19 深夜の戯れ
「……というわけだ。だからもしかすると山賊はいないかもしれないし、村の中に潜んでいるかもしれない」
ヴィレムの言葉をドミニクが真剣に聞いていた。
しかし、山賊を倒すと勢い込んできたドミニクにとって、この結果は衝撃的だったようだ。彼とて騎士の子、人を切る覚悟を決めてきたはず。肩透かしを食らったのは間違いない。
「で、ですがヴィレム様。確かに死体はありました。山賊がいなければ、誰が殺すというのです?」
「そりゃあ、決まっているだろう。匂いが付いていた人物のうちの誰かだ。よもや自殺なんてことはあるまい」
町の外に続く匂いがないのだから、事件は村の中で完結していると言っていい。山賊について聞いたところ、村人によって証言が曖昧だったり、見ていなかったりと不自然な点もあった。だから、山賊が外に存在する可能性も限りなく低い。
クレセンシアがそのときの様子を思い出しながら呟く。
「口裏を合わせていることがあるのかもしれませんね」
「山賊の噂があったのは確かだから、脅されているのかもしれないし……ああ、そうだ。これが一番しっくりくるな。――実はここが山賊の村だった」
村ぐるみで近寄った旅人を襲っていたとすれば、山賊の姿が山にないのに、その被害だけがあることの説明が付く。
初めに村民の死体を見せておけば、まさか山賊がいないとは思わないだろうし、村人が犯人と疑われる可能性は非常に低くなる。もっとも、風読みの魔術が使えるヴィレムと匂いを辿れるクレセンシアにとっては、偽装しきれるはずもないのだが。
ドミニクが動揺しつつ、ドアの外に誰かいないかと気にする。もちろん、ヴィレムは確認したうえでの発言だ。
「それは……本当なのでしょうか?」
「さあね。けれど、貧しい村のことだ、別に珍しいことでもあるまい。可能性の一つとして考えておくだけでいいさ」
なんとも気分の悪くなる話だが、無警戒でいるわけにもいくまい。
しかし、そうなると別の疑問が生じる。
なぜ、あの男――村の新入りが殺されたのか。なぜ、わざわざ村人自身が捕縛される可能性がある救援を呼んだのか。
そもそも前提となる仮定が間違っていれば何の意味も持たない考えなのだが、ヴィレムはしばし思考を巡らせる。できることがほかになかったからだ。
こんな状況ではほったらかしてさっさと帰りたくなるのが道理だが、なんの手柄も立てずに帰るのは少々後味が悪い。適当な犯人をでっち上げて処罰する件が後を絶たないのも、この立場になってからは納得できるものだった。もちろん、それをよしとする考えはまったくないのだが。
ともかくそうしているうちに夜は更けて、村の内外に関する出入りの見張りを立たせることで、ひとまずは落ち着いた。
ヴィレムは後のことを兵たちに任せると、自分は部屋でのんびりと寛ぐ。なんとも鬱屈した気分になっていたからだ。クレセンシアと一緒にベッドに腰掛けると、あたかも我が家のような振る舞いを見せる。
くるくると風車を回し、風の魔術を使用。そうしてリラックスしていると、ふと来客の娯楽用の品が目に留まる。
様々な大きさの円形の台に尖った針が付いている。
壁に投げると刺さるので、次はその針の後端に付いている円形の台を的にして投げていくという遊びだ。上級者なら、何十本と続けて刺していけるそうだ。
小さな的ほどポイントが高いとか細かいルールは色々あるようだが、ヴィレムはよくわかっていない。それに、ヴィレムとクレセンシア二人の腕前ならば簡単すぎるので、一番小さな円が付いた針を手に取った。
「シア、勝負をしよう。真剣勝負だ」
「ヴィレム様といえども、手加減しませんよ!」
クレセンシアが乗ってきたので、ヴィレムは条件を告げた。
「普通にやったんじゃつまらない。ということで、今回はこの魔術を使おう」
ヴィレムは光を屈折させる「レンズ」の魔術を使用する。幾何模様が円形に浮かび上がった。
クレセンシアがその輪を覗くと、向こうは歪んで中心にあるはずのものが左に見える。いつも顕微鏡と一緒に使っているのと同じ魔術だ。
「ヴィレム様が意地悪して、途中で変えたりしません?」
「しないよ。常に屈折は一定にしているから。なんなら、君の言う通りにしてもいい」
「じゃあこれでいいです。さあ始めましょうか?」
「あとは二回戦勝負にしよう。二回目はこれを使わないの方向で」
そういうことに決まると、早速ヴィレムが一投。
しかし、的から大きく逸れた左に命中してしまう。
「もう、ヴィレム様なにやってるんですか? 手加減はなしですよ?」
「本気も本気だよ。君だってあとでわかる」
それから二度目は先ほどよりもましになったが、まだ左にずれていた。
ようやく慣れてきた頃になると、針がなくなったのでレンズを解除して、二回目に入る。
すると、今度は確かに正面に見えているはずなのに、大きく右に逸れてしまった。徐々に修正されていき、元に戻ったときには結局、一本も的に刺さっていなかった。
呆れ顔のクレセンシアであるが、今度は彼女の番だ。ヴィレムは彼女の前にレンズを浮かべた。
「いきますよ、ヴィレム様。えいっ!」
そう勢い込んで放ったクレセンシアだが、結果はヴィレムと同じだ。見当違いのところに飛んでいった針が虚しい。
「……これ、どこかおかしいんじゃないですか?」
「ただのレンズだよ」
「むむむ……」
がんばるクレセンシアであるが、彼女もヴィレムより多少マシ、という程度だ。
結局、勝負にはならない。どちらも点数を取れなかったからだ。
「いったい、なんの意味があったのです? そろそろ教えてくださいな、ヴィレム様」
「俺たちの脳ってやつは、騙されやすいんだ。さっきの例だと、歪んだ視界と体の対応を覚えてしまったのさ。そうすると、レンズを取ったところで、すでに体が覚えているのは正しくない歪んだ視界での対応だ」
見えているものと実際に存在する位置がずれているからこそ、体の動きがずれてしまっていた。
「歪んだ時に覚えたのは、左側に見えている的に当てるためには、そこより右に向かって投げなければならないという感覚ですね」
「だからレンズを取って正面に的が見えていると、右に投げてしまう。……これらは要するに、頭で覚えている動きと、実際の体の動きが異なるんだ。これを是正する訓練を始めよう」
レンズの屈折を変えればそのたびに体は順応するが、本当に必要なのは、日常での動きが見えているものと合っているかどうかだ。
ヴィレムは早速、クレセンシアに指示を出していく。
「まずは両手を水平に上げて」
困惑気味にクレセンシアが従うと、若干下がり気味なので、ヴィレムは正しい位置に戻してやる。その次は両手を上げる。これまた僅かに左右でずれがあるので修正。そうして体におけるイメージと実際の位置のずれをどんどん直していく。
「次は尻尾を左に。次は右」
「はい!」
「それから次は……」
ヴィレムはクレセンシアの尻尾を持ち上げたり、足の位置を直したりと大忙しだ。その真剣さに釣られて、クレセンシアもまた、頑張って彼の期待に応えようとする。
「よし、いいぞ。今までのをすべて一から始めてみて!」
「わかりました!」
クレセンシアは両手を水平に上げてから、頭上へ。滑らかな動きだ。しっかり正しい位置に修正されている。
それからステップを取ったり、尻尾を振ったり、可愛らしく小首を傾げたりしているうちに、いよいよ最後まで到達する。
くるりと一回転、そして決めポーズ。
「……ヴィレム様! あとのほう、訓練じゃなくて踊らされているだけですよね!?」
「いやはや……素直な君が可愛かったから、つい」
「つい、で踊らされるなんて……! ヴィレム様は意地悪です」
そういうクレセンシアをなだめるヴィレム。
「悪かったよ。俺はただ、可愛い君が踊る姿を見たかっただけなんだ。許しておくれ、シア」
「そんなこと言われたら、怒れないじゃないですか。やっぱりヴィレム様はずるいです」
頬を膨らませるクレセンシア。
ヴィレムはそんな彼女と暫し戯れていたが、やがて自身もその訓練を始める。自分の体の動きがイメージとずれていれば、剣を振っても槍を振るっても、すべての動作にずれが反映されてしまう。
しかし、自分の体とのイメージがピタリと合っていれば、新しい武器での動きをイメージするだけで上手くいくはずだ。
これこそ技術が上達することにほかならない。
そして睡眠を取ると定着することもあり、寝る前に行うことにしたのだ。敵襲に備えて魔力を使えず、魔術の訓練ができないのも理由の一つである。
魔術ばかりでなく身体のほうも鍛え上げていく。ヴィレムが王都の訓練場で放った言葉はその場しのぎのものではない。次は魔術師としてだけでなく、剣士としても誰にも負けない自分になって、王都に赴くのだ。
そう考えているうちに、ヴィレムの鬱屈とした気分は晴れていた。
今回の話は運動学習の話です。
わかりやすいところだと、練習していくうちに自転車に乗れるようになるのがそうですね。
間違いが修正されて、ズレが少なくなっていき、成功するようになります。
体のコントロールを実践しているのは、武井壮さんが有名ですね。
私は最近運動していないので体験的にはなんとも言えないのですが、こうした誤差の修正が小脳で行われているのが明らかになっているので、効果はあるのではないかなあと思います。
運動の制御ということでフィードバック制御とか書きたかったのですが、今作は脳や遺伝子に関与した話となっており制御は出てこないので、こうした説明にしました。わかりにくかったでしょうか。
楽しんでいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いします。




