105 それぞれの思い
玉座に腰掛けている者があった。そして彼の前に跪いている者がいる。
「陛下。ただいま戻りました」
「ご苦労であった。して、状況はどうだ?」
ノールズ王国国王ウィルフレド・ノールズは、忠臣パーシヴァル・グラフトンに尋ねる。
「思っていた以上に悪くはありません。主に北側の諸侯はペールにつき、東側は陛下を支持している模様」
パーシヴァルは「ペール」と呼称した。すでに、第二王子から敵として切り替わっているのだ。
「これはルーデンス魔導伯の影響が大きかったのでしょう。ですが、多くはまだ様子見を決め込んでいる模様。とりわけ南部は、争いから遠い土地ですから。これからの諸侯の動きによって大局が決まることになりましょう」
「そうか。しかし、すでに打てる手は打った。あとは待つしかなかろう。焦れば、土台の不安定さも見透かされよう」
ウィルフレドはそう言うと、座ったままふと息をついた。そんな彼の様子を見て、パーシヴァルは一つ頷いた。
「陛下はご立派になられた。アルベール前王もこの姿を目にすることができれば、たいそうお喜びになられていたことでしょう」
立場が人を作っていくこともある。取り立てていうことのない人物であったウィルフレドは、ここにきて異様なまでの落ち着きを見せていた。少し前まで、第二王子と比較して影が薄かった者とは思えぬほどに。
「そうだといいが、実際はこれだ」
ウィルフレドは手をかざしてみせた。僅かな震えを伴った手を。
「覚悟したつもりであったが、私は甘く見ていたのだろうな。王の座を。民の命を任せられる重みを」
「王とは、選び続ける者でございます。たとえ正解がわからずとも、なにかを選ばねばなりません。そこに迷いを覚えなくなったのであれば、正しさを履き違えた暴君と言わざるを得ません。迷い、それでも進んでいけることを、切に願っております」
「手厳しいな。……パーシヴァルよ。これまで父を助けてくれたこと、感謝する。そして今後は私の治世がよりよきものになるよう、尽力してくれ」
「無論でございます、陛下」
パーシヴァルは深々と頭を下げた。
もはや彼の目の前にいるのは、以前のような幼さが残る人物ではない。一人の王として、諸侯を束ねる存在だ。
その姿に、パーシヴァルは若き日のアルベールを思い出すのだった。
◇
ノールズ王国の西、ヴィルタ領では、慌ただしく民が動いていた。
この諸侯は騒動が伝わると、一、二を争うほど早く立場を表明していたのだ。それゆえに、兵たちはすでに戦いに備えて動いており、糧食なども準備されつつある。
民の中からは、これほど早く決める必要があったのか、状況を見てからでもよかったのではないかという声がないわけではない。
しかし、領主ヴォロト・ヴィルタの答えは決まっている。
「ルーデンス魔導伯と諸侯の十や二十、どちらが局面を動かすかなど、火を見るより明らかだ。我々の出番すらないかもしれぬ」
もちろん、それが一番の理由であるが、少し打算的なことを言えば、戦争で彼の領地は増える可能性があった。
戦争が活躍すれば北の諸侯の土地が得られるだろうし、もしかすると旧イン・エルト共和国――現ノールズ王国の西方領も手にできるかもしれない。それは外敵に対する力を増し、領内を豊かにできるということでもある。
それに、これまでアルベールの治世ではなかなか西国との戦いに踏み切らず、彼は業を煮やしていた過去があったが、現在の王ウィルフレドはなかなかに動きが早く、悪くないと思っている。
ヴォロトはそんな小さな野心を抱き、東に視線を向けた。
◇
その日、クネシュ家はいつになく騒がしかった。
没落貴族とも言われているこの家の屋敷は、外観こそ立派だが、ひとたび中に入ってしまえばまるきり違う印象を受ける。
中の家財は多くが売り飛ばされ、領内の商人のほうがよほどいい暮らしをしているのではないかと思われるほどだ。
かつては歴史ある名家であったが、今はこんな有様。圧政を敷いているわけでもなく、領民たちは暮らしに不自由してはいないが、いつかは過去の栄光を取り戻すのではないかと期待していた。
そして誰よりもその期待を抱いていたのは、クネシュ家が領主である。
彼は一人の青年の前に立っていた。
「ナバーシュよ。よい知らせが届いた」
その息子ナバーシュ・クネシュは、西の戦いでの活躍が認められ、この家に貢献していた。小さなことではあるが、そんな出来事すらもここ最近はなかったのだ。
「父上、よい知らせとは?」
「陛下が直々に、我がクネシュ家の協力を仰いだのだ」
「……それは、どの諸侯にもそうなのではありませんか?」
割と冷めたところがあるナバーシュは、すげなく告げる。しかし、当の領主はどうにも卑屈っぽいところがあるらしい。
「なにを言うか。アルベール王の時代には、私のところに連絡が来たのは、いてもいなくてもどうでもいいという印象がひしひしと感じられる文だったではないか」
「……事実ですからね。資金にも乏しく、たいして援軍も期待できるはずもありません」
「ナバーシュ。これは好機なのだ。この戦で名を上げれば、我々も舐められることもなくなるだろう! ヴァトレン家に負けてなどいられないぞ!」
そう言われてナバーシュは、ヴァトレン家はどちらにつくだろうか、と考えた。できることなら、争いたくはない。
(……いや、決まっているか。アレを相手にするなどという暴挙に出るはずがない)
ナバーシュはそう結論づけると、ゆっくりと頷いた。彼女と戦わねばならないという心配事がなくなったから。
「では、父上。お任せください。寡兵でもなんとかしてみせますよ」
彼はちょっと皮肉を込めて言いながら、一人の人物を思い浮かべる。
そしてどれほど数を集めようと関係なく蹴散らしていく、まるで災害のような戦いっぷりを。
(俺だって、ただ安穏と過ごしてきたわけじゃない)
ナバーシュはぐっと拳を握った。
◇
クネシュ領がすぐ近く、ヴァトレン領においても、騒がしさは同じだった。
なにかといがみ合ってきたこれらの家だが、本質的なところではあまり変わっていないのかもしれない。
その娘マルセリナ・ヴァトレンは庭で剣を振っていた。幾度となく繰り返し、技は冴え渡っていく。
風切り音だけが響く中、靴音が近づいてくる。
「父上、なにかご用ですか?」
そちらを見ることもなく、マルセリナは告げる。かつて彼女は、女性だからそのように生きるよう育てられていた。それに反発して、文官であろうが武官であろうが、政治的な道具として使われるのではなく生きようとしたため、父とは折り合いが悪かった。
学園に初めて行ったときは、ただただ子供の考えなしでそう思っていたのだが、そこでとある少年の力に、すべてを自由にするほどの圧倒的な力に、思わず感じ入ってしまったのだ。
それからは考えも行動もすっかり変わり、こうして剣を振ってきている。
それゆえに自信のあったマルセリナだが、西国に行ってからというもの、魔法の腕に関しては控えめに評価するようになった。かつての天才少年は、とても比べられない化け物になっていたから。
しかし、変わったのは彼女だけではなかった。同時に父もまた、別の道を彼女に提示するようにもなりつつある。それは彼なりに、これまでの人生でマルセリナに押しつけようとしてきたことへの謝罪をしようとしていたのかもしれない。
「マルセリナ。お前はどちらで戦いたい?」
このヴァトレン領から将官として派遣するならば、彼女であろう。
けれど、決定するのはすべて領主である。マルセリナは、そんな父にかわいげもなく告げる。
「父上は、ヴァトレン家が歴史の浅い新参者と舐められるのを嫌がっていたでしょう。新興国ならば、歴史などあってないものだとお考えなのではありませんか?」
仮にペールが建国するのであれば、もうそのような古い過去に囚われることなどない。マルセリナは、父がそうするだろうと考えていたから、ずっと不機嫌だったのだ。
仮にペールの元で戦うとなった場合、どうすればいいのか。
あの化け物に立ち向かっていく? 冗談ではない。それならドラゴンの巣にぶち込まれたほうがまだマシだ。
けれど、父はじっとマルセリナを見る。
「これから出立したお前は、栄光を手にしてこの土地に戻ってくると信じている。だから、お前が選べ。お前が自分の手で掴む未来を」
戦いに関しては、ペールとルーデンス魔導伯の両方を見てきたマルセリナ以上に、状況がわかる者はいない。これまでの経緯を抜きにして、マルセリナに判断を委ねたのは合理的だった。
「では、ルーデンス魔導伯がつくほうで、私も戦いたいと思います」
「……あの男を好いているのか?」
父が尋ねると、マルセリナはきょとんとなった。あまりにも突然な質問だった。
「はい? 私が、ルーデンス魔導伯を?」
「違うのか?」
マルセリナは父に問われて、思わず笑い出してしまった。恋に現を抜かし、そのようなことを言ったのだとすれば、自分で自分を許せない。
「冗談じゃないですよ。あんなのと一緒にいたら、振り回された挙げ句、領内を走り回っているドラゴンに踏み潰されちゃいます」
「だが、そこまであの男を気にかけるとは」
「父上。ペールに着くと宣言した次の日――いえ、民がその事実を知るよりも早く、この領地がすべて焼け野原になっているかもしれないのですよ?」
マルセリナが言うと、父はまさかという顔をした。けれど彼女は「これも冗談ではないですよ」と真剣な顔でつけ足すものだから、そうなのかと頷くしかなかった。
◇
アバネシー領主都の屋敷には、太っちょ貴族と真っ黒尻尾メイドの姿があった。彼らは呼び出され、ここに来ていた。
身分が低い側室の子である彼は、母の死をきっかけに、遠ざけられるようになったことを、今でも忘れてはいない。
けれど、そんな父との関係も今では悪くないものになっている。マーロが気にしなくなったのだ。それには、損得で動く商人魂が大きく影響していた。
かつてアバネシーの名に意味がないと突きつけられた彼が、自分の力を欲した結果だ。
だから政治に関わることはあまり多くはなく、商業関連でしか用事を告げられることもないと思っていたのだが、今日、ここに呼ばれた理由は子供だって考えずともわかる。
「待たせたな。マーロ」
入ってきた父の姿に、マーロは柔らかな対応をする。
「今到着したばかりです」
さすが商人と言うべきか、彼は思い通りの言葉を、ほしいときに口にできる。
「それで、ご用件はなんでしょうか?」
「ヤニクがペールの元についた。ペールは相続権の優先度が低いものに声をかけていたようだ」
「兄上が? では、父上も……」
「いや。歴史あるアバネシー家の名に傷をつけてはならぬ。忠臣としてこのノールズ王国を守ってきたのだ。どうして、自ら伝統を打ち壊すことができようか。お前を呼んだのは、力を借りたいからだ。ルーデンス魔導伯と親しかっただろう。陛下とルーデンス魔導伯は親しく、今後の動向に大きな変化を与える」
要するに、アバネシー領とルーデンス領、王都を結びつける役割を果たせということだ。
渋い顔をするマーロに、隣でラウハが尻尾を振る。
「マーロ様が重要人物になったということなのですね」
「アホ。そんなのは昔からだ。……父上。政治的な理由でこれまで以上になにかをしろというのであれば、お断りします。ルーデンス魔導伯を裏切るような真似はできません」
「それで構わない。ただ、お前が窓口になってくれればいい」
用件を終えると、父は去っていく。
マーロはしばらく、そのまま考えていた。
「今のお話で、考え込むことがあったのです?」
「脳天気なお前じゃあるまいし、誰だって考えるだろ。……しかし、陛下とルーデンス魔導伯か。……これは、金の匂いがしてきたな」
「ま、マーロ様が悪い顔をされています!」
目を丸くするラウハの尻尾を引っつかみ、マーロは意気揚々と自分の都市に戻っていくのだった。
◇
ほかの誰よりも、国王よりも噂されているそのルーデンス魔導伯は、クレセンシアとともにシャレット領に来ていた。
懐かしい屋敷では、父イライアスと兄テレンスも揃っていた。
「父上と争わずに済んで、ほっとしております」
ヴィレムはそう告げる。辺境の土地をずっと守ってきたシャレット領は力があるほうだが、ルーデンス領の噂を一番早くに聞かされている土地としては、敵対するはずもなかった。
「正当な権限があるのは陛下だ。第二王子は西国にいるべき立場だった。いかに土地や富、名声をちらつかせられようとも、欲に動かされ、大局を見誤ることがあってはならない」
「……父上はいつも、ご立派ですね」
ヴィレムはイライアスを見て、そう告げる。テレンスはそんな弟に笑った。
「お、噂の大魔術師に褒められましたぞ、父上」
「これは末代まで語り継がれるべき事態だな」
「父上も兄上も、からかわないでください」
ヴィレムはそんな二人に口を尖らせる。
そんな賑やかな話を少し続けていたが、イライアスが表情を変えた。
「ヴィレム。いよいよ動くのか?」
「はい。すでに陛下にも話はしてあります」
「そうか。……かつてお前がその話をしたときは、実現とまではいかないと思っていたが……こうなると、信じざるを得ないな」
イライアスが言うと、クレセンシアが胸を張った。この上なく得意げな顔をしている。
「なんと言ってもヴィレム様ですから。クレセンシアは初めからずっと信じておりましたよ」
「……このように常に尻を叩いてくる妻がいるものですから、邁進するしかないのですよ」
「ご不満ですか?」
「最高の伴侶だよ」
ヴィレムとクレセンシアがそんな話をしていたが、やがて彼らも動かねばならなくなる。
およそ諸侯の動きもだいたいまとまってきた。となれば、あとは戦の準備をしなければならない。
「詳しい戦況はまた後ほど、連絡しましょう。では、次は聖域で会うことを望みます」
「そうなるといいが……油断はするなよ?」
「ええ。今も私の中には、レムの遺恨が残っています。そのようにはなりませんよ」
ヴィレムは父にレムの話をしていない。だからなんのことか、彼らはイマイチ理解していなかった。だけど、ヴィレムの表情から、なんとなく言いたいことは察した。
彼には業火に焼かれた記憶がある。油断すればいつそうなるか、誰にもわからない。
ずっと、腹の底にわだかまっているそれは、おそらくきっと、聖域を手にするときまで消えることはないのだろう。
しかし、それでいい。そのときまでは、この駆り立てる炎が彼を勝利へと導いてくれるはずだから。
(二度と失敗はしない。俺は――)
ヴィレム・シャレットは聖域を目指す。己が英雄譚をこの世に刻むために。
そうして彼らがペール・ノールズとの戦いを決めた数日後。
帝国でも大きな動きがあった。
動乱は広がり、争いが絶え間なく勃発する。世は戦乱の時代に突入した。
これにて第十二章はおしまいです。
長くなってしまいそうだったので、これで一区切りとしました。
そしていよいよ、次章からは物語も終盤へ。ヴィレムは聖域を目指して動き始めます。
ちょうど40万字を達成したということで、随分書いたなあ、と書き始めの頃が懐かしくなりますね。
今後ともよろしくお願いします。




