プロローグ
喝采の中、一人の男が進んでいく。
濃紫のローブに身を包んだ希代の大魔術師レムであった。
彼はぐるりと辺りを睥睨し、すでに年老いた魔術師から今年なりたての若き新入りまで一瞥をくれると、朗々と宣言した。
「本日をもって、聖域は我らのものとなった!」
偉大なる古代の魔導師が莫大な富を得たという聖域。長年の間、異民族に占領され続けたかの地の奪還は、魔術師たちの悲願であった。それが今、叶ったのだ。
場は興奮に呑まれていた。そこにはそれぞれの思いがあっただろう。だが、レムにとってはどうでもよいことであった。
レムはすぐ隣にいる使い魔の妖狐、クレアに視線をくれる。黄金色の毛並みもすらりとした体躯も、貴族の庭園に相応しいだけの気品が感じられる。
その狐は小さく鳴くだけであったが、二人にはそれで充分だった。偶然、怪我をしている妖狐を治療したことから始まった関係だったが、今となってはかけがえのない相方だ。レムが唯一、心を許していると言ってもいい。
「皆の衆、静粛に」
老いを感じさせつつもよく通る王の声が、魔術師たちの口を閉じさせる。
「魔術師レム。貴殿は聖域の奪還によく働いてくれた」
魔術師としてこの上ない成果だった。レムの人生をかけた挑戦でもあった。
それゆえに告げられる言葉への期待は自然と膨らむ。
かつて聖域を我が物にしたという魔導師になぞらえて、魔導王の称号と地位が与えられるのが妥当なところだとレムは思っていた。周りも納得せざるを得ない成果だと思っていた。
だが――
「その成果はすべて禁術の使用によるものであった! これは我々魔術師としての矜恃を踏み躙るだけでなく、歴史に瑕を作る行為であり、到底許されざる大罪だ! 魔術師レムには死罪を命ずる!」
告げられた言葉は、到底理解できぬものであった。
「なにを……! 私は禁術など使用しておらぬ!」
レムの叫びに耳を傾ける者はいない。
彼は思わず身を乗り出し、そして気付いてしまった。
交友があったはずの魔術師が口の端を上げていることに。若い魔術師が憤慨していることに。王が感情のこもらぬ瞳で見下ろしていることに。そして取るに足りない相手だと侮っていた魔術師アリスターがほくそ笑んでいることに!
レムの胸中に激しい炎が灯った。
それは自身の身を焦がすほどの激情となり、喉元まで込み上げてくる。だが、奴らへと顔を覗かせることもなく、ゆっくりと萎んでいって腹の底で蟠ると、もう出てくることはなかった。
「すでに証拠は上がっている。捕らえよ!」
王の命令により、数多の魔術師が動き出す。そして彼らはローブを翻し、中から取り出した小瓶に入っていた白銀の粉をレムに振りかけた。沈黙の大樹の粉末から取れた、魔術の発動を阻害する薬剤だ。
レムは抗うことはしなかった。あまりに美しく、そして儚い輝きがかけられ、屈強な魔術師によって地に押さえ付けられる。
だが、レムはなにもしなかったわけではない。
(種は蒔いた。あとは実る時を――)
「魔術師レム。なにか最後に言い残すことは」
王が見下ろしていた。隣にアリスターがいた。
レムはどんよりと濁った腹の底にある塊を吐き出そうかと思った。
けれどそれは大魔術師らしくない。魔導王はどのようなときも自信に満ち溢れ、先に進まねばならない。暗い背中にしがみ付いていてはならない。
レムは獰猛なまでの笑みを浮かべる。
「貴様らは思い知らされるだろう、王の座が相応しかったのはこの私であると! 矮小な魔術師には、この偉大なる地に足を踏み入れる資格などなかったのだと!」
「戯言を。火にかけよ!」
魔術師レムと使い魔クレアは処刑用の窯に吊るされる。かつて神話の生き物を焼き殺したという地獄の窯だ。
「すまんなクレア。お前まで巻き込んでしまった」
クレアは今までになく力強く鳴いた。もう全身は縛られ動かない。触れることもかなわないが、その声はなによりレムの心に触れるものだったに違いない。
やがて炎が宿る。
魔術師たちが次々と窯に薬剤を投げ込んでいくと、炎は天を目指して動き始めた。それは限界を知らぬ人の欲望のよう。
轟々と音を立てる業火の中、レムの笑い声が響く。
「私はいま一度戻ってこよう、この地へ! 楽しみにしているがいい!」
言葉尻が炎に消えていく。
聖地を奪還した大魔術師が消えていく。
誰もが言葉を失う中、大魔術師レムの最後の魔術が発動した。




