122 魔術師よ、聖域に眠れ
西から進んできたアスター・デュフォー率いる部隊に人の姿は見られなかった。
先頭を進む彼は禁術の影響か、それともレムに打ち勝つためにすべてを投げ捨てたのか、すでに異形と化していた。ほとんどは竜の鱗に覆われており、外見からは人らしいところなどありはしない。
そして配下の魔術師たちもまた、同じような姿であった。これには聖域の病を防ぐという意味合いもあった。人の姿では聖域を克服することはできなかった。だが、聖域にいる魔物たちの能力を取り入れたのであれば、そこで活動することもできるようになる。単純な仕組みだ。
けれど、それではもはや、人が病に打ち勝ったとは言えないだろう。
果たしてそのことに、どれだけの者が気づいていたことか。アスターはすでに、敵を打ち倒すことしか頭になく、配下の魔術師たちも、自ら進んで加わった、あるいは禁術による影響で渋々従っていたという最初の段階に差はあれど、今は勝利のために歩を進めるのみ。
そしてそんな彼らの背後には、鋼兵団の魔術によって生み出された金属の人型がいる。しかし、それを用いているのはこの魔術師たちではない。それぞれの中には、人が入っているのだ。
これならばただの人であっても、聖域の病に陥らずに済む。しかし、果たして彼らは人と呼べる状態であったかどうか。
急ごしらえの禁術でなんとか、人を元にして魔術を発動させることに成功した。けれど、彼らに与えられた役割は、この戦いで燃え尽きること。たとえ勝利したところで、元の生活には戻れない。いや、生きていることすらできないだろう。
すでに意思もなく、ただ魔術師の命令によって動くのみ。与えられた命を燃やしながら、東へ東へと進んでいく。
アスター・デュフォーは、聖域の奥地から窺ってきている存在があることに気がついた。レムの手先だろう。
それゆえに、相手はここにいるのは間違いない。
「レム。貴様に借りを返してやる……!」
アスターは獰猛に口の端を上げた。そこには獣の牙が覗いている。
そして彼は魔術を用いると、生み出した土の槍を投擲する。狙いどおりに向かっていったそれは、偵察に来ていた魔術師を貫き、血を噴き出させる。
よろよろとしつつも、背を向けて移動していくことから、まだ死んではいないだろう。アスターは追おうとはしなかった。たった一人にそこまで注力する必要もない。
彼は手で腹部の鱗を撫でる。以前の戦いで風槍によって貫かれたそこは、今もまだうずいているように感じられるのだ。その火照りは、やつを殺すまで収まりはしないだろう。
彼が研究してきた禁術は、古代の魔術師たちにとってもなし得ない水準まで到達している。誰もその技術を褒め称える者はいないだろう。なにより、それだけの知識がある相手は、もはやたった一人しかいないのだから。
もはやアスターは気にもしていない。この力でレムを殺す。
粗野な振る舞いは、もはや獣のそれとなんら変わるものではなかった。
言葉もなく、一団は進んでいく。かつてあれほど欲した聖域は、すっかりくたびれて見えた。
◇
敵の集団が近づいてくるにつれ、足音が聞こえるようになってきた。
剣士隊の隊長ディートと魔術師隊の隊長クリフは、それぞれの隊を集結させて、総力戦に臨もうとしている。そこに竜騎兵隊の隊長ヘイスの姿はないが、ともに戦う仲間であることに変わりはない。
いよいよ、これですべてが決まってしまう。そう思うと、クリフとて緊張せずにはいられない。お調子者のあの竜騎兵隊の隊長がいれば、少しは違っていただろうか。
そして先頭を進んでくる存在が明らかになった。
以前見たときよりもはるかに化け物染みている魔術師、アスター・デュフォーだ。
ヴィレムとアスターはほんの一瞬だけ目が合った。けれど次の瞬間には――
「来るぞ!」
アスターが指示を出した瞬間、敵の魔術師たちが一斉に動き出す。そして彼らよりも先に、鋼兵団が動き出した。
ずんずんと進んでくる鋼の兵士たちの突撃を、剣士隊の者たちはすぐさま受け止めていく。
身体強化の魔術によって、それらの攻撃をいなし、投げ飛ばすだけの膂力を得ているのだ。それに関わる魔力と、敵が鋼兵団を維持するために供給する魔力のどちらが先に尽きるかの勝負になるか。
けれど相手をしているのは、敵が禁術を用いた民と知っていれば、多少なりとも忌避感が生じる。それは剣を鈍らせるだろう。意思もなく遠慮のない敵のほうが、果敢に攻めてくる。
あたかも劣勢になるかと見えた瞬間、ディートが素早く飛び込むと、魔剣をあたかも槍のように変形させて突撃する。
切っ先は鋼の鎧をあっさりと貫き、次の瞬間にはその中で暴風が吹き荒れる。
耐えきれずに中から肉片が噴き出すと、いかに禁術で操られていたとはいえ、到底生きてはいられない。
ゆっくりと消えていくその鋼の鎧に一瞥をくれることなく、ディートはすでに別の相手を見据えている。
「まずは一体だ」
もしかすると、彼はヴィレムの旗下で一番人を切った経験があるかもしれない。だからか、誰もがほんのわずかながらも抱く忌避感もなく戦うことができている。
その姿に引っ張られ、者どもは奮起する。
そしてクリフもまた、彼の援護をしつつ、敵の魔術師に攻撃を仕掛けていく。だが、敵も精鋭ばかり。簡単には仕留められない。
しかし……
「うぎゃあ!」
悲鳴が上がったところでは、聖域に存在するという食人植物から、ローブの端が出ていた。
アスターの兵は聖域での活動はそこまで長くないと見ていたがそのとおりで、うまく誘導すると引っかかってくれたのだ。ヴィレムが防衛に役立つからと、残すよう言っていたものだが、果たしてそのとおりになった。
かつて聖域で活動していたアスターの魔術師もいる。だが、彼らは不完全な禁術で聖域の病を防ぐこともできず、すでに生きてはいないだろう。
となれば、生き残りはそこまで聖域に干渉していないはずだった。
魔術師隊の者たちはうまく聖域の植物の機能を生かして、敵を退けていく。だが、それすらも無視して突っ込んでくる存在があった。
「レム! 貴様を殺す!」
ドラゴンの鱗を身につけたアスターには、並の魔術などもはやなんの意味もなさない。
彼はすさまじい勢いでヴィレム目がけて動いていた。
剣士隊の者が切りかかれば、爪で防いで弾き飛ばし、植物が食いつけばそのまま引きずって力任せに駆けていくため、耐えきれなくなった植物が引っこ抜けたり千切れたりする有様だ。
ヴィレムはアスターを見据えると、竜銀を変形させた。
そして隣のクレセンシアに一瞥をくれる。彼女は頷くと、深緑の槍を手にして構える。
「随分と汚れたじゃないか、アスター・デュフォー!」
「黙れ! ここを貴様の墓標にしてやる!」
アスターが腕を大きく振りかぶり、鋭い爪による一撃を放つと、ヴィレムは竜銀で受け止める。
そして力が拮抗したかに見えた瞬間、アスターは口を大きく開けた。
獣のようにヴィレム目がけて食らいつこうとしたのだ。
「くそっ!」
咄嗟に回避したヴィレムであるが、そのときにはアスターの腹の辺りから、とげのようなものが飛び出していた。
「ヴィレム様!」
勢いよく貫かれるかに見えた彼は、腹部から血を流しながら、後退していく。彼が再生の魔術を用いている間、迫るアスターへとクレセンシアが距離を詰める。
彼女は長柄の武器ゆえに、至近距離から相手の攻撃を受けることはない。
だが、アスターの腹から飛び出したそれはうねるように動きながら、クレセンシアを締め上げようと迫る。
咄嗟に距離を取ったクレセンシアは、気味が悪いアスターのそれを弾いた。
ヴィレムはさっとクレセンシアの隣に立つと、敵の姿を眺める。
「ひどい姿だな。とうとう鱗の中まで化け物になったか」
「それで貴様を殺せるのだ。安い代償に過ぎない」
「勝つのは俺たちだ」
「ほざけ。次はあのような逃げる魔術など用いる隙は与えない。今度こそ、貴様に引導を渡してやる!」
アスターが飛びかかると、ヴィレムは竜銀で防ぐも、力は敵のほうが上回っていた。
押し出され、拠点の壁に叩きつけられる。
「くっ……」
飛びかかってきたアスターの攻撃を、拠点の上部を転がりながら躱していると、次第に哄笑が大きくなってくる。
「一度も俺のほうを見ようともしなかったお前が! 転がっている! 無様に!」
アスターの興奮が高まる一方で、ヴィレムとクレセンシアはひたすらに凌いでいく。そして、敵の渾身の一撃が放たれようとしていた。
身体強化の魔術によって強化された肉体から放たれる一撃が、ヴィレムとクレセンシア、二人が作り上げた竜銀の盾を激しく叩いた。
すさまじい金属音とともに盾がへこみ、ヴィレムたちは押し潰されようとする。アスターもまた、勝利を確信していた。
だが次の瞬間、ヴィレムが拠点に手を触れると、急に大きな穴が空いた。拠点の入り口が開いたのだ。あれから、入り口とわからないように、偽装しながら作っておいたものだ。
ヴィレムとクレセンシア、アスターの三人は聖域の拠点へと落ちていく。そして彼らが入りきると、入り口はすぐに閉まってしまった。
そこは小さな部屋だ。
アスターは着地しつつ、二人を眺める。
「こざかしいことを。貴様のように、仲間がいないとなにもできないとでも思ったか?」
「アスター、それこそお前の姿だろう。自ら剣を取ることもなく、禁術で操った者たちにむごい行いをさせてきた。自分の手を汚すこともなく」
「すべて俺が行ったことだ。俺は一人でも、貴様の作り上げたものを壊すことができる」
「それはどうだか。俺の魔術師たちは、お前に従うだけの操り人形とは違う」
ヴィレムは拠点の外に一瞥をくれる。内部からは外が見えるようになっているため、そこではディートやクリフたちが奮戦しており、敵を次々と倒しているのが見えた。
アスターはグッと歯噛みすると、ヴィレムを睨みつける。
「……ここで殺してやる」
「それには俺も同感だ」
ヴィレムは剣をアスターに向ける。
「行くぞ!」
勢いよく切りかかるも、アスターは鱗で受け止めてしまう。ほとんど傷がつかないと見るや否や、防御することもなく、ひたすらヴィレムを突き飛ばすことに注力する。
「どうした! 手も足も出ないじゃないか!」
振るわれる攻撃はドンドンおおざっぱになっていく。ヴィレムは攻撃をかいくぐり、懐に入ると相手の腕を取って思い切り地面へと投げつける。
そして同時に幾何模様を生み出していた。
それはいくつもの風の刃となり、アスター目がけて向かっていく。
これまでヴィレムは魔術を用いてはこなかった。それゆえにアスターも警戒せずにはいられない。
咄嗟に防御を固めるが、風刃は彼の鱗をほとんど傷つけることはできなかった。
「この程度か!」
立ち上がったアスターは、思わず目を見開いた。
辺り一面が金色の炎に包まれている。妖狐クレアが用いたという幻の炎だ。
「ふん、貴様が死んだときの演出か?」
アスターが告げるも、ヴィレムは返事をしなかった。
そこでようやく、アスターは自身が取り残されていることに気がついた。
どこに逃げたのかと、慌て始めた彼であったが、幻の炎で出入り口はよく見えない。
そして部屋を満たすように、次々と幾何模様が飛び込んでくる。そちらに解除の魔術を用いるが、間に合わない。それはたった一人が用いている魔術ではなかった。あらかじめ用意させておいた魔術師たちが一斉に発動させているのだ。
「レム、貴様……!」
「悪いな。勝つのは俺たちだ。アリスター、お前の悪行もここまでだ。歴史に眠るといい!」
ヴィレムは風の大規模魔術、風竜翼を発動させるべく、魔術師たちが作り上げていく幾何模様に、最後の一ピースをはめ込んだ。
それらは力強く輝き、いよいよ魔術を発動させた。
膨大な風が生じると、狭い部屋の中で荒れ狂う。大規模魔術はこのような場所で用いる魔術ではない。部屋の壁はその威力のせいで、バキバキと音を立ててひしゃげていく。
「ぐぉおおおおおお! レムゥウウウウウ!」
断末魔の叫び声が上がる。けれど、それもやがて小さくなっていった。
ヴィレムはそれを最後まで聞き届けると、その小部屋に再び足を踏み入れた。そこにあるのは、バラバラになった竜の鱗や獣の牙。人の姿はどこにもありはしない。
「アスター・デュフォーは死んだ。……いや、とうの昔に死んでいたのかもしれないな。ただ、アリスターの亡霊に取り憑かれた生き霊として動いていただけで」
それはヴィレム自身も同じかもしれない。レムの記憶を引き継ぎ、それによってここまで来たのだから。
けれど、次々と飛び込んでくる魔術師隊の者たちがいる。そして隣で微笑むクレセンシアがいる。
外に視線を向ければ、アスターの禁術から解放された者たちが、次々と命を落としているところだった。彼の禁術なしでは生きていけなかったのだろう。
「ヴィレム様。終わりましたね」
「ああ。これでようやく前に進める。さあ、戦争を終わらせよう」
ヴィレムはクレセンシアとともにアスターの亡骸を葬る。炎に焼かれて、灰となったそれは聖域に散らばっていった。
「……魔術師よ、聖域に眠れ」
ことの発端は、レムが孤独であったこともあるのかもしれない。まともに人と対応していれば、アリスターがここまでの執念を抱くこともなかったのだから。
ヴィレムは哀れな魔術師に黙祷を捧げると、もはやそちらに目をくれることもなかった。
「俺たちの勝利だ。これから忙しくなるぞ。この世界も、平和に変わっていかなければならないのだから」
彼の言葉に、傷ついた魔術師隊の者たちも微笑む。
思い描いた戦いの末に、ようやく辿り着くことができたのだ。聖域の恩恵がもたらす繁栄の未来に。
それから彼らは聖域の治安維持のための活動に動き始め、王国と帝国にはアスターが死んだという話が伝えられる。
ペール・ノールズの姿はどこにもなかったそうだ。彼もまた、アスターの禁術によって操られており、彼が死ぬと運命をともにしたのかもしれない。
そうして王国と帝国を巻き込んだ魔術師の野望は打ち砕かれた。
民が安堵し、両国がアスターの残した傷跡を修復しようと動く中、ルーデンス魔導伯も新たな一歩を踏み出そうとしていた。




