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21 魔物と化して

 老人の姿は変貌を遂げ、膨れ上がった筋肉と毛皮に覆われている。すでに人であった形跡は影も形も見られない。


 灰色の二足歩行する狼の魔物だ。口の周りだけが滴る血で赤く染められていることが多く、赤い口輪を嵌めているように見えることから、マズルオオカミと呼ばれている。


 小型の魔物の中では最大クラスの大きさであり、俊敏性では他の追随を許さない。


 その狼は目を血走らせながら、勢いよくヴィレム目がけて飛び込んでくる。彼はさっと剣を抜き、突撃に備える。


 が、すでに相手の片手は落ちており、攻撃方法は限られている。予想は容易い。

 口が割れるように開くと、巨大な牙が剥き出しになった。


 ヴィレムは敵の動きをしっかり見ながら、さっと横に飛び退くと素早く剣を切り上げる。もう一方の無事な狼の手が赤く染まった。


 そしてマズルオオカミが振り返った瞬間、その背に槍が突き立った。すっかり意識されていなかったクレセンシアは、全力で飛び込んだのである。


 呻く相手を前に、ヴィレムは風刃の魔術を使用。途端、マズルオオカミは体表に幾何模様を浮かべ、大きく跳躍する。身体強化の魔術だ。


 目標を定められないよう激しいステップを取りながら、接近と後退を繰り返す。そしてヴィレムが間隔を上手くつかめないと見るや否や、思い切り飛び込んできた。


 鋭い爪の一撃を、ヴィレムは剣で受け止める。

 重い一撃で、子供など軽く吹き飛ばしてしまいそうな威力があった。だが、ヴィレムはまったく不安定な体勢になどなっていない。彼もまた身体強化の魔術を用いており、さらに風の魔術でバランスをも整えている。剣士としてはまだ未熟なところがある彼だが、それを補って余りある魔術の才が発揮されつつあった。


 そうして敵が動かなくなった一瞬でクレセンシアは距離を詰め、下からすくい上げるようにマズルオオカミを打ち上げた。


 宙に浮かぶマズルオオカミ目がけて、ヴィレムは魔術を発動させる。

 生じた幾何模様が二つに分かれ、マズルオオカミを挟み込むように移動。そして中間点に相手が来た瞬間、激しい音と光が放たれた。


 兵たちが目と耳を押さえる中、クレセンシアもぺたんと狐耳を倒している。彼女には誰よりも刺激が強かったに違いない。


「ごめん、シア」

「い、いえ。大丈夫です」


 ヴィレムが放ったのは雷の魔術「雷撃」だ。

 中間生成物ができてから魔術の発動までは長いが、発動から敵に当たるまでの時間はどの魔術よりも短い。回避はほぼ不可能と見ていい。間に物を浮かべられたり、幾何模様に解除の魔術を用いられると無効化される欠点はあるが、使い勝手は悪くない。


 ヴィレムは雷撃の直撃を食らったマズルオオカミを見る。先ほどと同じ体勢のまま落下してきて、地にぶつかった。


 いまだ痺れが取れない相手に剣を突きつけながら、ヴィレムが告げる。


「さあ。許しを請うならば、切り刻み痛めつけるほど俺は冷酷じゃない。大人しく、その魔術を与えた者について答えるがいい」


 マズルオオカミはぐっとヴィレムを睨み付けると、勢いよく飛び掛からんとした。が、すでに片手はなく、もう一方の手も負傷しているため上手く動かない。


 前のめりに倒れ込む敵からヴィレムが距離を取ると、クレセンシアが槍で抑え込んだ。


 そしてヴィレムのほうを見て、彼が小さく頷くのを確認するなり、狐火を発動。

 巨大な狼の姿が炎に呑まれていく。


 上がる絶叫、もがく腕の先から血が撒き散らされる。この炎に熱はなく、血も蒸発することはなかった。


 だからこの炎では死ねない。

 延々と続く苦しみに、マズルオオカミは胸をかきむしり始める。しかし、どうあがいたって死ねやしないし、苦痛が和らぐこともない。


 ヴィレムはしばしその様を眺めつづけていたが、やがて狼の口から泡が噴き出し始めると、クレセンシアに魔術を止めるように視線を向けた。


「さて……とりあえず捕縛しようか」


 狼の姿はやがて小さくなり、毛は縮んでいく。そうしてまもなく、老人の姿へと戻った。しかし、傷は治っていない。


「魔術で仮初の肉体を作ったところで、元は人の体だ。魔物本来の力を発揮することはできないんだろう」

「だからそこまで速くもなかったのですね」


 そうして得心する二人だが、振り返ると、兵たちが浮かべているのは困惑の表情だった。

 そんな二人のところにドミニクがやってくるなり、ヴィレムに告げた。


「お見事でした、ヴィレム様、クレセンシア様。先ほどの騒動に紛れて逃亡を図った村人がいたので、捕縛しておきましたがいかがいたしましょう」

「煮るなり焼くなり、好きにしていい。任せるよ」

「はっ! 畏まりました」


 あとの処理をすべてドミニクにぶん投げて、ヴィレムは村長に創傷の修復を促す再生の魔術を用いる。局所的に発動されたその魔術は、手足の出血を止めていく。が、用いた魔術が元の状態に戻すものではないため、手足が生えてくることはない。


 そうして呼吸が戻りつつある村長を家の中に運んで寝かせておく。

 クレセンシアと二人で見張りをしつつ、状況を整理する。


「それにしても、ブラックベアーのときもそうだったけれど、禁術が用いられているのは間違いないようだね」

「はい。その旅人は魔術師なのでしょうか」

「おそらくは。そうでもなければ、研究のほとんど進んでいなかった禁術をこの時代に蘇らせることはできなかっただろう。よほど優秀な魔術師なのか、それとも決定的な資料が残されていたのか。いずれにせよ、野放しにはできない」

「かといって、探す術もありませんよね。大量の兵を動員するには、理由が弱すぎますし」


 今のところ、大量の資金を用いて捜索するまでの被害は出ていない。もし、これに危機感を覚えて他国へと去ってくれるなら、ヴィレムとしてもいちいち追う気はない。彼とてそこまで暇ではないのだ。


 さあ、これからどうなるか。

 ヴィレムがそんなことを呑気に考えていると、呻き声とともに村長が体を起こす。


「ここは……」

「あなたの家だ。村長」


 ヴィレムの言葉を聞くなり、村長は慌てて立ち上がりかけて、すっころんだ。痛みがすでになくなっているから、手がなくなったのを忘れていたのかもしれない。


「動くな。今から俺の質問に答えてもらおう。嘘は通用しないからな。素直に従わねば、あの苦しみに再び襲われることになる」


 村長は焼ける痛みを思い出したのか、顔面を青くして身を強張らせた。もう反抗の意志はすっかり折れてしまったようだ。


「まず、その旅人の風貌はどんなものであったのか、答えろ」

「……わからない」

「なんだと?」

「本当だ! 本当に覚えていない。あいつと会うときはいつもふわふわした気分で、どんな顔だったか覚えていないんだ。だからほかのこともなんにも、なんにも頭に残ってはいない!」


 ヴィレムはその奇妙な現象を考えながら、毒でも盛られたか、と結論付ける。村長がマズルオオカミの遺伝子に影響されて冷静じゃない行為を取ったのを考慮すれば、遺伝的な別の要因も考えられるが、現状では判別できないので置いておく。


「……いや、そうだ。一つだけ、あいつは言っていた。確か……いずれこの地は一人の魔術師の元に治められようと」


 ぼんやりと天井を見上げながら語る老人の目は、すでに虚ろであった。もう、彼がなにかを成すことはないだろう。


 ヴィレムは台所に行ってコップに水を入れると、幾何模様をその中に浮かべた。


「村長。よくぞ言ってくれた。これまでの辛いことを、神はお許しになるだろう。ここでは形すら取り繕うこともできないが、聖水を」


 ヴィレムは村長にコップを渡す。


 この時代、宗教が発展していたのは、偏に聖職者が魔術を用いることができたからだ。その毒の魔術により汚水の中にいる菌は死に清められ、飲用になり腹を下して死ぬこともなくなる。熱に浮かされることもなくなった。病に陥った者がいれば、微量の毒――薬によって治療することもある。


 貴族が聖職者になることが多い理由の一つでもあり、魔術の使えない貴族が就ける職が狭まる理由の一つでもあった。


 そんな贖罪の水を村長は口に含む。

 表情からは恐れや苦痛が消えていき、安らかな顔になった。


 彼の姿を眺めていると、ドミニクが入ってきた。


「今よろしいでしょうか、ヴィレム様」

「ああ。どうした?」

「山賊行為を働いていた指導者と思しき者を軽く処罰し、今は撤収の準備に入っております。厳罰がお望みでしたら、仰せの通りに致しますが」

「いや、それでいい。圧政は軋轢を生みかねない。なにより、華々しく出ていった末っ子がいきなり焼打ちをしてきたとなれば、外聞が悪すぎるからね。……お前は有能だよ、ドミニク。父のようないい騎士になるだろう」

「ありがたき幸せに存じます」


 そうして頭を下げるドミニクだったが、目を瞑った老人に意識を向けた。そういうところは、まだ子供らしい。


「自害したよ。このまま生きていても、苦痛しかなかろう。すでに年老い、体もままならぬ。さらにはこの悪評は付き纏う。それよりはずっとましな選択だろう。安らかな最期だった」


 ヴィレムは言いながら、老人の顔を見ていた。そして、魔術師レムの最期を思い出す。

 彼は苦痛の中、高らかに笑った。孤高の魔術師であったからだ。偉大なる魔術師であらんとしたからだ。


 その魂は今もなお、彼の中にある。

 ヴィレムはぐっと拳を握る。そんな彼の手をそっと、クレセンシアが包み込んだ。


 どこまでも剛毅なレムを越えていかねばならない。その重圧は、すっかり柔らかく取り除かれていた。


「さあ、帰ろうか。こんな辛気臭いところに、いつまでも居たくはないよ。父にはいい報告ができることだろう」


 ヴィレムはクレセンシアとともに村長の家を出た。


 それから二人はなにをするでもなく、兵たちの活動を眺めつづける。やるべきことはすべて、ドミニクがやってくれるのだから。


 レムは人を使うことを一切せず、なにからなにまで自分でやり遂げた。しかし、こういうのも悪くはないのではないか。


 ヴィレムは今後、面倒事はすべてドミニクにやらせよう、と悪戯めいた笑みを浮かべる。そんなヴィレムを見たクレセンシア、狐耳を前後に動かしながら困った顔をする。


「なんだかヴィレム様が悪い顔をしています。悪徳貴族を目指してしまうのですか? そんなヴィレム様もかっこいいですが、クレセンシア、ちょっと困惑してしまいます」

「違うよ。レムにできないことを、俺はできるのかもしれないと思ってね」

「希代の大魔術師の名をほしいままにする日も近いのですね」


 クレセンシアが笑い、ヴィレムが肩をすくめた。

 それから準備が整うと二人は馬に乗り、今度は街道を行く。堂々たる凱旋だ。


 貴族の末っ子の挑戦は、見事父の期待に応える形で終わりつつあった。


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