところがあったのか、それ以上、無駄な言葉を告げなかった。

 二人は暫く、そうしていた。


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