第3話 アンズ姫
その知らせは伝書鳩が運んできた。
いつものように魔法の修行をしていたアプリコットのもとに、真っ白で神々しい鳩が訪ねてきたのだ。その姿を見てすぐに、アプリコットは気づいた。
ただの鳩ではない。魔法使いの伝書鳩だ。普通の伝書鳩とは違って、主が希望した場所を記憶し、手紙や小荷物を運ぶことが出来る優れた生き物。
アプリコットの家を知る何者かが飛ばしたのだろう。魔法使いが放つとすれば、師匠しか思い当たる人物はいないが、その神々しい鳩の所持していた手紙の紋章を目にした途端、アプリコットは驚きのあまり唖然としてしまった。
アマレット王室の紋章だ。
その意味を理解するまでに少しだけ時間がかかった。
ようやく驚きから立ち直って手紙を開けば、そこには感嘆の声がもれるほど美しい文字でアプリコットへ当てた言葉が書き連ねてあった。
曰く、アクマが動き出したのだと。
アマレット王国の端々がアクマとその配下に攻め込まれている。
各地の有力者は剣や杖を手に戦ったが、アクマの配下は手強く、アクマ自身はもっと強かった。善戦むなしく次々に支配区域は増えていき、いつしかアマレット王国の北側にはくすんだ大地が広がり、段々とアマレット城のある都へとアクマの配下たちが近づいてくるようになったのだ。
このまま指をくわえているわけにはいかない。
アマレット国王は各地域に残る有力者を都に呼び出し、さらに各地に散らばる国民たちの中より勇士を募ることとした。
アクマを倒せる有能な人物を欲しているのだ。
その候補として、アプリコットの元に報せは舞い込んだというわけだ。
魔法の修行はまだ途中。
それでも、アプリコットに迷いはなかった。
王国の危機なのだ。ここで立ち上がらなくてどうするというのだろう。王室からの知らせを受けたのだから、向かわずにはいられない。
アプリコットはさっそく準備を始めた。
家から都までさほど離れはいないといっても、長旅には変わりない。すぐには家には戻れないだろうし、ひょっとすれば長い間戻れなくなるかもしれない。
準備には時間がかかった。
長旅となれば荷物も増える。だが、何でもかんでも持ち歩けるわけではない。どうにかこうにか必要最低限のものを集めてまとめてみれば、辺りはもうすっかり暗くなっていた。
明日の早朝には発たなければならない。
ふと、ケモノの青年の姿が頭をよぎった。
彼はまた訪ねてくるだろうか。
今宵訪ねてこなかったとすれば、もう二度と会えないかもしれない。そう思うと少しだけ寂しくて、少しだけほっとした。
「へえ、都にねえ」
日が沈んでしばらく。
ケモノの青年はあっさり現れた。おかげで、アプリコットは彼にきちんと別れを告げることが出来たのだ。やはり、何も言えずに別れてしまうよりも、こっちの方がよかったかもしれない。内心そう思っていると、ケモノの青年は真っ赤な口を開けて笑った。
「ついに君の願いが一つ叶うんだね。もしも勇士の一人として認められれば、君は恐ろしくたくさんの人の役に立てる。そうなりたいんでしょう?」
もちろん、とアプリコットは頷いた。
そうなるためにこれまで修行してきたのだ。正確に何年修行してきたかもはや覚えていない。そのくらい長い間魔法の修行に打ち込んできたのは、出来るだけ早くたくさんの人のために魔法の力を活かすためだった。
いよいよ自分の力を活かせる時がくると思うと、アプリコットはうずうずした。
「そっか。君はまだ確か十四歳だったね。それにしてはずいぶんとしっかりしているさ。
……ああ、そういえば、アマレット王室のアンズ姫も君と同い年だったっけ。彼女もどうやら君に負けないくらい立派であるそうだよ」
その噂はアプリコットもかねがね聞いている。
美しく、聡明で、まだ十四歳だというのにしっかりとアマレット王国の未来を見据えているのだという噂。アプリコットは若き王女の姿を一目見たいと思っていた。同い年の姫君。ゆくゆくは女王となる彼女のために勇士となるのは夢だった。
「へえ、やっぱり姫君は気になるんだ。そりゃあそうか、未来の女王陛下だもんね。そうだ。せっかくだし旅立ちの前にオレの聞いたアンズ姫の噂について話しておこうか」
思わぬ申し出にアプリコットは身を乗り出した。
客は少なからず訪れるとはいえ、アプリコットの家は人里離れた森の中。アマレット王室どころか近隣の村の噂でさえも貴重なくらいだ。
アンズ姫の噂なんて聞かせてくれる客なんてほとんどいない。
「さすがに食いつきがいいね。いいよ。そうだな。――うん。
アンズ姫はね、不思議なお力を持っているんだ。どうやらお母様にあたる亡きお妃様はアプリコットのように強い魔法を使える一族の出身でね、その血筋がアンズ姫にも受け継がれているらしい。具体的にどういったお力なのかは分からないけれど、きっと君が勇士に選ばれたらそれも分かる日が来るのだろうね」
彼の言うとおりになりますように。
アプリコットは内心願った。
魔法を活かしてアマレット王室のために働くのは夢だった。多くの人の役にも立てるし、アンズ姫をこの目で見れるかもしれないのだから。
そうとなったら明日が楽しみで仕方なかった。
「前向きだなあ。この家と別れるのは寂しくないの?」
アプリコットは一瞬考えた。
この家に来て何年経っただろうか。家族は別の場所にいるし、世話になった師匠も離れた場所で暮らしている。親しい友人や知人なども特に近くには住んでおらず、せいぜい馴染みの客が訪ねてきたくらい。客は所詮、客だ。
ただそれだけのことなのに、ふとアプリコットは疑問を覚えた。
どうしてこんなにも躊躇いなく家を離れられるのだろう。それくらい、都に出る日を夢見ていたということだろうか。
「そっか。寂しくはないんだ。そりゃあいいね。寂しいとしんどいもんなあ」
そう呟いて、ケモノの青年はふと空を見上げた。
「ねえ、突然だけれど、昨日の話の続きを聞いてくれないかい?」
唐突にそう訊ねられ、アプリコットは呆気にとられつつも頷いた。
それ見て、ケモノは安心したように口を開けて笑い、話し始めた。
「実はさ、昨日言っていた親友なんだけど、旅立ったと聞いた後にたまたま再会したことがあるんだ。
用事があって故郷を離れていた時の事だった。子供の時以来まともに喋ってすらいなかったけれど、それでもお互いすぐに分かったんだ。どうやら、喧騒を離れて一人旅をしていたらしい。
懐かしくなって、楽しくなって、せっかくだから二人で一緒に色々なことを話してみた。色んなことがあったせいか子供の頃とはずいぶん変わっちゃって、哲学的なことも言うようになっちゃって、正直言うと彼は少しとっつきにくくなっていた。でも、やっぱり昔、親友だっただけあって、その違和感さえ無視すれば十分楽しく過ごすことが出来たんだ。
用事が済むまでの間、彼はその場所に留まったし、オレは彼と話す日々を楽しんだ。そうだね、ちょうどここ数日の君との雑談ようにね。オレはおしゃべりが好きな魔物なんだよ」
アプリコットの頭の中にケモノの青年とその友人の姿がイメージとして浮かんだ。
幼い頃からの親友というのだからその姿はきっと同じように黒い姿をしているのだろう。二匹の黒いケモノがただ雑談をするだけの光景。長閑なイメージばかりが広がった。
同時に、不思議な感覚に浸った。
自分もまた同じような経験をしたような気がしたのだ。しかし、こればかりは思い当たるものがない。なぜなら、アプリコットは十歳以降はずっと魔法の修行に明け暮れてきたのだ。親友と遊んでいたのはそれよりも前だから、ケモノの語ったような経験をしたことはなかったはずだ。
きっと勘違いだろう。もしかしたら旧友のように親しげにしてくれた客の誰かと共有した感覚が蘇っているだけかもしれない。
「ねえ、アプリコット」
ふと、ケモノの青年がアプリコットを見つめた。
「君も、人としゃべるのは好き?」
非常に答えやすい質問だった。
アプリコットは頷き、そして寂しいという感覚がやっと生まれた。家から離れるのはちっとも寂しくはないけれど、ケモノの青年との雑談が今日で終わるのだと思うと、初めてなんだか切ない気持ちになったのだ。これもきっと人との関わりを自分が恋しがっているせいだろう。そういう面で、アプリコットはごく普通の女の子に過ぎなかった。
そんなアプリコットの様子を見て、ケモノの青年は微笑んだ。
「そっか。よかった。迷惑がられていなくて」
さっぱりとした様子で彼はそう言った。




