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1 少年は過去を夢見る


「……さま……レム様……ヴィレム様!」


 呼びかける声で、ヴィレム・シャレットは目を覚ました。

 長く眠っていた後のように、夢と現の境界は曖昧で、頭からすっかり判断力が失われていた。だから、あたかもここが夢の続きであるように思われて、彼はひどく億劫そうに体を起こした。


「なんだ、騒々しい。一体どれほどのことがあったというのだ。まさか天地がひっくり返ったなどと――」

「ヴィレム様! お気付きになられたのですね!」


 ヴィレムは抱き付いてくる重みによって、目の前にいる少女をようやく認識した。愛らしい丸顔に、きらきらと輝く大きな赤の瞳。黄金色の髪の中から、狐の耳がぴょこんと飛び出している。


 幼馴染の少女、クレセンシア・リーヴェである。彼女は獣人であり、宗教的な理由から人によっては忌み嫌う者もいるが、ヴィレムの付き人だからここにいるのはそう不自然なことではない。が、ヴィレムの寝ぼけた頭は、彼女が慌てている理由を思い出すのに長い時間を要した。


 彼は付近をぐるりと見渡すと、すぐそばにある木の影に隠れて震えている二人の少年と、崖の上から見下ろしてきている黒い影が目に入った。


 ようやくヴィレムは思い出した。貴族の末っ子であるヴィレム・シャレットは、ここノールズ王国の学園に入学する予定であり、その下見に来たところ、より格上の貴族の子弟に絡まれ、このような度胸試しに連れてこられたのだと。


 ようするに、逆らうだけの度胸も権力もなかったのだ。しかし、彼が思うのは自身の情けない姿に対する不快感でも後悔でもなく、ただ一つの、過去を想起させる言葉だった。


(権力、か)


 ヴィレムは十歳になったばかりの子供のものとは思えぬ憂いを見せる。脳裏には魔術師レムの最期がありありと蘇る。彼には魔術師としての才能があった。けれど人を率いる、あるいは人を意のままに操る技術はなかったのかもしれない。


 誰よりも古代王朝の復権を願った者が、その王朝に裏切られたのだ。なんとも皮肉なことである。


「ヴィレム様、しっかりなさってください。逃げましょう!」


 と、クレセンシアに手を握られたところで、ヴィレムは我に返った。ああ、そうだ、まずはこの場をなんとかしなければ、と。


 そうこうしているうちに、黒い塊は崖から跳躍、すっと降り立った。先ほどヴィレムが着地に失敗して、したたかに頭を打った崖から。


 ヴィレムは目の前にいる黒い魔物を見る。真っ黒な塊の中には鋭く輝く爪と牙。狼の魔物、ダークウルフである。


「なんだ、小型の魔物じゃないか。あの程度、どうということもない」


 ヴィレムは敵に掌を翳し、そして魔術を起動させる。


 敵を四方八方から追い込む刃を生み出す魔術『封風刃』だ。魔術師レムの十八番であり、低位の魔物であれば脱出方法などなく、完膚なきまで打ち倒す強力な魔術。


 魔力が高まり、いよいよ魔術となって魔物に襲い掛かる。


「食らえ、我が魔術を。封風刃!」


 ヴィレムの前方に幾何模様が浮かび上がり、そこから一陣の風の刃が放たれる。一筋の軌跡を描きながらダークウルフへと向かっていき――ひょいと躱された。


 たったそれだけで後に続く刃はなく、幾何模様は消え去ってしまう。


 ヴィレムはしばし呆然としていたが、クレセンシアは驚きの声を上げる。


「ヴィレム様! 魔法が使えるようになったのですね!」


 そこで彼は思い出した。そもそも、ヴィレム・シャレットという貴族の末っ子は、ろくに魔法が使えなかったからこそ、あのような貴族の子弟に馬鹿にされる羽目になり、抵抗もできずにこのような場所に連れてこられなければならなかったのだと。


 なんということだ、と落胆する暇もなかった。

 ダークウルフはヴィレムのところ目がけて走り始めている。クレセンシアが咄嗟に小刀を構え、ヴィレムを守らんとする。


「逃げてください!」


 クレセンシアが叫ぶ一方で、ヴィレムは手足を軽く動かし、それから幾度となく魔法の起動とキャンセルを繰り返していた。そしてようやく、彼は一歩前に踏み出した。


「問題ない、俺が倒そう。シア、心配はいらないよ」

「ですが――」

「大丈夫だよ。俺が君に嘘を吐いたことがあったかい?」

「……本当なのですね?」

「それを今から証明してみせよう。見ていておくれ」


 ヴィレムは向かってくるダークウルフに対して悠々と近づいていく。そして敵が牙をむいた瞬間、一気に懐に入り込んだ。


 瞬間、彼の体には幾何模様がうっすらと浮かび上がっている。『身体強化』の魔術だ。

 それによって強化された肉体により、ヴィレムは敵のおとがい目がけて蹴りを叩き込む。到底子供が持ちうる力ではありえない衝撃にダークウルフは息をすることもできず、意識を保つことだけで精一杯だった。


 続けて怯んだ狼の頭上に、横に、下に、前に、無数の幾何模様が重なり合いながら生じる。

 それらは僅かばかり時間差を与えられながら、風の刃を放っていく。


 息も吐かせぬ連続攻撃で魔物は一瞬にして細切れになり、もはや動かなくなった。あっと言う間の出来事だった。


「……すごいです! ヴィレム様はやはり偉大なるお方となるべく、才能を秘めておられたのですね! このクレセンシア、感動いたしました!」

「そ、そうか? うん、ありがとうシア」

「ところでどのような魔法をお使いになられたのですか?」


 クレセンシアは可愛らしく小首を傾げ、うーんと唸る。彼女にとっては難しかったのも無理もない。なんせ、彼女はまだ十歳なのだ。


 しかし、ヴィレムにとって大した技術ではない。いや、大したことなどできなかったから、あのような方法になった、といったほうがいいか。


「シアも知ってのとおり、簡単な『身体強化』の魔術と『風刃』の魔術しか使っていないよ。タイミングよく適切な位置に魔術を発動させただけさ」


 魔術師の戦いとは、高位になればもはや予測の戦いとも言える段階に達する。魔法の起動から作動までのタイムラグを計算しながら、相応しいものを選ばねばならない。


 しかもそれだけではなく、同時に近接戦闘における力もまた要求されることになる。


「はい、『身体強化』は見事な発動で、素晴らしい蹴りでした。ですが、『風刃』というのは単発だったと思うのですが……」

「うん、だからいくつも同時に起動したんだよ。そうすれば、単発でも敵が逃げられないほどの数を賄える」


 クレセンシアは急に力を得たヴィレムを見て、すっかり感心していた。

 ヴィレムは違和感なく使いこなしたその力を、ようやく自分の中で消化していく。しかしまだ彼の肉体にレムの技術が定着したとは言い難い。


 このまま自分と魔術師レムの関係を少し整理しようと思ったが、いまだ怯えている子供二人が目に留まったので、ヴィレムは持ち前の能天気さで細かいことは後回しにすることにした。


「君たち。今日のこの遊び(・・)はなかったことにしよう。なんせ、父上にばれたら怒られてしまうからね」


 そう告げられると、彼らのほうは頻りに頷くばかりであった。

 

 ヴィレム・シャレットは魔術師らしからぬ、無邪気で屈託のない笑みを浮かべる。慌てて駆け出した少年たちを見送ってから帰途についた。


 その隣に、クレセンシアがやってきて、元気よく頭を下げた。


「ヴィレム様、先ほどはありがとうございました!」

「しかしこのように泥だらけになっては、父上に怒られてしまうね、貴族としての自覚が足りぬ、お前ももう十になったのだから、と」

「では私がこっそり洗って差し上げましょう。ヴィレム様の英雄譚が始まったことも、この私の胸にだけ潜めておきます」

「それまた大げさな」


 ヴィレムは子供らしく笑う。

 クレセンシアとの変わらぬ日常であった。


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