103 北の魔術師
ノールズ王国の王都から北へと向かっていったヴィレムは、付近に注意深く視線を向けていた。
風読みの魔術を使えばどこになにがあるのか簡単に把握することができるが、同時に相手にも気づかれてしまう。そのため、目視でなんとかするしかなかった。
しかし、こちらはあまり栄えていないせいか、比較的森林が多い。
というのも、ヴィレムが行ったことがある北寄りの領地――アバネシー領は北東部にあるため聖域に近く、さらに東には山脈を迂回して帝国に接しているため交易も盛んであったが、こちらをずっと北上すると大山脈に突き当たるため、実質的には世界の果てに行き着くのだ。
この山脈の向こうからは聖域の瘴気が漂ってきていると言われており、近づく者もあまりいない。
とはいえ、そこは王都に近いため、王に近しい貴族たちにとっては、すぐに参上できるいい土地ではあったのかもしれない。
そんな領地をずっと北に進んでいく。
おそらく、すでにここの領主とペールは繋がっているだろう。それゆえに、直接話をして侵入するわけにもいかない。
だからヴィレムもクレセンシアも、今は普段の格好と違って、村人同然の姿だった。
「このお姿ではとても、悪名高いルーデンス魔導伯とは誰も思わないでしょうね」
「では、どう見えるかな? ろくでもない少年かい? それとも落ちぶれた傭兵かな?」
「私には、大好きな夫の姿にしか見えませんよ」
クレセンシアは尻尾を振りながら、ヴィレムの腕を取った。
これからヴィレムがどれほど偉くなっても、どれほど落ちぶれたとしても、きっと彼女の目に映る姿は変わらないのだろう。
だからヴィレムも彼女の手を握り、微笑んだ。
必ず、彼女との未来を華々しいものにしてみせると。それこそが、ルーデンス領で待つ者たちのためにもなるはずだから。
すでに事態は動き始めている。
誰よりも早く動いていた帝国の魔術師。そして関わり合いを持つ第二王子。対して、遅れてやってきた、国中の注目が集まるたかが一領主と、アルベールの意志を継ぐ第一王子。
誰が勝利を手にするのか。あるいは、その誰でもない者が動いているのか。
(なんであろうと、俺は乗り越えてみせる)
ヴィレムはクレセンシアと繋いでいないほうの手を、強く握った。
この動乱の状況に相応しくない様子だったが、森が見えてくると二人は表情を引き締める。北の山脈は、こっそり大人数を潜ませておくにはこの上ない場所だ。よほどひねくれた考えでもない限り、そこに魔術師は集まっているだろう。
いよいよ森の中に足を踏み入れると、ヴィレムとクレセンシアは目線だけで合図を出しながら人の気配を探っていく。
広大な土地ゆえに、闇雲に探しても見つかることはないだろう。
しかし、ヴィレムはおおよその見当をつけていた。人が通るということは、それだけ痕跡が残るということだから。魔術師はともかく、馬車で訪れた貴族たちまで、隠密行動に長けている可能性は低い。
とはいえ、たったそれだけの情報で探すのはあまりにも効率が悪かった。
ヴィレムはクレセンシアに視線を向ける。そうすると彼女は首を横に振る。嗅覚や聴覚を当てにしているのだが、なかなかに見つからない。
延々とそんな時間が続き、常人ならば油断してしまうような状況でも、彼らは気を張り続けた。ほんの僅かな気の緩みが、手痛い失敗に、ひいては死にすらも繋がることを知っていたから。
そして日が傾き始めた頃、クレセンシアが狐耳を立てた。人がいる。
ヴィレムは息を呑み、彼女のあとに続く。そうして進んでいくと、魔力の変化が微小ながらも感じられるようになってきた。
(……当たりだ。ここに魔術師がいる)
これまでの情報から察するに、おそらく彼らは魔法ではなく魔術を用いることができる。
たった二人で調べるのは危険ではあるが、大人数になればなるほど気づかれやすくなってしまう。
ヴィレムは意を決して、木々の影からその現場に視線を向けた。
そこにいるのは、多くの魔術師たちだった。その数は百を優に超えるだろう。
彼らが幾何模様を浮かべ、魔術を発動するのを眺めている者たちがいる。
一人は第二王子ペール・ノールズ。それからライマー・セーデルグレン。彼らの近くには貴族たちがいる。どうやら、ちょうど見物している現場だったようだ。
(……なるほど。第二王子たちがいないからこそ、第一王子よりのパーシヴァルのところに案内されたというわけか)
場合によっては、直接ペールと対面することになっていたかもしれない。そう考えると、この上ないタイミングで城を訪れることができていた。
貴族たちは皆、魔術師の力に驚いている。
ヴィレムですら、現世でこれほどの魔術を見ることになるとは思ってもいなかった。
ルーデンス領の魔術師たちは皆、優れているし、クリフなんかは別格であるが、それでも見習い魔術師たちよりもここにいる者たちのほうが技術では優れている。
いかにヴィレムが魔術に長けているとはいえ、あれほどの数を相手にする気にはなれなかった。それでも、いざとなれば逃げるくらいはできるだろう。じっと様子を窺う。
そうしていると、貴族たちとペールが会話している中に、ローブを纏った人物の姿を認めた。それ自体は珍しくもない。だが、そこに見覚えがあるような気がして――
一瞬、その男がこちらを見たように思われたヴィレムは、咄嗟に姿を隠した。
(気づかれたか!?)
慌てるヴィレムだったが、クレセンシアに視線を送ると、彼女は首を横に振った。まだ、大丈夫らしい。
胸を撫で下ろしながら、ヴィレムは再びその場を見ようとした。が、クレセンシアが合図を出したので、すぐさまその場を離れ始める。
魔術が使えない以上、彼女の五感に頼るしかなかった。
どうやら、なにかが囲むように動いているらしい。
クレセンシアがそれらを躱すように動くが、どうしてもぎりぎりのところを動かねばならなくなる。
すると、相手の姿が枝葉の相手から垣間見えた。
そこに存在しているのは、異形の化け物。しかし、かつて聖域で見たものよりも随分と人間に近しい形をしている。
(まさか……この禁術の研究をここで行っていたのか!?)
シャレット領東の山脈に続き、ノールズ王国内での目撃。それは明らかに偶然ではない。
(帝国側の目的は、禁術の研究の場所を得ること。そしてどうやら、帝国内ではできないことから、単独で動いている可能性が高い)
ヴィレムは考え、そして一つの姿を思い出した。
かつて、東の山脈で襲ってきた魔術師。先ほどペールといたのは、あの男だ!
腸が煮えくりかえるような思いをぐっと堪え、ヴィレムはその場を離脱する。ここで見つかるのは得策ではなかったから。
腹の奥底から燃え上がってくる怒りが、身を焦がすほどに激しさを増す。けれどヴィレムは表面上、冷静であることができた。正気を失えば、ますます被害が大きくなることを理解していたから。
やがてヴィレムはクレセンシアとともに、北の山脈から南へと抜け出した。
そこまで来れば、会話を聞かれる可能性もなくなる。
「シア。帝国はこの国で禁術の実験を行っている。そしてペールもそれに加担する気だ。東の山脈にいた魔術師が、それを先導している! なんとか、なんとかしないと……」
「ヴィレム様、落ち着いてください。魔術が衰退したこの時代では禁術を理由に糾弾することは不可能です。そして帝国の魔術師との繋がりも、おそらくは伝わらないでしょう。表立って動けば、反逆者の誹りを受けることになってしまいます」
ヴィレムは歯噛みする。ここまで知っていて、打ち倒すことができないとは。
そんな彼に、クレセンシアは狐耳を立てて続けた。
「先ほど聞こえた会話ですが、貴族たちは禁術のことを知らないようでした。ただ、魔術師のことだけを信じていたようです。つまり、引き返せないところに来てしまうまで、研究のことは明かさないのでしょう」
ペールやライマーがどこまで知っているのかはわからない。
しかし、王国の貴族たちはただそそのかされている可能性が高いということだ。
これからどう動くべきか。ヴィレムは悩んだが、やがて一つの決断を下した。




