116 それぞれの思い、進むべき道
ヴィレムはアバネシー公と対話していた。
アスター・デュフォーとの戦いの後、アバネシー領西の領域が得られることになったため、その話し合いが必要になっていたからだ。
「ルーデンス魔導伯。此度の戦いでは貴公の力がなければ、この地は焦土と化していたであろう。助力に感謝する」
「お互い、陛下の下でともに戦ったのです。お気になさる必要はございません」
「だが、戦果はきっちりと話し合わねば、今後の問題となりかねない。現在は我が兵たちが押さえているとはいえ、我が物顔で振る舞うなど厚顔な行いをすれば、末代までの恥になろう」
アバネシー領は歴史あるからこそ、そうした契約の類もきっちり行っているのかもしれない。たった一代で成り上がったルーデンス魔導伯が柔軟に振る舞えるのとは、対照的だ。
「ですが、私が西の土地を得たとしても、ルーデンス領からは遠く、飛び地になってしまいます。アバネシー公が得るほうが都合はよろしいでしょう」
「ふむ……では、代わりの土地を欲するか?」
それは暗に、アバネシー領の一部とそちらを交換するかという提案である。ヴィレムはこちらにも首を横に振った。
「アバネシー領南の土地は、確かに魅力的な土地です。私の領地とも近しい。ですが、あそこの民にとっては、混乱を招くだけでしょう」
「ふむ。……マーロの話では野心家にも思えたが、そうではないということか。それとも、ほかに欲するものがあるというのか?」
アバネシー公が尋ねると、ヴィレムは頷いた。
ウィルフレドが王位につき、マーカスとも話はうまくいっている。ここまでは順調に来ているのだ。ならば、もはや迷うことはあるまい。
「私が望むものは一つ。聖域でございます」
「なるほど。以前から交易を盛んに行いたがっていたな。より多くの品を望むのであれば、こちらとしても異論はない」
「いいえ、それは少し異なります。我が願いは聖域そのもの。かつて魔導王が治めたあの土地をもう一度取り戻し、繁栄の時代を築き上げたいのです」
ヴィレムの言葉に、アバネシー公はしばしあっけにとられた。
魔導王がいた時代はすでに遠く、なかば伝説と化している。そのような土地を治めようというのだから、正気とは思えない。
しかし、アバネシー公はそれをすぐに受け入れ、くつくつと笑い始める。
「そうか、そういうことか。マーロが入れ込むわけだ。いや、あやつだけではないか。ウィルフレド陛下も、マーカス陛下も、皆が貴公に影響されずにはいられない器だ」
もし魔導王に匹敵する人物がいるのであれば、この時代の者たちなどでは太刀打ちできるはずがない。それは子供だって知っているような話だ。
「つきましては、領内における移動の権限を、今より拡充していただきたいと考えております」
「すでに自由に移動しているようなものではないか。なにしろ、こちらが気づかずに動くことも魔術師には容易いのだろう?」
「聖域での活動が盛んになれば、今後は大規模な行動を取る必要があります。その際、通行の権限において障壁があると、ルーデンス領との移動で不都合なのです」
「……ルーデンス魔導伯はあまり駆け引きが得意ではないようだな。正直すぎる。だが、好き勝手にできるところを申し入れる辺り、信頼に足る人物だろう。承知した。……ちょうど、北東の都市はヤニクがいなくなったところだ。あの地をマーロに任せよう。今後は交易の拠点は南のみならず、あちらになるだろう」
「ありがとうございます」
アバネシー公もまた、ヴィレムが見据える未来を疑うことはなかった。信じさせるだけになにかが、彼には備わっていたのかもしれない。
「ところで、その話はウィルフレド陛下には話してあるのか?」
「ええ。すでに」
「そうか。確実な一歩なのだな」
夢物語を語っているのではない。その土地へとヴィレムは確実に進もうとしていた。
そうして話し合いを終えると、ヴィレムは部屋を出た。それから屋敷を出て街の方へとを歩いていると、こちらに向かってくる少女の姿を見つけた。別行動でアバネシー領西の方を探っていたクレセンシアである。
「ヴィレム様! どうでしたか?」
「無事に終わったよ。マーロが北東を治めるそうだ。そっちはどうだい?」
「西では特に動きはありませんでした。しかし……アバネシー領が落ちないと見て、北部を迂回していく動きがあるようです」
「聖域を突破するということか。となれば、一般の兵は引き連れて動けないだろうな」
「はい。私たちの戦いになります」
ひとまず、ペール・ノールズとウィルフレド・ノールズの戦いは落ち着いた。そしてこれからは聖域にまつわる者たちの戦いが繰り広げられることになるだろう。
「本当に、聖域まで来てしまいましたね」
「実現するなんて、と思っていたかい?」
「まさか、ご冗談を。ヴィレム様が本気だったこと、クレセンシアは最初からちゃんと知っておりましたよ。そしてその未来もずっとお待ちしておりました」
彼女は胸を張る。ヴィレムはそんな彼女の手を取って、一緒に北東部へと駆け出した。
「行こうか。俺たちの未来を掴みに」
「はい。私たちの未来のために」
◇
アバネシー領北東部の都市では、マーロ・アバネシーがとある一室でずっしりと腰を下ろしていた。
「おい、そこの調度品は倉庫に持っていけ。趣味が悪い」
「かしこまりました」
そんな指示を出している彼は、この都市の館に不満がたっぷりだった。
利便性に乏しい家具ばかりであったり、半端に帝国のデザインを取り入れたせいで洗練されていなかったり……ともかく、商人であるマーロの目にかなうものがなかったのである。
そんな彼のところに、黒い尻尾がやってくる。
「マーロ様! お食事を作りました!」
「俺は今忙しいんだぞ。手を離せると思うのか?」
書類を見ながらマーロが言う。そうすると、ラウハの狐耳がぴょこんと元気に立ち上がった。そして目を輝かせる。
「わかりました。全力でマーロ様がお食事を取られるお手伝いをさせていただきます!」
ラウハが気合いを入れると、マーロがふんと鼻息を鳴らした。
「気をつけろよ、書類に落とすんじゃないぞ」
「はい。お任せください!」
ラウハはぱたぱたと尻尾を振りながら、マーロにあーん、と食べさせていく。マーロはまんざらでもない顔で口を動かしながら、今後の統治のことを考えて書類を眺め、そして少しだけ、戦いが終わったあとの結婚式のことを考えた。
◇
ルーデンス領の主都にクリフは戻ってきていた。
北東部の状況が落ち着いたため、同じ隊の者たちが警備をするとのことで、彼は暇をもらったのである。
それゆえに主都に来たのだが、これといってやることがあるわけでもなかった。
だから、同様に西から戻ってきたディートのところを訪れてみたのだが……。
「ディートくん。お疲れ様」
「そこまで疲れていない。ルーデンス魔導伯と一緒じゃないからな」
「うんうん。ディートくんはすごいね」
「そうか? こんなうまいものを作れるオデットのほうがすごいと思うぞ。剣なんて、戦が終われば無用だからな」
「その戦を終わらせるために、ディートくんの力がいるんだよ。私はあんな前線には行けないから、本当にすごいよ」
「オデットが戦いにいかなくていいのなら、俺の力も捨てたものじゃないな」
そんないちゃつく二人の姿を見せられて、クリフはなにも言えなくなっていた。
最近、彼の身の回りではなにかと女性と親しくしている者たちが多い。ヴィレムは結婚し、ヘイスももうすぐルフィナと式を挙げるだろう。
ディートも時間の問題だ。オデットに押し切られたら、間違いなく適当に返事をするだろう。結婚してと言われたら、「ああ」とか「わかった」とか「そうか」というディートの姿はあっさり想像できる。
隊長の中では、一人残された形になったクリフは、それから街中を歩いてみる。
そうしているうちに、足は自然ととある場所に向かっていた。トゥッカの家である。
妹ミシェリーと一緒に暮らしていたが、今はそこに彼はいない。
ドアをノックすると、ミシェリーが出てきた。
「あ……クリフさん。こんにちは。どうかしたんですか?」
「いや、なにかがあるわけではないが……そうだな。もう少しで聖域が取れる。俺たちの夢が叶うんだと、そう伝えたかったんだ」
クリフが言うと、ミシェリーは目を細めた。トゥッカの死を忘れたわけではない。けれど、それを乗り越えて彼女の今の生活がある。
「クリフさんは、そのあとはなにか予定があるんですか?」
「そのあとか。考えてもいなかったな。ただ夢を叶えようと動いてきたから」
「……じゃあ、帰ってきたとき、それからのことを一緒に考えましょう。ですから、ちゃんと帰ってきてくださいね」
それはミシェリーがクリフに、トゥッカの夢を追うように言ってしまったからからこそ、彼を縛ってしまったからこそ、出てきた言葉だったかもしれない。
けれどクリフはなんとなく、二人でそれからのことを考えるときのことを思うと、安心するのだ。
そんな平和が来ればいいと。
クリフは笑うミシェリーの姿に、平和を見いだした。
◇
ヘイス・シャレットは帝都にいた。
今日はささやかな結婚式が行われる日であった。
帝都の民からすれば田舎であるノールズ王国の、その辺境のルーデンス領の領主のそのまた家臣であり義子であるヘイス・シャレットとの婚姻なのだ。あまり興味を持つ話ではないのだろう。
しかし、北で反乱を起こした諸侯らを次々と蹴散らした快進撃の話に、民は沸きに沸いていた。久しぶりに明るい話題だったからかもしれない。
そこにノールズ王国では、ウィルフレドが率いる者たちが、ペール・ノールズの兵を各地で撃破したという話も入ってきている。そしてその主要人物としてルーデンス魔導伯の噂も流れていた。
そのような状況ゆえに、事情通なんかはこの戦いで活躍したのがヘイス・シャレットであるなどと語るのだ。
そして誰かがわざとそのような噂を流したのか、はたまた民の願望が込められていたのか、彼とルフィナが恋に落ちるまでの逸話は各地で語られることになる。
婦女は勇ましくも美しい姫君の境遇に憧れ、男たちは帝国では伝説じみた存在の竜を駆る騎士に成り上がりを夢見ていた。ヘイスの振る舞いが平民とは思えないほど優雅であったのも一因かもしれない。
そんな彼は今、ルフィナと式を挙げているところだった。
こちらでは神魔教がそこまで広まっていないため、帝国の伝統に則ったものになっている。そして普段は民族衣装を纏っているルフィナも今は綺麗なドレスを着ていた。
ヘイスはそんな彼女を見て、天にも昇る心地であった。
彼女を一目見たときからずっと、この日を待ち望んでいた。けれどあまりに身分は違い、決して叶いはしない夢だということもわかっていた。だが、ルーデンス魔導伯はそれさえも変えてしまう。
いつもは無茶ばかりする彼に困っていたヘイスだが、今はその無茶が愛おしかった。
今は非常時ということで式も簡潔なものだ。本来、こんなときに挙げるものでもない。しかし実際のところは、そこまで大々的に行うこともでない、というのがもっともなところだろう。
ここで本題となるのは婚姻ではなく、ルーデンス魔導伯と協力関係を結んだということなのだから。
式に出席するのは、そのルーデンス魔導伯とマーカス・デュフォーだ。
ヴィレムは一代で成り上がったためルーデンス領の親戚などもいない。かといって礼儀作法のなっていない魔術師隊の者を連れてくるわけにもいかず、クレセンシアと二人で参上しただけだ。
それこそがこの関係を端的に表わしていたと言ってもいい。ルーデンス魔導伯は武力を、そしてマーカスは帝国の歴史の一端を提供することで、協力関係が成り立っているのだから。
けれどヴィレムは別の思惑もあった。
幸せそうなヘイスを見ていると、孤児であった彼がここまでやってきて、ようやく望んだ未来を掴んだのだと感じるのだ。それこそが、ヴィレムが思い描いた理想のひとかけらでもある。
こうした小さな幸せを集めていけば、いつかきっと、夢物語ではない繁栄をもたらすこともできるはず。
そうして式が終わると、二人の時間がやってくる。これからヘイスはまたしても戦いに行かねばならないし、このような甘い時間が長く取れるわけではない。けれど今は。
「ルフィナ様。こうして帝都でお目にかかるのは二度目ですね。あのときは、このような日が来るとは思ってもおりませんでした」
ヘイスが告げるとルフィナが笑う。
「これは飼い慣らせないじゃじゃ馬だ、とお思いでしたか?」
「いいえ。とても素敵で眩しく、それは今も変わっていません。これからの日々が楽しみで仕方ありません」
「私もです」
そうして二人で空を見上げた。
この日もあのときのように晴れ渡った、青々とした空だった。
これにて第十三章はお終いです。
次章から舞台は聖域へと移ります。
構想は練っていたものの、突発的に年の初めに投稿したものなのですが、予定どおり来年には完結まで行けそうです。
当時は異世界転生全盛期で、現地人ものの拙作は埋もれつつあったのですが、ジャンル再編成に伴って盛り返し、また書籍化することもできて、多くの方の目に留まることになり嬉しく思っております。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。




