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24 騎士と市民

 都市にやってくると、ヴィレムは馬を兵に任せ、自身は街中を歩いていく。

 人々の表情は明るく、豊かではないながらに充実した日々を送っているようだ。この領地には目立った貧民街はない。もともと全体が貧しかったせいなのか、取り立てて言うほどの差がないのだ。


 もちろん数千人が暮らしている以上、貧富の違いはあるが、とまれ、奴隷に近い境遇の者は滅多に見られない。労働力としての奴隷は普遍的に見られるが、そもそも仕事が少ない領地だったため、労働力が過剰だったのが理由か。


 なんにせよ、悪くない土地だとヴィレムは思う。

 そんな人々を見ていた彼は、ふと瞼を閉じた。街の音を聞きながら、イメージを広げる。自分が成すべきこと、果たさねばならない責務。


 この世に戦乱は付き物だ。諸侯は常に争いを続けているし、土地の奪い合いが絶えることはない。そしてたった一度でも敗北を喫すれば、この光景は失われてしまう。真っ暗なこの闇に呑まれてしまう。


 勝ち続けられるのか。大勢の命を預かる資格があるのか。

 無数の雑踏の音が、問いかけてくる。無数の命の営みが、尋ねてくる。


「あー! 魔術騎士様! この前はありがとうございました!」


 子供の声が上がると、ヴィレムは目を開けた。眩しい日の中、幼い子供が笑顔を見せている。近くにいる母親は何度も何度も頭を下げていた。


 ヴィレムはしゃがんで、見覚えがない子の目線に合わせる。どこかであったことがあったか、としばらく眺めていると、はたと思い出した。


 数日前に見たときは、病のせいで顔がはれていたから、今とは全然違う顔かたちをしていたのだ。毒の魔術を用いて薬を飲ませてやったのだが、どうやらよくなったらしい。レムの知識は魔術に関する者であれば、ことごとく網羅していたため、日常でも役立つことが少なくない。


「もう無事のようだな」

「はい! 魔術騎士様のおかげです!」


 にこにこと笑顔の子に言われ、ヴィレムは頬をかいた。

 魔術騎士というのは、住民たちによるヴィレムの通り名だ。騎士自身が身体強化以外の魔法を使うことは滅多になく、そういうのは魔術師や聖職者がやる仕事だと思われていたのに対し、ヴィレムは自ら魔術を使ってきた。


 だから魔術師のような騎士ということで魔術騎士、と安直につけられたのだが、騎士よりは実情に即しているかもしれない。


 子供に手を振られながら、ヴィレムは街中を行く。


「ヴィレム様は人気者ですね」


 と、クレセンシアがからかってきた。


「君のほうが人気だろう。今やこの領地の誰もが憧れているのだから」

「ではヴィレム様もそうなのですか?」

「もちろんだとも。俺は君ほど素敵な女性はいないと思っているよ」


 クレセンシアがはにかみ、尻尾をぶんぶんと振る。そんなところは出会ってからずっと変わらない、ヴィレムの宝物だ。


 それからヴィレムは居館の近くにある施設に赴いた。そこでは裁判が行われることになっている。


 ヴィレムが到着すると、もうすぐ始まるところだった。

 彼は資料の類にざっと目を通すと、家臣たちが始める裁判を見守る。彼自身が裁判の進行に直接関与するわけではないが、裁判権を領主から委譲されているのはヴィレムであるから、重要な案件には目を通すことにしていた。


 罪状は窃盗。煙突掃除の少年が、家主のいない間に侵入して金品の類を奪ったということらしい。珍しい状況ではないが、金額の多寡によっては死罪が言い渡されることも少なくない。


 裁判が始まると、すらすらと罪状などが読まれていき、それぞれ原告と被告の意が確認される。


「あの薄汚いガキが、こう、盗んでいったんだ。ありゃあ昼間のことだ、煙突の中へと潜っていくのをこの目でしっかり見ている!」


 ヴィレムは手元の資料に目を落とす。確かに少年が出入りしている姿は目撃されているが、その時刻はすでに掃除が終わっている時間だ。


「そ、そのようなことはありません! 私は早朝には仕事を終え、梯子も撤去しています! どうか、どうかご確認のほどを! 神に誓って、私はなにもしていません!」

「ふざけるな! この汚いネズミが! 神に誓うというのなら、熱湯にでも頭を突っ込んでもらおうか!」


 原告の男がいきり立つ。

 レムの時代とは違って、非合理的な裁判が行われている地域も少なくない。男が指しているのは熱湯に頭を突っ込み、火傷を負って死ねば有罪、生きていれば無罪といった裁判方法だ。


 もちろん、ヴィレムはそんなものを信じていない。なんせ、彼自身、吸熱の魔術と水の魔術を使えば何日だろうが熱湯に頭を突っ込んでいられるのだから。


 家臣たちが一通りの情報確認を終えると、ヴィレムへと一瞥をくれる。彼は立ち上がった。


「その必要はない。熱湯もいらない」

「そ、そんな! ヴィレム様、私は」

「ああ。やっていないんだろう。梯子なしじゃ、登れるはずがない。そういった跡も残っていなかったそうだ。原告の発言には一致しない」

「ま、待ってくだせえ、たしかに、上っていくのを見ました。そ、そうだ、魔法が使えるんだ! それで上って――」


 ヴィレムは慌てた男を見てため息を吐いた。


「彼に魔法の才能はない。ますます見間違いだな」


 男にすげなく告げると、ヴィレムは裁判を終えるように指示を出した。まだ不満があるならば再びこの場に現れるだろうが、あの少年が呼び出されることはあるまい。


 本当に窃盗があったのか、それともあの男がでっち上げたのかはわからない。ただ、証拠がない以上、どうしようもない。


 魔術師レムが冤罪で生を終わらせたこともあってか、ヴィレムは特に慎重になっていた。騎士によっては賄賂や暴力が横行し名ばかりの裁判が行われる中、ヴィレムは中々悪くない判決を下しているとの評判である。


 もっとも、その分、彼の仕事は増えているのだが。


 それから数件の裁判を経て、昼過ぎにはヴィレムはまた街に舞い戻ってきていた。

 数名の兵を連れながら、ヴィレムは目的の場所へと赴く。


 そこには大きな窯がある。共用施設として、使用には税金がかけられている。と言っても、生活を圧迫しない程度のものだ。


「ヴィレム様、お越しいただきありがとうございます。こちらなのですが……」


 と、男たちが迎えてくれる。彼らはこの町のパン職人だ。町民の多くは自宅でパンを焼くことはあまりなく、こうしたところに持ってきて焼いてもらっている。


 ヴィレムは早速、窯の具合を見る。

 ひびが入っていて、熱が外に逃げるだけでなく火が漏れると危険だということだが……。


 もちろん、ヴィレムは窯を作る技術なんか知らないので、その手の職人に尋ねながら魔術を発動させる。


 風読みの魔術を用いながら窯を軽く叩いて反響音により内部の状況を知り、土の魔術を用いて柔らかくしたところを力の魔術で成形する。土の魔術が解け、元の形を取り戻す過程で修復される手はずだ。


 なんでも魔術でやってしまうからこそ魔術騎士と呼ばれるヴィレムらしい行いである。


 早速終わらせると、確認を始める職人たちに挨拶をしてから、ヴィレムはまた次の場所へと移動を始めようとする。今日は粉ひき用の水車も点検しなければならない。こういうのは放ったらかしにする騎士も少なくないのだが、税金を取っている以上、管理もすべきだろうとヴィレムは思っている。


 が、今度は別の兵が駆け寄ってきて、彼に告げるのだ。


「ヴィレム様、お忙しいところかと存じますが、急用にて参りました」

「なにがあった?」

「北の国境付近で盗賊が見られたとのことで、略奪が行われている模様――」

「よし、急行する。魔術の使える、俺についてこれる者を集めてくれ。それから遅れてもいいから、制圧後のため兵を寄越してくれ。俺は街を出て北で待機する」

「はっ!」


 ヴィレムは簡潔に会話を終わらせると、水車は明日に回す旨を兵に告げる。兵もヴィレムの慌ただしさにはすっかり慣れたもので、手早く動いていく。


 さあ行こう、とヴィレムは動き始めたところで、一度足を止めてパン職人と兵たちに振り返った。


「そうだ、クレセンシアのためにパンを焼いておいておくれ。とびっきり上等の、柔らかい奴を」


 それを取りに来るためには、すべてを終わらせてさっさと帰らねばならない。

 必ず帰ってくる、そういう決意でもあった。


 ヴィレムは街中を駆ける。その隣にはクレセンシア。


「いつもすまないね、こんなことばかりで」

「いえいえ。英雄への道はまだ始まったばかりなのですから、へこたれてはいられませんよ。さあ、頑張りましょう。美味しい晩御飯が待っています」


 そうして市壁の外に出ると、集まってくる少年たちの姿がある。魔術を使えるのは基本的にヴィレムが連れてきて訓練した者だが、数は多くない。先ほどまで寝ていたのか寝癖が付いている者や、口の周りに食べかすを付けている者もいる。


 マナーとかのほうも教えるべきだろうか、とヴィレムは思うものの、それで集まるのが遅くなっても嫌なので放っておくことにした。どんな状況でも駆けつける忠誠心の表れということにして。


 まずはこの少数で素早く現地に駆け付ける。数の差は、圧倒的な魔術の力量差でねじ伏せよう。


「これより盗賊の討伐に向かう!」


 ヴィレムの言葉に、兵たちが呼応する。そして身体強化の魔術を用いて駆け出した。

 馬よりも疾く、鳥よりも早く、一陣の風となって疾駆する。


 盗賊の被害は何度もあることとはいえ、人を相手にするのはいまだに慣れなかった。だから、戦う覚悟で心の中のなにもかも塗りつぶす。


 ヴィレムは剣の柄に、手を添えた。


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