23 三年を経て
シャレット領の東部は、未開拓の森が残っている。
東にデュフォー帝国との国境があるため迂闊に手を出せないのもあるが、現状では異民族、顔割れ族が跋扈していることが主な理由だった。
とりわけ北東部は、その北に諸侯との国境があり、戦いで荒れることもしばしばある貧しい土地だった。
それゆえに狩りに赴こうにも、いつ襲われるかもわからず、ここ数十年の間に自然と足が遠のいていったのだ。
もともと大した産業がなかったこの地域にとっては死活問題で、ますます貧しくなっていくのを誰も止められなかった。統治を任されている騎士も、進んで敵を倒そうとはしない。相手の数は多く、領主の命によりある程度の数の兵を動員しないとどうにもならない、と諦めていたからだ。
要するに、民も騎士も、そのうち誰かがなんとかしてくれるのを待ち続けていたのだ。自ら動くことはなく、ずっとずっと待ち続けていた。
多くの者は得てしてそういうものなのだろう。たった一握りの変わり種が、膠着した現状を変えていく。
その荒れきった領地の片隅を、二頭の馬が駆けていく。
騎乗するのは、年の割に大人びて見える少年と少女だ。見た目は十三歳に相応のものだが、煌びやかな鎧を身に付け、漂わせる風格は歴戦の兵さながら。
その少年、休んでいる農民を見つけるなり、馬首をそちらに向けた。
一仕事終えて休んでいた男性は、少年の姿を見るなり慌てて居住まいを正す。馬から降りてきた彼は柔和な笑みを浮かべた。
「やあ、調子はどうだい」
「こ、これはヴィレム様。このようなところにお越しいただき――」
「そう畏まらなくていい。ただ様子を見に来ただけだからね。なにかこの辺で困っていることや噂はないかと思って」
気軽に話しかけられた農民であったが、この何十も年下の少年相手に、態度を変えはしなかった。
というのも、彼ヴィレム・シャレットは三年前にこの土地に赴任した騎士だからだ。この小さな領地を治める役割を担っており、いわば彼らの命運を握っているも同然。
普通に見るならば、貴族の子に騎士の立場とどうでもいいやせた土地を与えた、というのが妥当なところだ。しかし、シャレット領領主イライアス・シャレットの人柄を知る者ならば、それはありえないと断ずるだろう。
ならばなにを期待するというのか。それは偏に、この地の平定だろう。
「ヴィレム様のおかげで魔物の被害は減りましたが、森の中に行けば顔割れ族を見たという者もおります。畏れ多くも正直なところを申し上げさせていただきますと、ここでは恐ろしくて気を張っていなければならないのです」
農民はヴィレムにそう述べた。
大抵の領民であるなら、「何事もございません。すべてはうまくいっております」と、おべっかを使うことだろう。しかし、それはヴィレムが望むところではないし、彼は合理的かつ直接的な会話を好んだ。ようするに、面倒な会話が嫌いなのである。
「ふむ……そうか、そうだな。確かに被害がなくとも、安心はできない。いや、ここに住まうのが俺でない以上、こういうのもおこがましいのかもしれないが、君たちの心情にはできるだけ配慮しよう。その上で、この土地の豊かさに貢献してくれればこの上ない幸せだ」
ヴィレムはすらすらと述べると、農民が頭を下げるなり、再び騎乗して馬を走らせる。
三年間、ヴィレムはこうした手間を惜しまずに続けていた。誰かの耳から聞くのではなく、自身で情報を集めるのが一番手っ取り早いからだ。もちろん、限界はある。治める領地が大きくなればなるほど、自分だけでまかなうことはできず誰かを使う必要が出てくる。けれど、今のところはこれでもうまくいっている。
そうして馬が駆け抜ける地は、お世辞にも豊かであるとは言い難い。しかし、それでも十分な成果があったとヴィレムは踏んでいた。
「すっかり、畑になりましたね」
並走していたクレセンシアが言う。
三年前、ここは森の一部だったのだ。それを考えれば、畑にしか見えない辺り、随分と様変わりしたと言えよう。
ヴィレム自身が魔術を用いて伐採していたこともあり、そのときのことはよく覚えている。
この領内は開墾がほとんど進んでいないため、手つかずの森林が多く、まだまだ広げられそうだった。
しばらく東に進んでいくと、森が見えてくる。そして森の端には、せっせと動き回る少年たちの姿があった。
彼らの周辺には、たくさんの幾何模様が浮かんでいた。魔術を用いているのだ。
身体強化の魔法を用いながら錬金の魔法で生み出した剣を振るい、木を両断する。そして風刃の魔法で枝葉を落としていく。一方、土の魔法で土中に埋まっている小石を掘り出したり、使い物にならない端材を燃やして灰を作ったりしている者もいる。
彼らはヴィレムの姿に気が付くと頭を下げる。ヴィレムはいつも通り、気にせず作業するように告げた。
それから森の中を少し行き、警戒している少年を見つけると声をかけた。
「調子はどうだい?」
「問題ありません! 以前は顔割れ族と思しき反応がありましたが、最近はそれもなくなっております」
その報告を聞くと、ヴィレムは風読みの魔術を発動させる。
今や彼の魔術は、領内で匹敵する者はいないほどにまでなっており、風読みの魔術も随分と磨かれていた。
遥か遠方まで音を拾うと、そこに顔割れ族の反応がないことがわかる。
ヴィレムはなにも、彼らと敵対する意思はない。しかし、攻めてくるのであれば討ち取らねばならないし、民に手をかけるようであれば倒さねばならない。
あくまで彼にとって守るべきは領民であり、そこに異民族は含まれていない。そも、領民と騎士というものは、税金によって結びついている。民が税金を納める義務を果たし、騎士は外敵から守る責務を果たすのだ。そこには身分それぞれの役割がある。
だからヴィレムは役割を果たすべく、何度も自ら赴いて警備しているのだ。
危険なことをある程度わかっていてなお、発展のためにわざわざ分け与えた領地なのだから、みすみす敵を見逃したなどあってはならない。
「いつも悪いな、気が休まらないだろう」
「いえ! ヴィレム様が見出してくださったおかげで、こうして働くことができ、妹も満足な食事を取れています!」
「そうか、それはなによりだ。しかし体は壊さないでおくれよ」
少年はヴィレムに深々と頭を下げた。
ここで働く少年たちは、ほとんどが貧しい地区で育った者たちだ。ヴィレムが魔術の才能を見出して、まったく身分に関係なく訓練をさせたのである。
魔術の才能が開花しなければすっかり無駄になってしまい、税金を無駄に使ったと罵られるところであったが、幸いにして、全員が魔術を使えるようになった。この伐採はその訓練も兼ねている。
以前から付き従っていたドミニクたちのうち、一部の者も連れてきてはいるが、彼らはどちらかと言えば街中での仕事が多い。細々したことをドミニクに任せるにあたって、人手が必要となるため、今となってはヴィレムの部下というよりドミニクの部下というほうが近いかもしれない。
かといってヴィレムが怠けているわけでもない。小さな領地とはいえ、統治をまかされたとなればやることは多くある。
これから裁判に出なければならないし、共同施設の点検にも赴かねばならない。幸い、事務は意外にもオットーが得意だったため、なんとか手伝ってもらっている。
剣を振って訓練だけしていればいいわけではなくなったのは不便だが、その分、できることが増えたのも間違いない。
今日はこれから、大規模な魔術を使う必要もなかろうと判断すると、ヴィレムはすべて使い切ってしまうことにした。最近は魔核の成長も緩やかになりつつあるが、やって損はない。そのために、わざわざ馬に乗ってきたのだ。そうでなければ、走ったほうが早い。
「さてと、君らの作業を俺が代わりにやろう。だから、心配せず休むといい」
ヴィレムは少年らに告げると、膨大な量の幾何模様を生み出した。それらは風読みの魔術と同時に風刃の魔術になっていく。彼一人で、現在の魔術師数十人はおろか、数百人近い働きを見せる。だからこそ、この伐採計画がうまくいってきたのかもしれない。
それにより、遠隔地の木々を見ることなく正確に伐採し、丸太へと変えていく。
さらに土の魔術と力の魔術によって埋まった小石を取り除くと、クレセンシアが炎の魔術で無用な枝葉を焼き払った。
すっかり見晴らしがよくなった付近を見ながら少年たちは呟いた。
「相変わらずヴィレム様はすごいな」
「自信なくしちゃうよなあ。俺、これでも結構いい感じの魔術師になったと思ってるんだけど」
そんなことを言いつつも、今日の仕事の大部分がなくなったので嬉しげである。一部の者は警備を続けねばならないが、きっとこれから街に繰り出したり、家族との時間を過ごしたりするのだろう。
ヴィレムは馬に乗ると、早速居城へと戻っていく。時間まで少し猶予があるが、早めについてしまうに越したことはない。
今後のすべきことを思うと、なんとも大変だとしか思えなかった。魔術や剣を振るっているときはなんら苦にはならないが、実直な性格の彼はまどろっこしい作業がとにかく苦手なのだった。
そんな彼をクレセンシアが笑う。
この三年間ですっかり綺麗になった、とヴィレムは思う。今やクレセンシアが町を歩けば誰もが振り返り、ため息すらつかずにはいられない。
そのクレセンシアは、いまだヴィレムの付き人である。ヴィレムの身の回りのことに関してなにからなにまでこなすには都合がいいのだが、名誉ある立場かと言われれば微妙なところだ。しかし彼女は、それ以上のことを望まなかった。
だからヴィレムはあれやこれやとクレセンシアに贈り物をしたり、それとなく好きなものを聞き出したり、色々と気にかけてきた。
「そうだ、シア。パン釜の点検が終わったら、一つ焼いてもらおう。君の好きな柔らかいパンを」
「はい。ではヴィレム様も一緒に食べましょう」
クレセンシアは献立を考え始める。
ぴょこぴょこと動く狐耳を見ていると、ヴィレムは後の仕事も頑張ろうと思うのだった。