最終話 転生魔術師の英雄譚
ノールズ王国の王都は今日も賑やかだった。
ペール・ノールズの反乱が落ち着き、ようやく平和になったと安堵しているところだ。
北の土地から民がごっそりいなくなったことが伝えられたときは、人々はすっかり動揺したのだが、多くの民にとっては埒外のことだったのだろう。数日もすれば、ああ恐ろしい事件だった、と片をつけてしまうのだった。
その王城では、国王ウィルフレド・ノールズが王座に腰掛けながら報告を聞いていた。
「戦争の被害に関しまして、金銭面におきましては各諸侯が保有していた財産によって補填できるでしょう。いえ、そうしても余るかもしれません」
「ふむ……それにしても、ペールはともかく、アスター・デュフォーはなにがしたかったのだろうな」
「ただ利益を上げたかったのではございませんか?」
「いや、あの男がいたからこそ、この戦はここまで長引いたんだ。そうでなければ、ルーデンス魔導伯はあっという間に平定していたさ」
その男の姿を思い浮かべるとウィルフレドは、
(あのルーデンス魔導伯が関わっていることだ。私が考えたところでどうにもなるまい)
と、なかば諦めてしまうのだ。
それよりも、彼にはやらねばならないことがある。
前国王アルベールの時代から仕えている忠臣、パーシヴァル・グラフトンが彼に告げる。
「北と西の管理ですが……西部はヴィルタ辺境伯、北部はヴァトレン伯とクネシュ泊が中心となって統治を進めておりますが、今後もこの方針でよろしいでしょうか?」
「ああ。彼らは活躍した諸侯だ。領民からの評判も悪くない。任せてもいいだろう。直轄領は確保したのだろう?」
「はい。問題なく」
「いつも頼りにしているぞ、パーシヴァル」
「このような老骨にもったいないお言葉です」
パーシヴァルは頭を下げつつ、まだまだこのご意見番を隠居するには早いかと思うのだ。そして今は亡きアルベールの姿を思い浮かべる。
きっと、立派になったウィルフレドを見れば、表情こそさほど変えないが嬉しくてたまらなくなるだろう。
けれど、彼がそんな姿を見ることは、どうあってもできなかっただろう。アルベールが亡くなったからこそ、ウィルフレドは独り立ちして、このような王になったのだから。
それゆえにパーシヴァルはただ、胸の内で告げるのだ。
(陛下。ウィルフレド殿下はかくもご立派になられました。ノールズ王国は安泰でございます)
まだまだ戦争の影響は残っているが、少しずつ、元どおりになっていくだろう。
王都はこれからも賑やかに違いない。
◇
ノールズ王国の北では、爵位つきの土地が多く余っている状況だ。
王やその遠縁の者たちによって、直轄領は治められることになったが、ヴァトレン家とクネシュ家はそこまで親戚が多いわけでもなく、この飛び地となった土地をどのように治めていくか、悩んでいるところだった。
といっても、手柄を立てたのはほとんどがルーデンス魔導伯で、あとはそれに続いたマルセリナ・ヴァトレンとナバーシュ・クネシュの二人である。
ヴォロト・ヴィルタも戦ったが、彼はすでに西の土地を手に入れて、今後は西方の防衛で手が出せず悩まなくて住むようになった、と喜んでいるそうだ。
そして各都市を押さえていた両家の家臣たちであるが、やれどちらのほうが活躍しただとか、やれこの土地は我々に相応しいだとか、張り合っているのだ。
それはこちらに同行している両家の当主たちが言い争っているのが主な原因だろう。
「ねえ、ナバーシュ。どうするのあれ」
マルセリナは困ったように告げる。
彼女は土地をもらうことになっていたが、正直なところ、そういうのはあまり得意ではない。家臣に任せっきりにするわけにもいかないし、居館に閉じ込められての生活を想像すると、うんざりしてしまう。それは彼女が嫌っていた、女として政略結婚の道具に使われたときの未来と変わらないからだ。
けれど、ナバーシュはぼんやりと言い争う者たちの姿を眺めた後、ここらの都市群で一番大きな屋敷に目を向ける。
「あれなんか、住むにはいいんじゃないか」
「もう、ナバーシュ。話聞いてた?」
「ああ。マルセリナは屋敷で暮らすのは嫌か?」
「そりゃね。だって、退屈じゃない。あれこれと持ち上がってくる苦情に対応するような仕事よ?」
「確かに。ヴォロト殿も苦労していたな。だが、今日も鎧を纏って元気に駆けているそうだぞ」
「それならまだいいけど……っていうか、土地を治める話、どうなったのよ。あの屋敷だって、あんたとあたしのどっちがもらうかって、絶対に揉めることになるじゃない」
マルセリナが面倒くさそうに言うと、ナバーシュはじっと彼女を見つめる。
いつもは見せないその真剣な表情に、マルセリナはほんのりと顔を赤らめた。けれど、次の瞬間にはその比ではないくらいに真っ赤に染まる。
ナバーシュが彼女を抱き寄せていたのだ。
「いい方法があるんだ」
「い、いい方法?」
「結婚しよう。二人で土地を治めるんだ」
それならば、両家で争うこともあるまい。
名案ではあろう。だが、あまりにも急で、マルセリナはなにも言えなくなってしまった。
「嫌か?」
ナバーシュが告げると、マルセリナは視線を逸らして、「嫌じゃないけど」とだけ返す。こっぱずかしくて、肯定することなんてできやしなかった。
そんな彼女に、ナバーシュはそっと口づけた。
マルセリナは目を見開き、彼を見る。いつもの彼がこんなことをしてきたら、殴り飛ばしてやるところだ。けれど、ナバーシュの表情は穏やかで、ほっとしているようにも見えた。
だからマルセリナは、今ばかりは自分らしくないと思いつつも、ちょっとだけ甘えてみることにした。
彼の背に手を回す。
大きな背中に安心感を覚えながら、屋敷での生活も悪くないかもしれないと思うのだった。
◇
アバネシー領北東の都市では、ドラゴンが引く馬車が行き来していた。聖域とノールズ王国を繋ぐ便である。
今後、より交易は活発になるだろう。利益だって、これまでとは比べものにならないほど上がるに違いない。
マーロ・アバネシーは都市の一室で書類を見ながらにやにやしていた。
「マーロ様。そのようなお顔をされていては、怖がられてしまいますよ?」
「ここにはお前しかいないだろうが。誰が怖がるというんだ」
「そうでした! では、マーロ様が信頼してくださるのは、ラウハだけなのですね」
ラウハは嬉しそうに真っ黒な尻尾を振る。
そんなラウハを見ていたマーロは、一枚の紙を彼女に渡した。
「これでいいか?」
「あの、マーロ様、これって……」
そこに書かれているのはドレスの見本である。尻尾の穴が空いていることからも、ラウハに向けたものであるのは明らかだ。
そしてラウハもまた、ここで「誰の衣服です?」などと言うほどには抜けていなかった。けれど、
「マーロ様、あのときの言葉を覚えていたのですか? 買ってくださるのは嬉しいのですが、着る機会がまだありません」
などと言うのだから、あまり変わらなかったかもしれない。
マーロはため息をつきながら、ラウハをじっと眺める。そして上から下まで眺める。
どこをどう見ても、とぼけた印象があるし、黒い尻尾は貴族たちが好むような色でもないだろう。
それでも、やはりどう見ても彼女以外の相手はいないとマーロは思うのだ。
「お前は結婚式にもメイド服で行くのか?」
「ヴィレム様のところにはメイド服で行きましたが……」
やはり、直接言わないことには伝わらない。何度も婉曲的に伝えてきたマーロだったが、いよいよ一歩を踏み出すことにした。
「ラウハ。結婚するぞ。俺とお前が。式は来月にでも挙げる。ドレスはそれでいいか。文句はないだろうな。俺が選んだんだぞ」
やけに早口でまくし立てるのは、マーロもなんだか素直になるのが恥ずかしかったからだ。
ラウハはしばらくきょとんとしていたが、意味を理解すると、おろおろし始めた。
「マ、マーロ様! 結婚ですか!? ラウハでよろしいのですか!?」
「俺がそう言ってるんだ。お前は不満なのか?」
そう告げられると、ラウハはゆっくりと落ち着いてくる。すると今度はえんえんと泣きじゃくるのだ。
「そ、そんなに嫌だったのか?」
「違います、違いますよぅ。マーロ様と一緒にいられることが嬉しいのです。ラウハはこの上ない幸せ者です」
涙でぐしゃぐしゃになった顔は、淑女とはほど遠い。
けれどマーロはそんなラウハを見て、やはりこいつしかいないと思うのだった。
◇
シャレット領はノールズ王国の南東にあるため、あの戦いでさほど影響がなかった土地だ。それゆえにこれといった報酬もなかったが、祝いの雰囲気に包まれていた。
長らく土地を治めてきたイライアス・シャレットは領主の座を退いて、その長男テレンス・シャレットが領主となったのだ。
長い間、彼には経験を積ませてきたこともあって、よき領主になるだろうと、イライアスはテレンスを眺めていた。
「父上。これからもご指導のほどお願いいたします」
「困ったことがあれば頼るといい。だが、これから決めるのはお前だ」
「はい。民のため、尽力いたします」
そのような真面目な話をしていた彼らだったが、セドリックがやってくると挨拶をした。彼はすでに騎士としての仕事をやめているため、ただの一般市民であるが、長く支えてくれた忠臣に違いはない。
そして彼と一緒に、騎士ドミニク・サイクスの姿もあった。
「テレンス様。ご就任おめでとうございます」
「ありがとう。これからドミニクに支えてもらうこともあるだろう」
「遠慮なく、お伝えください。いつでも駆けつけます」
すっかり立派になった彼に、皆が安心するのだった。
それから彼の兄と、ここにはいない末っ子の姿を思い浮かべる。彼らはもはや、立派などという言葉では形容できないところまでいってしまった。しかし、血のつながりは変わらないだろう。
イライアスはやんちゃな末っ子の姿を思い浮かべるのだった。
◇
デュフォー帝国の帝都では、ヘイス・シャレットとルフィナ・デュフォーが会っていた。
あの戦いが終わってから、ヘイスは北の土地を治めることになっていた。それはヴィレムとの架け橋となることも期待されている。
けれど、それでは夫婦が離ればなれになってしまうということで、ルフィナもいずれはそちらに向かうことになっていた。
その話をしているところだったのだが、ちょうど皇帝マーカス・デュフォーがやってきた。
「……邪魔をしてしまったか?」
「とんでもございません、陛下。なにかご用でしたか?」
「会議において、あの土地をヘイスが治めることが正式に決定した。そうなると、竜騎兵隊の隊長と兼任するかどうかという話になるのだが……」
さすがに両方をこれからもこなしていくのは無理があろう。
ヘイスもそれについては悩んでいたが、すでに答えは出していた。
「隊長はほかの者に譲ろうと思っております。なにしろ、優秀な者たちはいくらでもいますから」
「そうか。今後も頼りにしている」
「そこでお願いがございます」
「できる限り聞こう」
ヘイスはそれから、ルフィナに視線を向けた。
彼女は頷くと、ヘイスが話し始める。
「竜騎兵隊の隊長として、一度ルーデンス魔導伯に会っておきたいのです。いえ、会わなければなりません」
ただの孤児であったヘイスがこの幸せを掴むことができた。それもすべて彼のおかげである。
それをうやむやにしたままやめてしまうというのは、あまりにも不義理だった。
「そうか。そうだったな。……こちらからも、よろしく伝えておいてくれるか?」
「かしこまりました。では、すぐに出立しようかと思っております」
「ルフィナとは、いいのか?」
せっかくの蜜月である。もう少しのんびりしていてもいいだろう。
けれどヘイスもルフィナも笑うのだ。
「これから、その時間はたくさん取れますから」
平和になればきっと、二人でゆっくりと過ごせるだろう。
そうしてヘイスは旅立ちの準備を済ませると、ドラゴンに乗って北へと向かうのだった。
◇
ノールズ王国とデュフォー帝国における動乱から日が経ち、聖域はより北へと開拓されていた。
そしてヴィレムは、かつてレムの時代の王座があった都市に辿り着いたのだ。
古びてはいたが、修繕すればそのまま使える設備がほとんどだった。レムとクレアが火にかけられた場所も残っていた。それを見ればなにかが再燃するかとも思っていたが、すでに心の中に薪はなくなっていた。放り込まれた火種はゆっくりと消えていくばかりだ。
そんな都市には今日、オットーがやってきていた。
こちらには魔物がいるため、基本的に魔術師たちしかいないのだが、彼は特別だ。政務において、彼は誰よりもヴィレムを理解して手伝ってくれた。彼がいなければ聖域の奪取もならなかったと言っても過言ではない。
「オットー。これからはもっと忙しくなるかもしれないが、俺を支えてくれよ」
「そういう台詞は、妻に言うものですよ。それに、もっと忙しくなったら、過労でぽっくりと逝ってしまうかもしれません」
「それは困るな。……シアには支えてくれとは言えないんだよ。いつもいつも、支えられっぱなしだから。俺は彼女に、支えると言わなきゃいけない。……はずなんだが、どうしてもそう言える機会がなくてな」
「まったく、ヴィレム様は仕方ないですね。クレセンシアさんにそう言えるよう、お助けいたします」
「助かるよ、オットー。……俺のところに来てくれてありがとう」
ヴィレムが告げると、彼は眉をひそめた。
「なんですか急に改まって」
「魔術師隊のクリフもディートもヘイスも、確かに活躍は華々しい。だけど、俺はオットーが一番の部下だと思っているよ。ずっとね」
「……これから大きなイベントがあるからって、緊張しているんですか?」
「ひどいな。せっかく褒めたというのに」
そんな締まらないやり取りをしていた二人だったが、クレセンシアが魔術師隊の者を連れながら、ノックをして入ってきた。
「ヴィレム様。もう皆は集まっておりますよ」
「ありがとう、シア。それじゃあ行こうか」
「はい。行きましょう」
ヴィレムはクレセンシアと一緒に歩んでいく。
オットーは魔術師隊の者と先に向かったため、今は二人だけだ。
そうしてヴィレムたちが向かった先には王座があった。
左右にはずらりと魔術師と、たった一人の文官が並ぶ中、ヴィレムはクレセンシアと二人で進んでいく。
剣士隊の隊長ディートはこのような状況でも相変わらずぼけーっとしている。欠伸をしていないだけまだマシか。
そして魔術師隊の隊長クリフは石像のように固まって動かない。律儀な彼であるが、もう少し柔軟でもいいのではないかとヴィレムは思うのだ。
端のほうには、彼の義子となったヘイスも来ている。今日、彼は竜騎兵隊の隊長を辞任し、これまで一緒に過ごしてきた魔術師たちとは違う道を歩むことになる。けれどヴィレムの義子という繋がりだけは残ったままだ。
そうして魔術師たちが居並ぶ中、ヴィレムは王座の前に立つ。
隣にいるのはクレセンシアただ一人。
濃紫のローブをまとった魔術師は、大勢の者たちを前にして宣言した。
「聖域の奪還は達成された! これより、俺は魔導王としてこの地を治めていく!」
彼の宣言に魔術師たちが跪く。誰もが待ちわびた瞬間だった。
かつての魔導王がそうであったように、聖域のすべてが掌握されたわけではない。まだ聖域南東部には新興国による問題も残っている。
だが今は、誰もが偉大なる王の誕生に忠誠を誓うのだ。
これから先の未来に思いを馳せながら。
かつての魔術師レムは聖域を望んだ。そして記憶を引き継ぎし転生魔術師もまた、この地を渇望していた。
けれど、目指したところはきっと違うのだろう。ここは希望で満ちあふれていた。
◇
歴史上、聖域の奪還は三度なされたと言われている。
一度目は、古代の魔導王が北に領地を広げたとき。これは資料が残っていないため、事実かどうかは疑う者もいる。
二度目は、希代の魔術師レムが聖域の病を克服したとき。しかし、彼は非業の最期を遂げることになった。
そして三度目は、田舎の一貴族の末っ子から始まって、数多の人々を巻き込んだヴィレム・シャレットの物語だ。彼はレムの記憶を引き継ぎ、繁栄をもたらしたと言われている。
その偉業を称えて、転生魔術師の英雄譚は今もなお語られ続けている。
転生魔術師の英雄譚<完>
これにて「転生魔術師の英雄譚」は完結となります。
連載開始から一年二ヶ月のご愛読、ありがとうございました。
WEBはこれにて完結となりますが、書き残したこともいくつかありますので、番外編などなんらかの形で書こうかなと予定しております。
本作は好きな要素を詰め込んだ作品でしたので、特に人気とかも気にせずに書いていたのですが、その途中でお声がけをいただいて、書籍化する運びとなりました。当時は驚きでいっぱいでしたね。
書籍はこれからも続刊しますので、そちらもよろしくお願いします。まだお手にとっていただいていない方は、この機会に興味を持っていただけると幸いです。
最後に、ここまでお付き合いくださった皆様に心よりお礼申し上げます。




