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12 シャレット領の片隅で

 ブラックベアー討伐の翌日、ヴィレムはクレセンシアとともに街中を歩いていた。二人だけで出掛けるのはもはや珍しいことではなくなったが、今の地区にいることは父に内緒である。


 というのも、治安が悪い区域に来ているのだ。

 さすがに道を歩いているだけで刺されることはないが、浮浪者やガラの悪い連中がいるのだから、呑気にしてもいられない。うっかり財布をすられることだって珍しくもなかろう。


 それだけならまだいいが、ヴィレムは貴族の子だ。身代金欲しさに誘拐されたっておかしくはない。もっとも、今の彼に勝てるだけの者がこんなところにいるかどうかは甚だ疑問ではあるが。彼の実力ならば、志願すればどこの領主だってすぐに召し抱えてくれるだろう。


 すでにその年で風格すら漂わせつつあるヴィレムを、荒くれ者たちは遠巻きに眺めるばかりだった。


「ヴィレム様、ヴィレム様、このような地区に来るのは初めてですね」


 クレセンシアが尻尾を振りながら、なんとも楽しげに尋ねてくる。ここはそんないいところじゃなかろうに、とヴィレムは思うのだが、そういう自分も彼女と一緒に楽しんでいるので水を差す必要もない。


「そうだね、父上には内緒にしておくれよ。見つかったら、どうなるか予想できない」


 ヴィレムは肩をすくめる。


 もし父がこのことを知ったらどうするのか、ヴィレムは知りたくもあったが、聞いてしまうのが寂しくもあった。少なくとも、よい顔はしないから。


 父は心配して怒るだろうか。それともいつもと変わらない態度で、何事もなかったかのように見過ごすのだろうか。どちらにしたって、おそらくヴィレムに関心が行くことはない。彼がブラックベアーを倒して帰ってきたときだって、父は一言声をかけただけだったのだから。


 そんなヴィレムにクレセンシアは微笑む。


「ヴィレム様と私の、二人だけの内緒事ですね!」


 共有している秘密が増えたとクレセンシアは嬉しげだ。

 だからいつしか、こんなところに来たことすら、ヴィレムにとっても楽しい思い出の一つに変わりつつある。といっても、それはこの内緒の冒険が成功すれば、の話である。


 ヴィレムは当てもなくあちこち裏路地を行ったり来たりしていたが、ようやくお目当ての店の看板を突き止めた。


 壁は塵埃にまみれて薄汚く、看板は年季が入っている。貴族が入るには気が引ける建物だ。しかしヴィレムは営業していることを確認するなり扉を開けて中へ。


 一歩足を踏み入れると、充満した薬品の匂いが鼻を突く。

 クレセンシアは耐えかねて、両手で鼻を覆った。


「……いらっしゃい」


 店主は無愛想な四十代半ばの親父だ。顔には傷跡があり、何人かすでに殺した経験もありそうな目つきをしている。こんな場所で商売を営んでいる以上、いちゃもんをつけられることだって多々あろうから、多少の荒事ならば自力でなんとかできなければ話にならないのかもしれない。


 ヴィレムは店内をぐるりと見渡すも、薬品が置かれていないことに困惑する。表通りにあるような店と違って、盗難防止のために仕舞っているのだろう。


 ならば回りくどいやり方をするより、単刀直入に尋ねたほうがよかろう。


「沈黙の大樹の粉末はありますか」


 ヴィレムにとっていい思い出のないその言葉を聞くと、店主の顔色が変わった。魔術を封じるための代物であり、これの主な用途は、魔術師の捕縛時における魔術の阻害である。買い手は基本的に領主に仕える魔術師などだ。


 店主はヴィレムを値踏みするように上から下まで眺める。そんな視線に、クレセンシアはいい顔をしなかった。


「……販売には許可がいる薬品だ。表の店できっちり手続きして買いな」

「そうつれないことを言わないでくださいよ。向こうは高すぎるんです。それに、こんな子供が行ったところで相手にしてもらえませんよ」

「それを俺には売れと言うのか?」


 店主が凄んでみせる。けれど、ヴィレムはどこ吹く風、表情一つ変えない。


「ご心配なく、暗殺などの類ではありませんから。ちょっと実験に使いたいだけなのです。それに、これでも私はそれなりの身分でそこらの平民と違って立場がありますから、あなたを売るような真似はしませんよ。いえ、できないと言ったほうが正しいでしょうか。こんなところに来ているのを、自ら広めるわけにもいきませんし」

「俺を脅すつもりか?」

「まさか。私はこれで安く買い物ができますし、あなたは信頼のおける取引ができる。互いになにも損はありませんよ」


 ヴィレムは自身の名も明かさずにこう語ると、店主は奥に入っていった。

 彼の衣服を見れば、少なくとも貧民ではないのは明らかだ。愛想を尽かしたわけでもあるまい。いや、仮にそうだったとしても、ヴィレムはもう少し粘るつもりでいた。


 そもそもすべての権限は父イライアスにあるため、彼に許可を求めてもよかったのだが、それでは時間がかかる。ヴィレムにはすぐに確かめたいことがあったのだ。


 やがて店主が戻ってくると、小さな小瓶をカウンターに置いた。


「これが今ある分だ。お代は……」


 ヴィレムは彼が提示した額より少し多めにおいた。それでも表通りの店で買うより遥かに安い。そうでなければ、末っ子の小遣いで買えるはずもない。


 そうして店を出ようとすると、店主がヴィレムにこう告げた。


「なああんた。シャレット家の末っ子だろう?」

「なぜおそう思うのです?」

「こんな変わり種、ほかにいやしないからさ。貴族ってやつは、ふんぞり返って椅子から動かねえもんだ」

「……残念ながら、違いますよ。ここには貴族なんか来ていませんから」


 ヴィレムはそれだけ告げると、店を出た。

 別に誰かに見られていようが、彼が犯罪でも犯さない限り出所を探られることもないから問題はないのだが……。


「見られているね」


 ヴィレムの言葉にクレセンシアが頷いた。

 そして狐耳を動かして音を拾い、ヴィレムに視線で居場所を伝える。どうやら、店に入ったときからずっと待ち伏せされていたらしい。


 不穏な空気を感じ取ったのか、通りを行く人の姿はない。

 しばしヴィレムは相手の出方を見ていたが、なにも仕掛けてくる気配はなかったので歩き出した。


 もし彼らの正体が、父がこっそりつけた護衛の類なのだとすれば、あまりに杜撰と言える。子供の相手などこの程度で済むという考えであったなら、ますます侮りすぎだ。彼の成果を軽んじすぎており、真っ当な評価を下せない人物と言わざるを得ない。


 だからその線はないだろうとヴィレムは踏んでいた。そう思いたかったのかもしれない。


 しばらく進んでいくと、比較的狭い道に出た。

 帰路を塞ぐように男が立っている。ヴィレムは彼に一瞥をくれることもなく横を通り過ぎようとすると、男が掴みかかってきた。


 余計なことを言わず、いきなり襲い掛かってくる判断は悪くない。が、いかんせん実力が伴っていなかった。


 ヴィレムは男の腕を掴むと、一気に懐に入り込み大きく投げた。飛んでいった男は壁に当たると、無様な声を上げる。


 すると、それまで沈黙を貫いていた男たちが一斉に飛び出した。そこらの物陰やゴミの中、はたまた家の中から。どうやらこの地域一帯がグルで、迷い込んだある程度裕福そうな者を狙っていたようだ。


 ヴィレムはそれでも顔色一つ変えない。

 クレセンシアとともに狭い裏路地に入ると、身体強化の魔術を用いて跳躍。土を固めて作った壁に手をかけると、土の魔術を駆使して硬化し、そこを手掛かりに一気に跳び上がる。屋根の上には、もはや奴らの姿はなかった。


 地上からは見失った男たちの声が上がるが、わざわざ相手してやる義理もない。

 クレセンシアと顔を見合わせると、ヴィレムはそこらに落ちていた小石を拾い上げる。そして店から歩いてきた道のほうへ放り投げた。


 小石は先ほどヴィレムが投げた男に命中。起き上がりかけていた彼が痛みに呻いた。

 そちらに男たちが向かうのを確認すると、ヴィレムはクレセンシアの手を取って、悠々と家々の上を跳び越えながら、帰途に就く。


「ヴィレム様。彼らを放っておいてもよかったのですか?」

「構いやしないさ。彼らにできることなんてたかが知れている。それにあんなのでも、シャレット領の民には変わりがないからね。ああ、もちろん、この町に不法侵入した者が少なからずいることは間違いないけれど」

「でしたらなおさらのこと、ここでけりをつけてしまったほうがよろしいのではないですか?」


 クレセンシアが小首を傾げる。

 なかなか過激な発言だが、それだけ彼我の力量差を感じたのも無理はない。ヴィレムもクレセンシアも王都から帰ってきて以来、急激に力をつけている。しかし慢心することもない。彼らの目標はより大きく、果てしなく遠いものなのだから。


 ヴィレムは「そういうのは父がやるべきことだから」と述べた後にこう続ける。


「それにさ、そうしたところでなんにも変らないよ。この町の収容人数を超えれば自然とあぶれる者が出てくる。人口抑制のための政策を取らなければ、基本的には増えていくものだからね」

「つまり、この町の規模が大きくならねばどうにもならぬ、と」

「そうなったらなったで、またあぶれる者が出てくる。こればかりは技術が進歩しない限り、解決できる問題じゃないよ」


 ヴィレムはもう一つ、大きな可能性を知っていたが、あえて述べなかった。

 戦争だ。兵として駆り出された者が死に、敗戦国の領土や人が労働力として手に入る。しかし、まだ自身には遠いことのように思われたのだ。


 レムは魔術師として戦場に立ったことは幾度となくあったが、指揮を執ったことはない。だから指揮を執るのであれ、隊の中で戦うのであれ、人と人との関係を上手くやっていく術は、これから身に付けなければならなかった。


 この町のこと、そして町の外に広がる世界。

 ヴィレムは途方もない計画への一歩を考え始める。大望へと羽ばたくためにはまずは一歩踏み出さねばならない。そこをしくじれば、あっと言う間に転落してしまうのだから。


 改めてこの国の現状を知り、ヴィレムは考え直すのだった。


 懐から小瓶を取り出し眺めると小さく微笑む。まずは不安の種を取り除くところから始めることにした。


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