22 叙任式
ヴィレム・シャレットは凱旋の後、真っ直ぐ父イライアスのところへと向かっていた。
細かい手続きの類はともかく、まずは帰ってきたのと任務の成功を報告をしなければならないのだ。急を要する案件はないため、仔細は後ほど上げることにして。
ドアをノックし、父の部屋に入る。
この屋敷から兵を連れて出ていったときと、一人減った兵たちと戻ってきたとき。たった数日の出来事だったが、心境は変わっている。
「父上、任務を終えて帰還いたしました」
「そうか。その顔だと、滞りなく済んだようだな」
イライアスは顔色一つ変えずに告げる。もう少し驚いてもよさそうなものだが、とヴィレムは思ったものの、テレンスの言葉を思い出した。イライアスはヴィレムが思っているほど理解がないわけではないと。
はたしてどの程度、意識しているのだろうか。ヴィレムはそれを知るために、一歩踏み出すことにした。大それた目標を掲げ、魔術を駆使する勇敢な姿とはかけ離れた、年相応の感情だった。
なんのことはない、ただ聞いてみることにしたのだ。雑談をするだけの時間をくれるのかどうかを。
「問題は色々ありましたが、ドミニクの手助けもあって、遺恨なくこなすことができたと思っております」
「ほう……ドミニクが。セドリックの次男だったか。あまり目立たない者だったが……才覚のある者は、自然と頭角を表す者なのだろうな」
ヴィレムはイライアスの言葉のどこかに、自嘲めいたものを感じ取っていたが口にはしなかった。その代わりに、前から思っていたことを具申した。
「兵や騎士として育てるのであれば、成長前の時期がよろしいでしょう。そういう意味では、ドミニクは相応しい環境にあったと言えます。魔術の力を伸ばすには、大人になってからでは遅すぎます」
現在、兵の多くは若くとも、体格が大人に近くなったものばかりだ。鉄の剣を持てない子供を相手に教えるのは手間暇がかかるだけでなく、前線に出られない兵を長らく雇う費用もあるため、こうした状況になっている。彼らにできるのは荷運びくらいだと思われている節があった。
兵の仕事が町の治安維持だけでなく、日常的に魔物相手に戦うのも含まれているのが拍車をかけている。兵が怪我をしたり亡くなったりして、新しい者が入ってくるサイクルが短いのだ。だから、気長に育つのを待ってなんかいられない。
そんなことはヴィレムもわかっているし、戯れに言ってみただけだ。けれど、中には魔術の才能を持つ者もいる。そんな者たちが輝ける場を、埋もれ切った原石を拾うための仕組みをあってもいいのではないか、とドミニクたちを見ていると思い始めていた。
イライアスはそんな子供じみた発言を厳しくたしなめることも、無視して話を終わらせることもしなかった。しばし考える素振りを見せた後、ヴィレムに向き直った。
「そうだな……お前は彼らが大人になったとき、貢献してくれると思うか」
「彼らだけではありません。才能が腐り果てる前に拾い上げることができれば、魔術師として育てることもできましょう」
現状、魔術師の数は多くない。魔核が豊富な者がいようとも、魔術師としての訓練を受けていないため、「魔術が得意な兵」にしかなり得ないのだ。もちろん、かつての魔術師たちのように知識まで豊富とはいかないだろうが、簡単な魔術を使いこなせるようになれば、抱えられる戦力も随分と増す。
イライアスはヴィレムの目を見る。いつになく真剣なその雰囲気に、ヴィレムは貴族としての風格を覚えていた。そこにはきっと、長年纏わり続けてきた責任や喉元に突きつけられた覚悟があるのだろう。
「ヴィレム」
「はい。なんでございましょうか」
「お前は騎士になるつもりはないか?」
思わぬ問いに、ヴィレムはしばし口を閉ざしてしまう。
貴族の次男坊以降が騎士になることはそう珍しくない。それに、おそらくこれは父の答えでもある。ヴィレムが騎士になれば、その下に兵を抱えることもできるだろうという。
しかしヴィレムは、まったく予想していなかった未来予想図に、すぐさま答えることはできなかった。
けれど、答えはすでに決まっている。どれほど考えようが、変わることはない。ずっと抱えてきた思いを告げるほかないのだから。
ゆっくりと時間をかけて、彼は口を開いた。
「申し訳ございませんが、ご期待に応えることはできません。私には、思い描いた未来がございます」
イライアスは拒絶の言葉を気にした素振りもなく、ヴィレムを眺める。
「辺境の騎士なんかではなく、もっと大きな夢か」
「私は将来、魔術師になりたいと思っております。魔導王の名を継ぐ者として、聖域の奪還を目指している最中なのです。ですから、騎士にはなれません」
ヴィレムがクレセンシア以外に初めて、自身の目的を告げた瞬間だった。子供の夢は今、たしかな形を帯びて世界に飛び出した。
「そうか……。ならば、それまで――お前が旅立つまでの間でいい。魔術師となるまで、騎士ヴィレム・シャレットとして支えてはくれないか」
「それまでということでしたら、謹んでお受けいたします」
ヴィレムは朗々と答えた。
これが一人の独立した人間として、父と交わした瞬間でもあったのかもしれない。
そうして貴族の末っ子は、一人前の魔術師になるよりも早く、騎士として産声を上げることになった。
◇
ステンドグラス越しに入ってくる光に照らされて、荘厳な彫像が浮かび上がっていた。シャレット家に仕える筆頭騎士の像だ。彼らは微塵も動かず、事の成り行きを見守っている。
滅多に人の立ち入らない礼拝堂には、シャレット家の先祖が祀られているという。忠臣たる騎士の像に見守られた古の魂が、シャレット家に繁栄をもたらしてくれると考えられていた。
その輝かしい栄光の場に、数人の若者が集まっている。皆が皆、筋骨たくましい肉体の上に鉄を纏い、汚れ一つない真新しいサーコートを身に付けている。
彼らは今日、騎士になる。
地方の守護を任されている騎士の子や裕福な平民の子など、出自は様々だ。しかし、誰もがこの思い描いた未来に、誇りを胸に抱いていた。将来に希望を見出していた。……ただ一人を除いて。
ヴィレムは叙任式の最中、あまり集中できずにいた。もちろん、他の者たちとまったくずれた行動を取ることはない。けれど、実感と事実の認識はすっかりずれていたかもしれない。
騎士になるということがどういうことか。
二つ返事で応えてしまったが、果たしてその資格があるのか。
実力や資質だけならば、他の追随を許さぬ域にある。だが、その忠誠心といったものではどうか。きっと、ほかの者のようになにもかも投げ打ってまで尽くすことはできないだろう。
だからたとえその身分が騎士になっても、中身は仮初のままだ。
跪いている男たちは、祝別の言葉とともに、主君イライアス・シャレットから剣を渡されていく。
ヴィレムはただ、自分の番が来るのを待つ。それは随分と長い時間にも思われた。自分が覚悟を決めるための執行猶予なのだと考えてしまうほどに。
そして彼は、自分の前に立つ男の存在を感じ取る。父――いや、主君イライアスが、そこに立っている。ヴィレムという存在を認めている。
「騎士ヴィレム。汝、常に礼儀を守り、欺くことはなく、民を守る盾となれ」
剣の腹で三度肩が叩かれる。それから剣を受けとり、腰に佩く。
たった今この瞬間、彼は騎士となった。騎士ヴィレム・シャレットとなったのだ。
責任と地位を実感しながら、ヴィレムは式が終わるまでの間、その意味を考えるのだった。
肩に触れた剣の重みが、いつまでも残っていた。
◇
叙任式が終わると、そのまま祝宴に移行した。
吟遊詩人たちが音楽を奏で、女たちがテーブルに料理や酒を運んでくる。
新米騎士たちは、それぞれ世話になった先輩騎士に挨拶に行ったり、イライアスに挨拶をしたり、なかなか忙しげにしている。
一方でヴィレムは、セドリックのところにいた。
「ヴィレム様、ご立派でございます。いやはや、素晴らしい」
「そうでしょうか。まだこの姿には慣れません」
きっとヴィレム自身よりもセドリックのほうが、騎士となったヴィレムの姿には慣れている有様だ。
セドリックの隣には、胸を張るドミニクと少し居辛そうなオットー。
ドミニクは今日をもって、従騎士となる。ヴィレムが昇格したのだから、つられて彼も地位を手に入れることになったのだ。兵を取り纏めるだけでなく書類の作成までやってくれる優秀な若者なのだ、誰も不服はあるまい。
弟に先を越されたオットーは、そこまで気にしているようには見えないが、やはり思うところはあるのだろう。
そんな若い兄弟を少しからかってから、ヴィレムは料理に手を付けることにした。彼ら以外に、挨拶すべきものはいなかった。けれど、ここで交流しておくのも悪くない。
あちこちのテーブルに行っては声をかけ、美味しそうなものをつまみ、適当な果実酒で流し込む。そんなことをしているうちに、なんだかいい気分になってきた。騎士というのも悪くないのではないか、と。
周囲の騎士たちのヴィレムを見る目には、妬み嫉みが少なからず籠っている。
貴族の子というだけで成り上がり、騎士の名を手に入れた、と。それも、歴代最年少の騎士だ。今後、シャレット家の歴史に残るのは間違いない。
新米騎士たちが仲良くする中、ヴィレムは会話を終えると、離れたところで飲み食いしていた。
彼らもヴィレムも騎士という立場である以上、貴族相手とはいえ無理に主従関係を結ぶ必要はない。騎士同士で協力することもあるが、あくまで主君イライアスに仕えるのが役割なのだ。
ここからは、自分の力が試されるばかり。
そう思ってグラスを傾けたヴィレムの手を、そっとクレセンシアの手が押しとどめた。
「ヴィレム様、飲み過ぎですよ」
「仕方がないのだよ、君の美貌に酔い痴れようと思ったが、俺には高嶺の花らしく、手が届かないところにいたのだからね」
ヴィレムはおどけて言い、クレセンシアは酒も飲んでいないのに赤くなった。
それから彼はグラスを置いて、そこらの席に腰かけた。体が火照って暑かったが、脱ごうにも鎧を着たままであったので、面倒くさくてそのままにしておいた。
「シア。俺のこの格好はどうかね。騎士ヴィレム・シャレットの姿らしいか? それともただの子供が鎧を着ているように見えるか?」
クレセンシアは上から下までヴィレムを眺める。顔こそ赤くなってはいないが、なんとなく酔っているのがわかる。なにより、酒の匂いがしていた。周囲の騎士たちも祝いの席だからと結構酒を飲んでいるから、問題があるわけでもない。
けれどクレセンシアはヴィレムが酔っている姿をこれまで見たことはなかった。だから、ヴィレムなりに思うところがあるのだろうと感じずにはいられなかった。
「似合っていますよ。騎士になったヴィレム様もかっこいいです。クレセンシアが保証しましょう」
クレセンシアがはっきりと答える。けれど彼女は、「でも」と続けた。
「やはりヴィレム様には、ローブのほうが似合っていると思います」
見たこともないその姿を似合っていると、クレセンシアは言う。ヴィレムは急に酔いが醒めた心持ちになって、改めてクレセンシアを見た。
穏やかな微笑みを携えた彼女は、変わらずにヴィレムを見ている。ずっと、初めて会ったときから変わらずに見てくれている。彼の夢を一緒に追いかけてくれる。
どうしてこのようなところで満足し、足を止めていられようか。
ヴィレムは一つ息を吐いた。ちょっと酒臭く、頼りない姿である。
「情けないところを見せてしまったね、シア」
「では、明日からも、素敵なヴィレム様のお姿を見せてくださいね」
クレセンシアが悪戯っぽく言う。だからヴィレムもそうあろうと思った。彼女の思いに応えなければならなかった。
宴もたけなわ、騎士たちも女たちも、はたまた領主もそしてただの貴族の末っ子であったはずの少年も、今は同じ時間を過ごす。
思うことは様々だ。これから待つ未来も。
ヴィレムは明日から始まる自分の姿を思い描く。その隣には、やはりクレセンシアの姿があった。
これにて第三章完結です。
また、ここで第一部も完結となります。
ただの末っ子が公的に認められ、騎士の立場を得るまでに至りました。
次章からは第二部が始まり、少し時間が飛びます。
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