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11 大人になるとき

 ブラックベアーは四つ足で地を駆ける。その勢いたるや、常人の脚では到底逃げ切れそうにない。


 ヴィレムは敵をしっかりと見据える。すると、なにやら焦げた破片を撒き散らしていることがわかる。しかし表皮が剥がれているわけではない。


「……土か! 全身に付けて臭いを消していたとは、してやられたな。しかし探知に引っかからなかったのはいったい――」


 ブラックベアーがヴィレム目がけて突進してくる。もはや考えている暇はない。

 ヴィレムは背後を一瞥する。まだ、ドミニクもオットーも下がり切ってはいなかった。今、敵を躱せば、後ろにいる彼らは血に塗れることになる。


 ヴィレムは思い切って手にしていた剣を投擲した。体幹から肩を通じて上腕へ、上腕から肘を通じて前腕へと力が分散することなく伝えられる。しなやかな一投だ。


 剣はブラックベアーの頭部めがけて突き進んでいくも、やがて外されて首に深々と刺さった。

 敵の体は剣を回避したことにより、進行方向から逸れる。速度が落ちたところに、ヴィレムは飛び込んだ。


 懐に入ると、すぐさま風刃の魔術を発動させる。いくつもの幾何模様が浮かび、下方から突き上げるように風の刃が襲い掛かる。


 直撃するとブラックベアーは仰け反り、獰猛な咆哮を上げた。

 分厚い皮膚ゆえに貫通こそしないが確かに効果はある。しかし、思った通りにはいかなかった。もしかすると、魔導鎧に似た魔術への抵抗性を持っているのかもしれない。


 ならば、とヴィレムは地面を蹴りつけるとともに「錬金」と「硬化」の魔術を発動させる。柔らかい土の中に生み出された一振りの剣を靴に引っかけ蹴り上げる。


 そうして宙に浮いた柄すらないシンプルな剣を掴むと、ヴィレムは横一線に振るった。

 軌跡に沿って血がしぶく。


 ヴィレムは立て続けにもう一閃。渾身の力で剣を振り下ろす。十字の傷跡が出来上がった。


 ブラックベアーが血を流しながらも怒りのままに、ヴィレムに覆いかぶさってくる。圧死させるつもりか。


 ヴィレムは周囲に視線を向ける。オットーとドミニクはすでに下がりきっている。仮にブラックベアーが彼らに向かっていったとしても、無防備な背中目がけて魔術を散々撃ち込み続けることができよう。


 ヴィレムはそう判断すると、大きく後退する。及び腰になったからではない。黄金色の姿が見えたからだ。


 次の瞬間、再び眼前が炎上した。

 そして槍を持ったクレセンシアが、燃え盛るブラックベアーに突撃する。


 槍の穂先には土の魔術で作り上げた巨大な三角錐の塊がついている。自身よりも大きなそれを前面に押し出し、そこに隠れるようにしながらクレセンシアはブラックベアーに槍を突き立てた。


 衝撃とともに、敵の巨体が突き飛ばされる。

 熊が横転すると同時に、クレセンシアは土の魔術を解除してぱっと飛び退いた。


 ぽっかり空いた腹の穴から流れ出た血は、炎に炙られ気化していく。が、これまたブラックベアーの炎はやけにあっさり消えていく。


 その体表面には幾何模様が浮かび上がっているのが、今度はしかと見て取れた。


「シア、吸熱の魔術だ! 防御に関する魔術を本能的に使っているらしいから、魔術はあまり効かないと見ていい。肉弾戦に切り替えるか、解除の魔術を使っていくか」


 炎の魔術は威力が高く広範囲にも及ぶ一方、吸熱の魔術により無効化されてしまう欠点がある。それゆえに、基本的には魔術の上手くない大多数の兵を相手にするときに用いられていた。


 だから別の魔術に切り替えるか、直接叩くか、吸熱を無効化する必要があった。

 けれどクレセンシアは頼もしく槍をくるくると回しながら宣言する。


「いえ、その必要はありません! ヴィレム様、もう一度私にお任せください」

「よし、いけるんだね。じゃあ任せるよ。俺が引き付けるから、止めは任せた」


 クレセンシアがやると言ったのだ。

 ヴィレムは迷うことなく剣を握り、ブラックベアー目がけて風刃の魔術を連続使用する。


 次々と放たれる風の刃を防ぐべく、ブラックベアーは全身を丸めて、脇腹の傷跡を庇った。そして浮かび上がる幾何模様。


 風刃はかすり傷を付けるばかりで、致命傷には至らない。敵は回避を捨て、防御に徹する構えだ。


 しかしそれならなおさら都合がいい。

 ヴィレムは自身の魔力が減っていくのを実感しながら、ひたすらに攻撃を続ける。


 そしていよいよ消耗により魔術が弱まり始めた瞬間、クレセンシアの準備が整った。


「ヴィレム様、いきます!」


 クレセンシアは全身からとめどなく炎を溢れ出させた。黄金色の炎が形を変えながら、ブラックベアーに絡みつく。


 敵の巨体を飲み込んだ瞬間、吸熱の魔術が発動。

 ブラックベアーは音を立てて、凍り付き(・・・・)始めた。


 身をよじり悶えるブラックベアーは、身を焼かれる熱さに、ますます吸熱の魔術を強めていく。そのたびに体はますます凍り付き、動かなくなっていった。


 やがて頭部まで完全に凍結すると、もはや魔力を生み出すこともなくなり、沈黙するばかり。自らの魔法が身を滅ぼしたのだ。


「お見事、シア」

「ありがとうございますヴィレム様。ご期待に添えられたようで、なによりです」


 ヴィレムはクレセンシアとハイタッチしつつ、ドミニクとオットーを呼んだ。もう終わったのだと。

 おそるおそる出てきた二人は、ブラックベアーを見て声を揃えた。


「凍ってる!?」

「た、たしか炎が上がってたはずじゃ!?」


 ほかの少年たちもやってくると、これまた騒がしくなる。しかしなんとなく悪い気はしない。


「そういうこともあるのさ。見た目だけがすべてじゃない」


 ヴィレムはそれ以上の説明をしなかった。いろいろと複雑な事情が絡み合っていたのだ。


 クレセンシアが用いた魔術は、妖狐クレアが使っていた「狐火」の魔術だ。炎の魔術でありながら、一切の熱を持たない特徴を持っている。


 しかし、実際の炎と同じだけの焼ける感覚があり、物理的に防ぐことはできない。それゆえに熱さに耐えようと吸熱の魔術を使えば使うほど、自身の熱が奪われ凍り付くことになる。


 彼女に引き継がれた魔術を懐かしく見ていたヴィレムだったが、すぐに気持ちを切り替えた。


「さあ、大物を仕留めたんだ。華々しい凱旋をしようじゃないか。だからといって、小物をおざなりにしちゃいけないからな。何事も地道にやっていかなけりゃならない」


 少年たちはヴィレムの言葉に応え、すでにあらかた終わっていたブラッドディアの血抜きを済ませ、袋に詰めていく。


 それからカチカチに凍ったブラックベアーを見る。さすがにこれはどうしようもない、と。

 ヴィレムは地面に手を置き、土の魔術「硬化」を使用。荷車の形に仕上げると、そこにブラックベアーを乗せて引き始めた。


 身体強化が使えるクレセンシアと並んで一緒に引きながら、町へと向かっていく。

 ヴィレムは隣の彼女に小さく呟いた。


「ブラックベアーが吸熱を使うとは聞いたことがないな。俺が知らないだけかもしれないけれど」

「そうですね、どういうことでしょうか。このあたりの獣がいないことと関連があるかもしれません」

「調べてみるとしようか。……それもとりあえず帰ってから、ね」


 二人は笑いながら会話を終えた。

 そうすると、ドミニクがやってきてヴィレムの隣で手伝い始める。


「あの……ヴィレム様。先ほどは申し訳ありませんでした」


 ドミニクが唇を噛みながら伝える。本来守るべき相手に守られてしまったのだ。さぞ不甲斐ない思いをしたに違いない。


「あいつを見逃したのは俺の失態だから俺が責任を取る。お前たちの命を預かったのだから俺が守る。なにも気に病むことはない。……それに、二度目があるさ。今は駄目でもまたいつか機会は巡ってくる。そのときに頑張ればいい」

「ヴィレム様……ありがとうございました!」


 ドミニクが頭を下げた。ほんのりと浮かべた涙を、ヴィレムは見なかったことにした。


 それからシャレット家に戻ると、驚くメイドたちに出迎えられながら、ヴィレムは少年たちにブラッドディアの肉を処理するよう命じた。


 クレセンシアが本日の献立を考えに厨房に行くのを見送ってから、ヴィレムは倉庫にブラックベアーを凍らせたまま閉じ込めて眺めていると、背後に人の気配を感じて振り返った。


 そこにはオットーの姿。今日一日、なにもいいところを見せられなかった彼だ。


「その、えっと……ヴィレム様。今日はその……すごかったです」


 いまいち伝わりにくい言葉だ。しかしヴィレムもすげなく返すことはしなかった。


「なあ、オットー。人にはな、それぞれのいいところがあるものだ。だけど、生涯見つけることができないかもしれない。それを教えてくれる人はどこを探したっていない。それでも、諦めて卑屈になるよりは、探し続ける人生のほうが面白いぞ。お前が輝く日を待っているよ」


 ヴィレムはオットーの肩をぽんと叩くと、そのまま倉庫を出た。嗚咽が聞こえてくる。おそらく、オットーが騎士の道を目指すのは今日が最後だろう。


 そんなことを考えたヴィレムであったが、面白いものを見たとばかりに、にこにこしているクレセンシアと目が合った。どうやらオットーを追いかけてきたらしい。


「ヴィレム様、ヴィレム様っ! あれが男の友情というやつですか? クレセンシア、痺れちゃいますっ」

「違うよ、そんなんじゃないって」


 なんとなく気恥ずかしくなったヴィレムは、そんな言葉で誤魔化すのだった。


 見上げた空はすっかり暗くなっている。今日も一日が終わり、また明日がやってくる。

 よく働いたね、なんてクレセンシアと言い合いながら。


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