118 変わらない空を、変わった心と体で
迫る数名の者たちは外套を纏っていた。姿はそれゆえにはっきりとは見えない。
しかし、唯一爛々と輝いていたのは、身体強化の魔術だ。
「アスターの兵か!」
クリフが問うも、襲撃者は返事をしなかった。一瞬で距離を詰めてくると、剣を振るう。
彼は竜銀を変形させて盾として受け止めると、素早く振り払う。そして風刃の魔術を放った。
いくつもの刃が過ぎていくと、獣のような動きでぱっと回避する。距離を取ったところで、今度は向こうは石を投擲してきた。それは土の魔術によって鋭い矢へと変形させられている。
クリフがそれを弾いていると、その間にディートは敵の背後に回っていた。そして鋭い剣を一振り。
的確に首を狙った迷いのない一撃に、相手は咄嗟に回避しようとする。だが、躱しきれずに外套を切り裂いていった。
はらりと、相手の顔を隠していた布が落ちる。その容貌はノールズ王国の者とも、帝国の者とも異なっていた。そしてアスターがけしかけてきた者たちとも違っている。
遺跡から出てきたヴィレムは、その顔を見て思わず目を見開いた。
追わんとした彼であるが、襲撃者たちは追撃するディートに対し、自動でツタを利用して彼の邪魔をしてあしらう。
「くそっ」
剣で切り払いながらもディートは相手を睨みつけていたが、こちらでの経験の違いがよく現れてしまった。戦いの技術ではなく、この土地での動き方に関しては、圧倒的な差があったのだ。
ヴィレムはその相手に問う。
「お前たちは何者だ」
しかし、返事はない。ただ、こちらを警戒した視線を向けるばかり。
そこでヴィレムは、もう一度彼らに尋ねた。ここにいるヴィレムの部下たちが、誰一人として理解できない言葉で。
『北の異民族か?』
それを聞くなり、相手の表情が変わった。だが、彼らは顔を見合わせると、話をすることもなく、背を向けて逃げていく。
そして苛立っていたディートが飛び出したときには、相手はすでに木々の向こうに消えていた。
「無理に追わなくていい。危険だ」
「ヴィレム様。あれらはいったい……」
「北の異民族だ。千年前とは顔つきもだいぶ違うが、あの特徴から察するに間違いないだろう」
北の異民族がいたために、魔導王も魔術師レムもこの土地を完全に平定することはできなかった。
そのため研究も盛んに行われており、彼らの言葉もレムはある程度理解していた。だから、そちらを用いてみたのだが、見事に当たっていたようだ。
もちろん、あれから千年もたっているから、随分と古めかしい言葉に聞こえたことだろう。あるいは、ほとんど理解されなかったか。
なんにせよ、反応があったのは間違いない。
(しかし……彼らの土地はもっと北だったはずだ)
一般にレムたちが聖域と呼ぶ場所は、異民族にとっては「南方の辺境の人が住むような土地ではない」という扱いだったと記憶している。
だから、魔導王もレムも「聖域の一部」を手にすることはできたが、全域を治めることはできなかったのだ。
「まさか、こんなところまで来ているとはな。それにしても……あの幾何模様は確か、西のイン・エルト共和国で見た覚えがある」
西国の北西部、海がある土地では、その大海の向こうと交易をしていると聞いていた。もしかすると、その相手が住んでいる場所が、この聖域の北から西に向かっていった場所なのかもしれない。
だとすれば、北の異民族はこちらに対して土地を広げようとする意図がある、あるいは何者かと協力関係にあることなどが考えられる。
いずれにせよ、こちらに足を伸ばしているのは間違いない。
「西だけでなく、北まで警戒しないといけないとはな」
こちらはそこまで兵が多いわけでもない。数を割かねばならないとなると、手間になる。
ヴィレムがため息をつくと、クレセンシアはそんな彼を尻尾でぽんぽんと叩いた。
「それにここには魔物もいますからね。平和な土地だとお考えでしたか?」
「この尻尾よりは大人しいと思っていたんだ」
ヴィレムが彼女の尻尾を撫でると、
「まあ、それは随分と牧歌的な土地なのですね」
などと笑うのであった。
そうしていた二人は、ともかくこちらでの準備を進める。日が暮れる前に、付近の調査をある程度進めておきたかった。
夜を過ごすのは遺跡の中でもいいが、まったくの無警戒でいるわけにはいかない。先ほどのような異民族もいるだろうし魔物もいる。そしてアスターがいつこちらに到着するかもわからないのだ。
呑気にしてもいられない。
あれこれとヴィレムは指示を出し、まずはこの土地を拠点として固めておく。半端に北の都市を手にするくらいなら、こちらに集中したほうがいい。
防備を固めていたはずが、実は魔物の巣に囲まれていた、なんてことだってあり得るのだから。
こちらには多くの兵を連れてきているため、準備に手間取ることもない。
ここに来る者たちには、聖域の知識を教えてはいたが、実際に体験するとなると、思うようにはいかないものである。
彼らは苦労しながらも、せっせと働くのであった。
それからしばらくして、遺跡の中が綺麗さっぱりになる。若干のかび臭さや死臭の残りなどはあるが、健康上は問題ないレベルまで低下する。
「しかしこれでは、食欲など湧かないだろうね」
「ヴィレム様でも、食事が喉を通らないことがあるのですか?」
「俺だって、そういうときくらい……あったかな? シアの料理がおいしいからね。でも、ほかの魔術師たちが食べるのは保存食とかなんだ」
そんな話をしていると、クリフが胸を張る。
「ヴィレム様、我々のことはご心配なく。いつでもどんな状況でも戦えるよう、体調には気を遣っています」
「ああ、頼りにしているよ。でも、皆が皆、ディートのようにしぶといわけでもないからね」
ヴィレムは遺跡の外にいるディートに視線を向ける。そこでは、取ってきたばかりの果実や木の実を焼いて食っている彼の姿がある。
「確かにヴィレム様は、食べられる木の実などを教えてくださいましたが……」
「まさか、早速やるとは思ってもいなかった。そういえばあいつ、オデットと会う前はひどいもの食ってたんだったな」
食料が得られない状況でも生きていけるように、と教えたのだが、彼の場合はできるだけ持ってきた食品を減らさないように工夫したというわけでもなく、小腹が減ったからだろう。
なんとも逞しいものだ。お腹を壊さなければいいのだが……。
「慣れていて丈夫なディートさんはともかく、ほかの方はちょっと大変かもしれませんね」
ディートから分けてもらう剣士隊の者を見たクレセンシアがそんな感想を漏らすのだった。
そうして聖域での一日は過ぎていく。今のところは、敵襲の気配もない。
このまま順調にいけば、もう一つ北の都市もなんとか占拠できるだろう。異民族に対する備えとして、ここだけしかないよりは、人数的には都合がいい。
いずれまた、アスターとの戦いもあるだろう。けれど今は、ヴィレムは遺跡の中で横たわりながら、夜空を眺めていた。
「シア。俺はいよいよ、ちっぽけな土地とはいえ、聖域を手にしたぞ」
「はい。願いが叶いましたね」
「けれど、もっともっと、繁栄させていかないといけない。そして、次の戦いにも勝たないと」
「頑張りましょう。思い描いた平和は、もうすぐそこまで来ておりますよ」
クレセンシアが身を寄せると、ヴィレムは彼女を抱き寄せた。ふわふわの尻尾は温かい。
幼いときからずっと一緒にいた彼女は、今もこうして側にいる。ヴィレムはそのことをなによりも大事に思いながら、来たる戦いに備えるのだった。
聖域の夜は街明かりもなく、綺麗な星々がよく見える。
その光景は、千年前と今でなにも変わらない。
変わらない空を、変わった心と体でヴィレムは見上げるのだった。




