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第1話 アプリコット

 アマレット王国が一体いつの時代から存在しているのかは非常に気になるところだが、実は詳しい記録を知る者はあまりいない。

 何千年も昔のことかもしれないし、たった百数年の歴史しかないのかもしれない。

 知られていないのは、王国の者たちが外部に情報を漏らさないためだ。

 それに、そもそも王国に住む民にとって、大事なことは自分たちの生きている今の時代ばかりであり、あまり関心を持つ者がいなかったというのが正しいのかもしれない。

 アマレット王国の今の支配者はアマレット国王だが、ゆくゆくはその王位はアンズ姫へと継承される。

 そう遠くない未来の事であるから、国民の半数――特に若い世代の関心はアンズ姫という人物の人柄であったり、女王としての器や身辺の噂であったりした。


 もちろん、十四歳の少女アプリコットも同じである。

 幸いなことにアンズ姫の噂はおおむね好評で肯定的なものばかりだった。未来の女王なのだから不利になるような噂が流れないのは当たり前なのかもしれないが、それでも国王や姫を陥れようとする者の影は見当たらなかったのは一国民であるアプリコットにとっても安心することだった。

 しかし、最近、不穏な噂が流れだした。

 アマレット国王はもちろん、その後継者であるアンズ姫の命まで狙うアクマと名乗る人物が現れたのだ。

 アクマの姿は定かではないが、アマレット王国のあちらこちらに現れては王国の者たちへの宣戦布告と恐れおののく国民たちに対して自分の味方になるようにとだけ告げて、どこへともなく消えていくらしい。

 まだアクマは目立った動きを見せてはいない。アマレット王国のあちらこちらに現れて不吉な言葉を残していくばかりだ。それでも、その姿から感じ取れる禍々しさは確かなもので、アクマを目撃した国民たちは皆揃って恐怖に震えているらしい。

 アプリコットは心に決めていた。

 アマレット王国にいよいよという時が来たら、立ち上がって国王とアンズ姫のために戦おうと。

 わずか十四歳の少女が戦えるわけがないと誰もが思うかもしれないが、アプリコットにはそれが出来るという自信があった。

 何故なら、アプリコットは優秀な魔法使いなのだから。


 アプリコットが生まれたのはアマレット王国のはずれにある小さな森の中。

 誰にも邪魔されないその場所で森の動物たちと一緒に魔法の修行に明け暮れる日々を送り、いつかは都に出て国のために魔法を活かす仕事をしようと夢見る見習い魔法使いだ。

 今はまだ完璧とは言えないけれど、それでもそこらの魔女なんかよりもはずっと様々な魔法を使えるため、見習いにも関わらず近隣の村からもアプリコットを頼ってくる者は少なくなかった。

 アプリコットも人を助けるのは好きだったものだから、訪れる人たちの願いと向き合い、自分が叶えてあげられる分は進んで協力した。

 そのおかげで、アプリコットの噂は瞬く間に国民たちの間で広がり、近隣の村だけではなくかなり遠方の地域や時には都からもアプリコットを頼ってやってくるものはいたくらいだった。

 アプリコットは彼らの頼みを聞きながら、魔法の修行を積んでいた。

 いつかは生まれ育った森を去り、都で王国のために働くのだと夢見て、常に高みを目指して修行に修行を重ねていた。

 アプリコットは真面目な魔法使いだったのだ。


「君の事はそう聞いているよ、アプリコット」


 太陽の沈んだ頃合い。

 森の中にてアプリコットの家を照らすのはランプの灯りのみ。

 取り囲む木々の向こうは何処までも深い闇に閉ざされていて、闇を見通せる魔術を知らないものが迷い込んだら命さえ危険に曝されてしまうことが一目見ただけでよく分かる。

 そんな世界の端っこをアプリコットは庭の木椅子からぼんやりと眺めていた。

 視線の先にいるのはケモノ。真っ黒な外見で何処に目があるのかも分からない。自分が知らないだけの当り前のケモノなのか、自分と同じような魔法の世界に生きる者の一種なのか、アプリコットにはよく分からなかった。

 なぜなら、相手がごく普通の生き物であったとしても、魔法が使えるアプリコットにとっては喋ることのできる者に変わらないのだから。

 このケモノは何者だろう。

 その疑問も確かだが、アプリコットにとってはもう一つの疑問も無視できなかった。

 どうして彼はここに来たのだろう。


「でも、滑稽なものだね。そう何でもかんでも引き受けちまうなんてさ。オレだったら高額な対価を要求するか、ごく一部の面白そうなことだけに限定して引き受けるな。いくら魔法の修行中だからって、貴重な時間を赤の他人のためだけに躊躇いもなく費やしてしまうなんて、君はとんだ《お人好し》だねぇ」


 青年らしき声だった。

 皮肉だということはアプリコットにも伝わった。

 表情もよく分からず、ただ真っ赤な口をぱくぱくさせて喋っているということしか分からない外見をしているけれど、どうやら彼はなかなかの毒舌持ちであるらしい。

 けれど、アプリコットが気になるのはそんな表面的な部分ではなかった。

 こんな森の中にどう見ても森に生まれ育ったようには見えない種族の青年。アプリコットの家に引き寄せられて話しかけてきたということは、何か目的があるのだろう。

 アプリコットは名も知らぬケモノの青年を見つめ続けた。

 その心が宿しているのは、光か、闇か。


「何だい、怒ったりしないのか。つまらない奴だねえ」


 何も言わないアプリコットに対して、ケモノの青年がため息を吐いた。


「分かっているよ。なんでオレがここに来たのかを知りたいんだろう?」


 ケモノの問いにアプリコットは肯いた。 

 すると、ケモノはけらけら笑った。大口を開けて笑うその姿に、アプリコットがやや怯んでいると、やがてケモノは笑うのをやめて詫びをいれた。


「ごめんごめん。オレがここに来た理由は単純さ。ただ単に遠くの場所にまで名の知れている見習い魔法使いとやらの少女をこの目で見たかっただけさ。ついでに何か一つ面白い魔法でも見せてもらえたら儲けものかなってね」


 少しも悪びれる様子もなく、ケモノの青年はそう言った。

 面白い魔法。アプリコットはふと考え込んだ。面白いと一口にいっても、彼が何をもって面白いと思ってくれるかなんて分からない。そもそも、面白いとは何だろう。


「何でもいいさ。でも、出来れば簡単には真似できないような、一目で凄いって分かる魔法がいいな」


 ケモノの希望を聞いて、アプリコットはふとある一つの魔法を思い浮かべた。

 アプリコットはすぐに空を指さした。直後、指先に光が灯ったかと思えば、花火が打ちあがるように尾を引いて天へと昇っていった。光を迎え入れた途端、星たちが一斉に瞬きだして不可思議な音を鳴らしだす。それは夢の中にいるかのような、非現実的な光景だった。

 ケモノの青年は微かに感嘆の声を漏らした。


「すごい。噂通り……いや、それ以上の力だ」


 けれど、アプリコットは素直に喜べなかった。

 いくら美しい魔法でも、これは全く人の役に立てないもの。ただ美しいだけで、何の意味も持たない魔法なのだ。子供を喜ばせるための御遊びに過ぎない。


「子供どころか大人も感動すると思うけれどなあ」


 ケモノの青年は言った。


「でも君は誰かの役に立ちたいんだね。それで都に行きたいと思っている。そうなのかな?」


 問い詰めるかのようなその口調に、アプリコットはたじろいでしまった。

 これまで初対面の人の願いを快く叶えてきたアプリコットだが、あまり自分に踏み込んでくるような人物には警戒してしまう。そうでなければ生き残れないのだと師匠が言っていたからだ。

 しかし、ケモノの青年は朗らかに笑ってみせる。


「言いたくないのなら、別にいいんだ。でも、気になるなあ。君はいつから此処で修行しているんだい? 家族はいるの? 最初は誰に魔法を教わったんだろう?」


 答えが得られなくとも構わないのだろう。

 ケモノの青年は独り言のように疑問を呟いていく。アプリコットは困惑しながらも、ほんの小声で呟いた。すると、ケモノの青年は首を傾げた。


「師匠? ああ、君に魔法を教えてくれた人か。どんな人なのか教えてくれるかい?」


 その問いはしっかりと拒んだ。

 魔法使いにとって師匠と弟子の関係は内密のもの。軽口で他人に情報を漏らすなんて、魔法使いとしてありえないことなのだ。


「駄目なの? そっか。魔法使いだもんね。じゃあ仕方ないな。他に教えてくれる事とかはあるかい?」


 どうしてこんなにも自分の事を聞きたがるのだろう。

 アプリコットは疑問と不安を同時に抱え、ケモノの青年を見つめた。光の魔法を見ていた時の彼は悪い人のように思えなかったけれど、その真っ黒で何処が目なのかも分からない容姿は、得体の知れなさを十二分に含んでいて、気味悪く思えてしまったのだ。


「何もないのか……」


 残念そうにケモノの青年は言った。


「なあんだ、つまらない。でも、オレの方も提供できるような話題もないし、お互い様か」


 そう言ってケモノの青年は背を向ける。

 どうやらもう帰るつもりらしい。これ以上、質問攻めにされるのは嫌だったので、アプリコットは思わずほっとしてしまった。


「でもさ、ひょっとして君――」


 ふと、歩み出していたケモノの青年が立ち止まる。

 振り返ってアプリコットを見つめているらしい目は、やはり黒い身体に隠れて見えなかった。ただ真っ赤な大口がぱっくりと空いている。放たれたのは、何処までも透き通る猛禽の声にもよく似ていた。


「話せるだけ覚えていないだけだったりして、ね」


 取り留めもないはずの戯言がアプリコットの頭の中で響き渡った。

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