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13 遺伝子は流れて

 ヴィレムは慎重にスポイトを握っていた。


 彼の目の前にあるのは、ブラックベアーの組織切片だ。奴を倒したとき、既に吸熱魔法により冷凍されて硬くなっていたため、切断するのはわけがなかったのである。


 風刃の魔術を使えば、目に見えないほどの薄さに切るのも難しくはなかった。微細な調節を行う訓練の成果が出たとも言えよう。


 そうして出来上がった薄い切片のプレパラートに、沈黙の大樹の粉末を溶かした液体を落とす。


 沈黙の大樹は魔術の発動を阻害するための薬剤であり、その作用機序は、魔力を生成するための小器官である魔核に存在している魔術をコードしている領域――魔核内遺伝子に結合することで阻害するものだ。


 通常ならば魔核が生み出した魔力を用いて魔核内遺伝子から中間生成物、すなわち幾何模様が生み出されて魔術が発動する。しかし、沈黙の大樹が魔核内遺伝子にくっついてしまうと邪魔をするため、中間生成物が生み出されなくなる。つまり、幾何模様を生み出せなくなり、魔術が発動しなくなるのだ。


 沈黙の大樹の粉末は、この魔核内遺伝子だけに結合するため、細胞内のほかの部分にはまったく影響を及ぼさない。この特異性の高さが便利であると同時に、魔術師にとっては危険なのである。


 ヴィレムはいくつもの切片に同じ作業を繰り返すと、次は別のスポイトを用いて、透明の液体を吸い上げた。


 こちらも沈黙の大樹の粉末を溶かした水溶液と同じく透明の液体であるため、見ただけでは区別がつかない。そこでヴィレムはガラス製の容器にそれぞれ、名称を書き入れていた。


 ヴィレムは「暗黒亀の甲羅」と汚い子供の字で書かれた容器に入っていた液体を、先ほどのプレパラートに滴下していく。


 以前これを使ったときは魔核全体が真っ黒に染まってしまったが、今回は少し細工をして、沈黙の大樹の粉末に結合するようにしている。


 これにより、魔核内遺伝子だけを染色することができるのだ。さらに光の魔術を用いて拡大することで、魔術のコードを知ることができる。レムは常人には考えられないほど膨大な知識を暗記していたため、その記憶を引き継ぐヴィレムも、どんな魔術であるかは見ただけで判別が付くのだ。


 それからいくつかの手順を踏んで、ようやく乾燥させる段になると、ヴィレムは大きく伸びをした。


 さほど手間のかかるものではないのだが、結構な数の標本を作ったため、時間がかかってしまった。ヴィレム一人でやったのも理由の一つだ。


 そうしていると、一番初めに作った標本がそろそろ乾いた頃になったので、ヴィレムはどんな具合か確認する。


 予想通り、魔核内遺伝子だけが綺麗に黒く染められていた。しかし、予想外なこともあった。


 魔核内遺伝子は基本的に、環状になっている。しかし、断片的に見えているのは直線的な形をしていた。


 標本作りに失敗したのだろうかと思って別のブラックベアーの部位を見ていくも、多少の違いこそあれど、必ずその断片があった。


 凍結によって魔核内遺伝子が破損したのだろうか。そう考えるのもおかしくはないが、リング状の魔核内遺伝子が破損して切れたなら、C字状になったものが見つかるはずだ。


 が、そんなものはない。

 いったいどういうことなのかと悩んでいたが、ヴィレムは飯の時間を思い出したので、標本を片づけて部屋を出た。


 それからしっかりと鍵をかけておく。誰も入ることはないだろうが、万が一、中を荒らされては困る。もう沈黙の大樹の粉末を買う金がないのだ。


 食堂に着くと、お皿を並べているクレセンシアの後姿が見えた。鼻歌を歌いながら、リズムに合わせて尻尾を振る彼女。


 ヴィレムはそんなクレセンシアを楽しく眺めていたが、彼女はヴィレムの存在に気が付くと、椅子を引いて座るように促した。


「今日はヴィレム様の祝勝会です。主賓がいないと始まりませんから、ささ、どうぞお座りください」

「ありがとうシア。やはり君の作る料理はどれもおいしそうだ。見ているだけで食欲が湧いてくるよ」


 ヴィレムはテーブルに並んだ料理を眺めていく。

 ステーキ、煮込み料理、新鮮なサラダ。そのどこを見ても、肉がこんもりと盛られている。ブラックベアーの肉だ。


 この魔物の肉を食べるのは二人だけなので、少なくとも一か月は食べ続けられるだけの量がある。ブラッドディアの肉のように少年たちに分けてやってもいいのだが、そもそも小遣いを支払って雇ったことになっているのだ、報酬はヴィレムのものとなってしかるべきである。


 魔物の肉は栄養豊富なものが多いため、魔核だけでなく体の成長も期待できる。

 そんな期待を抱きながら、ヴィレムたち二人は早速食事を始めた。


 まずはサラダから。新鮮な野菜は瑞々しく、しゃきしゃきとした歯ごたえと音が楽しませてくれる。熊の肉はしっかりと味付けがされており、野生の臭さが消えていた。


「これは……薬草を使ったのかな?」

「はい。毒があっては困りますし、臭いを消すのにも使えますから。お気に召しませんでしたか?」

「いや、すごく美味しいよ。世界中のどこを探したって、これほど美味しいものを作ってくれるシェフはいないよ」

「もう、ヴィレム様は大げさすぎます」


 クレセンシアは言いながらも嬉しそうだ。そんな彼女にヴィレムはさらに言葉を投げかけた。


「嘘じゃないよ。君と一緒だから、これほど美味しいんだ。君と一緒に勝ち取った食材だから、こんなにも嬉しいんだ。今日は俺と君の祝勝会だからね」


 ヴィレムは先ほどのクレセンシアの言葉を訂正した。

 クレセンシアはそこまで真っ直ぐな思いを告げられると、すっかり顔を赤くして俯いてしまった。こういうところは、なんともわかりやすい少女だ。


 そんな彼女を見ながら、ヴィレムはステーキ肉にかじりつく。筋は切ってあり、ほんのりと甘みがあることから果実を使って肉を柔らかくもしてあることが窺えるのだが、元々の肉質が硬いため、結構食べにくい。熊肉には向かない調理法だ。


 しかし、味のほうは悪くない。しっかりと脂身の濃厚な旨味があり、ちょっとだけ残った臭みも癖になる。


 そして煮込み料理のスープを啜ると、ヴィレムは思わず唸る。


「これは旨い! しっかりと熊肉の味わいが染み出てるし、脂もくどくなくてあっさりしてる」

「本当ですか?」


 クレセンシアも顔を上げて、スープを口にする。

 そしてその温かさに表情を和らげ、一息吐いた。そんなクレセンシアを見ながらヴィレムは食事を進める。


 そうしてすっかり大量の料理を腹に収めると、二人して寛ぎ始める。あまり行儀がいいとは言い難いが、今は二人だけなのだ。もう少しだけ余韻に浸っていたかった。


 ヴィレムはぼんやりとクレセンシアを眺めていたが、そこでふと思いついた。ヴィレムはいてもたってもいられなくなり、彼女を連れて自室に駆け込んだ。


「ヴィレム様、どうしたのですか? お腹が痛いのです?」

「違うよ。そうじゃない。君の細胞を見たいんだ」


 ヴィレムはそんな台詞を吐くが、決して珍妙な口説き文句というわけでもない。クレセンシアのものを見るのだから、彼女の了承を得て一緒に見るのが筋だと思うからだ。


 早速、ヴィレムは沈黙の大樹を用いて染色したクレセンシアの細胞を見せる。


「……これはすごいですね。輪っかのほか、小さい棒が見えますが、これはなんでしょう?」

「君の固有魔術がコードされている領域だ。断片にしか見えないのは、沈黙の大樹が魔核内由来(・・・・・)の遺伝子にだけくっつくから」

「つまり、私たち自身の遺伝子を染めることはないのですね」


 ヴィレムは頷く。

 魔核内の遺伝子はときおり、なんらかの原因で魔核の外に出て、人を形成する通常の遺伝情報が詰まった遺伝子内に挿入されることがあると言われている。これは固有遺伝子と呼ばれ、魔術を発動するための領域として取り扱うことが可能だ。しかも、通常の魔術よりも感覚的には取り扱いやすい特徴がある。


 つまり、完全に人そのものとは分離されていたはずの魔術の遺伝子が、人と融合してしまったということだ。


 人工的にこの固有魔術を使えるようにすることは、人間の生命倫理に反するものとして、禁術に指定されていた。クレセンシアの場合は、長らく旅をしているうちに偶然そうなったのだろう。


 これでブラックベアーが普通は使わない魔術を使っていた説明はつく。しかし……。


「偶然、固有魔術が使えるようになったとは思えないよなあ」


 誰かが禁術を使ったのか。いや、この時代の魔術レベルでは到底不可能だろう。なにより宗教的な理由から、大規模な実験を推奨している国はない。だから神の領域に魔法の杖を差し込む者はそうそういないのだ。


 ヴィレムはしばし思い悩む。

 クレセンシアと一緒に色々と考えるも、答えは出なかった。


「ヴィレム様、一緒にお皿を洗いましょう。気分転換です」


 クレセンシアが唸っていたヴィレムに手を伸ばすと、彼はその手を取って食堂に戻る。視点を変えれば、そのうち何か思いつくかもしれないと。


 が、食堂に行った二人を待っていたのは、シャレット家に仕えるメイドの叱責だった。すでに食器は洗われ、放置したことを怒られたのだ。


 これには言い訳のしようもない。二人は子供らしく、しゅんと項垂れるのだった。


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