18 南東の村にて
シャレット領の南東、帝国との国境を有する山脈に面した寒村には、村が荒らされている噂を聞きつけた兵たちが集まっていた。
ここは大した産業があるわけでもなく、狩りを中心に生業としている。それゆえに大量の人口を受け入れるだけの生産力はなく、民の数は少ない。
しかしだからこそ、悪漢たちの絶好の相手になってしまったのだろう。いかに生死をかけた野生の戦いを繰り広げている猟師といえども、少数ではどうしようもない。
その村に到着したばかりのヴィレム・シャレットは、手厚いもてなしを受けていた。
「ようこそいらっしゃいました。ヴィレム様。なにもないところですが、どうぞごゆっくりお過ごしくださいますよう、村人一同、全力を尽くしてまいります」
と、年老いた村長は救援を求めてきたとは思えない態度である。
しかし実情にはそのほうが沿っていたかもしれない。そこらからかき集めた兵ではなく、領主直属の兵たちなのだから、治安維持を名目に村を荒らすこともない。そのうえ、村人なんかよりよほど金を持っているのだ。ぜひともここで金を落としていってほしいところだろう。
ヴィレムは村一番の屋敷――といっても所詮は田舎の村、主都の一軒家にすら見劣りする有様なのだが――に案内される。数か月前までは村長の宅に旅人を泊めることもあったようだが、今はぴたりと止めたらしい。
席に着くなり、老婆が果実酒を持ってきた。この地で採れた果実を用いたものらしい。
ヴィレムはクレセンシアに視線を向けると、彼女は小さく頷いた。それを確認してからヴィレムは一口すする。ほんのりとした甘みがあり、なかなか悪くない味だ。
「村が荒らされているとお聞きしましたが、仔細をお聞かせ願えますか?」
そう促されると、禿頭を下げながら村長が語り始めた。
「ここ十数日ほど前のことです。村人が一人、村はずれで殺されているのが見つかりました。以前から家畜が殺されるなどの被害は出ていたのですが……。そして先日、またしても奴らの被害に遭ったのが一人!」
数か月前から家畜などに被害は出ていたそうだが、人に及んだのは初めてのことらしい。ヴィレムが父から受け取った連絡によれば、以前から山賊の被害があるという噂はあったようだが……。
ともかく、二人が犠牲になったとのことだ。話から察するに、山賊は村を集団で襲ったりはしていないようである。
「その者たちの遺体を見せていただくことはできますか?」
「遺体でございますか? ……ええ、ええ。可能でございますが……」
村長は明らかな困惑を浮かべた。
死体を見たがる貴族の子というのが奇妙に映ったのかもしれない。病気の元にもなるものとして、接触を避けるべきとされているのは間違いない事実だ。
ヴィレムは早速案内してもらうべく屋敷を出ると、すっかり憔悴した様子の兵たちが見えた。皆で仲良く休憩中らしい。
「なんだお前たち。ほら、早速設営を始めるがいい。俺は気長なほうだが、夜は待ってくれないぞ」
「ヴィ、ヴィレム様! もう少しだけお時間をいただけませんか! 山中を強行したため、皆疲れ切っております!」
兵たちがそう懇願する。
ヴィレムは山賊に見つかってはいけないということで、街道を通らず、山中を無理やり直線的に突破してこの地にやってきていた。そのほうが時間的にも短縮できるし、都合がよかったのだが……この有様を見るに、兵たちはしばらくは使い物になりそうもない。失敗だったかもしれない、などと思い始めるヴィレムだった。
「まあ、そういったものは任せるよ」
そんなヴィレム自身はけろりとした様子で答える。彼は騎乗していたから楽だった、というわけではない。どころか、馬の通れない地が多く、そんなところでは馬すら抱えて跳び越えてきたのだから、そこらの兵よりよほど体力を消耗したはずだ。が、魔術師にはそんな常識が通用しないようである。
ヴィレムはクレセンシアをちらりと見る。彼女に死体を見せるのはどうなのだろうかと思ったが、彼女はなんとも思っていないらしく、可愛く小首を傾げるばかりだった。
足腰が悪い村長のペースに合わせて、時間をかけて案内された小屋には、死体が安置されていた。
二人にとって、それは初めて見る人の死だ。まだ死後硬直が残っており、死斑――血液が重力に従って下部に蓄積する現象――が確認できる。村長が話した通り、死後一日かそこらだろう。
頭部には硬いもので殴られた跡が残っている。目立った切創がないことから、刃物は使われていないと見ていいだろう。
専門家でもないので、ヴィレムはそれ以上の観察を止めた。あんまりクレセンシアを長居させるのもどうかと思ったからだ。
「彼はこの村に来たばかりで、ようやく馴染んできたところなのですが……残念です」
村長が肩を落とす。
しかし、あまり落ち込んでいるようにも見えないのは、この時勢で人死には珍しくもないからか。それとも、長い年月で人の死に慣れてしまったのか。
それからヴィレムは一旦私室に戻ると、今後の計画を立て始める。森から探すべきか、それとも村人を当たっていくべきか。わざわざやってきた貴族の子なのだから、多少横柄に尋ねて回ることだってできよう。
不必要に権力を使うのは避けるべきだが、いざとなればヴィレムはそうするはずだ。あまり細かいことに囚われないのが彼の美点である。
「あの、ヴィレム様。あの死体に付いていた匂いを辿ってみませんか?」
クレセンシアがそう提案してきた。とてもじゃないが、ヴィレムにはそれが有効なのかどうか、さっぱり見当が付かない
「……できるの?」
「はい。まだ腐敗も始まっていなかったようですから、なんとか人の匂いは嗅ぎ分けられるのではないかと思います」
「じゃあお願いしようかな」
お任せあれ、とクレセンシアが嬉しげに尻尾を振る。
そんな彼女の後ろに付いていきながら、ヴィレムは家々を見る。村人の数は少なく、数十人といったところだ。
これならば、嗅ぎ分けるのも難しくないのかもしれない。もっとも、ヴィレムにとっては想像が付かない領域なのだが。
クレセンシアは家々や地面に鼻を近づけたり、狐耳を動かしたりしながら、村中を歩いていく。家畜小屋に入っては匂いに顔を顰め、家から漂ってくる料理の匂いに釣られたり、楽しげな彼女であるが、次第に表情から余裕がなくなっていく。
そうしているうちに、小さな村だからすべて回りきってしまった。あとは家の中くらいのものだ。
屋敷に戻ってくるなり、クレセンシアはしゅんとして頭を下げた。ぺたんと倒れた狐耳が物悲しげだ。
「ヴィレム様、ごめんなさい。頑張ったのですが、山賊の手掛かりは見つかりませんでした。残されていたのが、どれも村人の匂いだったのです」
「なるほどね。そういうこともあるさ。きっと、雨でも降って消えてしまったんだろう」
ヴィレムもそんなに期待していたわけではない。上手くいけば儲けもの、くらいの感覚だ。
それに、彼は小賢しい策よりも直接的な方法を好んだ。
彼は腰の剣と鎧を確認するなり姿勢を正す。そしてクレセンシアに尋ねた。
「これから山賊を探しに行く。君がいると非常に心強い。付いてきてくれるかい?」
「はい! お供いたします!」
クレセンシアは面を上げ、槍を手に取る。
それからヴィレムは屋敷を出て、ドミニクを捕まえて後のことを任せると、二人で山の中へと入っていく。手伝いを申し出る兵もいたが、二人のほうが動きやすいので断った。
身体強化の魔術を用いて、ヴィレムとクレセンシアは疾駆する。どれほど広い山中だって、あっと言う間に通り過ぎていけそうだった。
ヴィレムは風読みの魔術を用いて広域を探索。クレセンシアも使えないことはないのだろうが、範囲は彼に劣る。だからずっとヴィレムは魔術を使いっぱなしだ。
けれど、クレセンシアはクレセンシアで嗅覚と聴覚を有効に活用し、付近を探っていく。
そうしておよそ半日かけて、付近の捜索がすべて終わった。それで一日のうちに村まで到達できそうな場所は、すべて探したことになる。だが、山賊は影も形もない。
おそらく、山賊にはまだ見つかっていないはずだ。道中、ずっとヴィレムは風読みの魔術を使いながらやってきたのだから、警戒は万全である。もちろん、彼が来るのを予期して何日もじっとして動かずにいたのであれば話は別だが、そんな状況はそうそうないと見ていい。
ではいったいどういうことなのか。まさか、山賊が土中に潜んでいることもあるまい。
ヴィレムはしばし考えていたが、村が見えてくるとひとまず晩飯にすることにした。
雑事を押し付けてきたドミニクが慌ただしく動き回ってるのを見て、今度はオットーを連れてきてやらせよう、とヴィレムは思うのだった。




