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王都で出版された書籍雑誌のみならず、国外の書物が広く集められた巨大な建物で、入館資格を得る為には一定以上の社会的地位と資産が必須な会員制の本の館。それが王都図書館だそうだ。
会員は年会費別に大きく分けて、入館及び閲覧のみ可、月に数冊貸し出し可、大量に貸し出し可の三パターンに分けられる。マクレガー伯爵家が『レディ・エイプリル』の為に申請するのは無論、たくさん借りられるスペシャル会員証。
見渡す限り本棚が並んでるところだよ、とアーウェルおにーさまが仰っていたので、基本文字を教えてくれたシスターと読み書きを指導してくれたミズ・メイヒューに感謝しつつ、連れて行ってもらえる日を楽しみにするとして。
「それではレディ・エイプリル、参りましょうか」
先方とのスケジュール調整が行われ、ついに、フェリシアおばーさまとの対面の日が訪れてしまった。
ミズ・メイヒューは穏やかに微笑んで「大丈夫ですよ」と促してくるし、おばーさまから日々教育を受けているカレンは「頑張って下さい」と口パクで応援してくる。
失礼がないようにとメイドさん達が一丸となり、細部に渡ってコーディネートに力を注いだ今日のドレスはマクレガー伯爵領特産品の絹生地を使った物で、スカート部分は淡い薄桃色が重ねられ、ところどころに緑色のリボンで飾りが付き、緩く編まれた髪にも同じ緑色に染められた絹のリボンが結ばれていた。
気合いを入れて着替えさせてくれたメイドさん達の姿が、逆におばーさまの気難しさを表しているようで、非常に不安を煽る……
本日の対面はミズ・メイヒューがセッティングしてくれたのだが、あいにくとおとーさまに呼び出されてしまってアーウェルおにーさまの予定が合わず、ミズ・メイヒューとカレンを伴って、おばーさまの住まう離れの建物へと向かう事となった。おばーさまとお会いする時は、おにーさまが盾に……ゲフン。ご一緒して下さる約束だったのに。おとーさまめ気が利かぬ。
純白の壁紙と木材の重厚さを重視した本館とは異なり、離れの内装は柔らかいクリーム色の壁紙に、絨毯の色合いも落ち着いている。飾られた芸術品も穏やかな風景画や彫刻がさり気なく配置されており、住まう主の性別や趣味がそれぞれに反映されると、建物から受ける雰囲気がここまで変化するのかと感心する。本館の美術品はどことなく、厳めしくて来訪者に威圧感を与えるんだよ。薄暗い夜中に甲冑を目撃したりさ……
お土産のお茶菓子を持参し、おばーさまの待つラウンジに案内され、どぎまぎしながら扉の前に立つ。
「レディ・フェリシア、ジンジャーでございます。お孫様のレディ・エイプリルをお連れ致しました」
「どうぞ、お入りになって」
ミズ・メイヒューが扉越しに声を掛けると、とても落ち着いた声音での返答が返ってくる。離れに勤めるメイドさんが扉を開くと、先日、マクレガー伯爵家の家族の肖像画で見た通りの容貌をした厳格な雰囲気の老婦人がラウンジの大きなガラス窓の前に佇んでいた。布の違いなんかよく分からないけれど、多分おばーさまが着ている紺色のドレスも、あたしが今着ているドレスと同じ絹なんじゃないかな。日が差す窓辺に立つと美しい光沢があるのが分かる。
入室前にお辞儀をして、あたしはそっと息を吸い込む。
「ご無沙汰しております、お祖母様。本日はお招き頂きまして、ありがとうございます」
お嬢様らしい姿勢と歩き方、お辞儀と笑顔に関しては、シスターから太鼓判を捺されたあたしだ。にっこり笑顔で声を掛けると、おばーさまは値踏みするようにあたしの頭の天辺から爪先まで鋭い視線を走らせ、それから微笑を浮かべる。
「ごきげんよう、エイプリル。今日は顔色も良さそうで、安心したわ」
どうやらおばーさまは、おとーさまが言いふらしている病弱レディの設定をそのまま採用するようだ。
ひとまず開口一番に『お前など孫ではない』と断じられ追い出される事は無かったが、人目と貴族としての体面を気にしているだけかもしれない。
さあ、こちらへ……とソファーに着席する事を勧められ、おばーさまの正面の席に、ミズ・メイヒューと並んで腰掛ける。メイドさんがお茶を用意してくれて、持参してきたお菓子をカレンがお皿に盛る。
「レディ・フェリシア、こちらのお菓子は私とレディ・エイプリルで一緒に焼いたクッキーですの。是非、召し上がって下さい」
「まあまあ、リトルプリンセスがこのわたくしの為に? なんて嬉しい」
「ふふふ。レディ・エイプリルがお祖母様に何かお作りしたいと仰ったので、私も便乗して参加したのです」
一瞬、『リトルプリンセス』とやらが誰を指しているのか分からなかったが、おばーさまの温かい目線はミズ・メイヒューに向けて固定されている。小さな頃から成長を見守ってきた相手には、いつまでも子ども扱いしてしまう大人は多いので、おばーさまの発言も多分ソレだろう。
それにしても、『わたくしの小さなお姫様』と呼び掛けるには、ミズ・メイヒューは背がすらっと高いよなあ。
あたしも一緒に作ったのですよ、むしろ意外な事に料理や菓子作りが未経験だったミズ・メイヒューをフォローして、大部分の工程を担ったのはあたしですよ。という事実は黙っておくとしよう。なんか、おばーさまは『ミズ・メイヒューの手作り菓子』というポイントで喜んでるっぽいから。
にこにこと嬉しそうに笑うおばーさまと、楽しげに会話を弾ませるミズ・メイヒューを見ていると、これはアーウェルおにーさまの言に納得せざるを得ない。
あれかなあ。若い頃はミズ・メイヒューのお母様の養育に奮闘していたおばーさまは、おとーさまへの愛着が薄くて、アーウェルおにーさまやレディ・エイプリルの事よりも、ミズ・メイヒューの方が身内だと思ってるのかな。
「さて、エイプリル」
「はいお祖母様」
初めて焼いたのにとても美味しいクッキーねとひたすらミズ・メイヒューを褒め、昼間でもわたくしが贈ったドレスを着てくれれば良いのにと残念がり、巷で有名な演奏家を今度招こうと思っているの、リトルプリンセスも是非一緒になどなど、やたらと仲良さそうな会話を繰り広げるおばーさまに、会話に参加する隙が見出せずに苦慮していたが、向こうの方から一旦話を切り上げて、こちらに話を振ってくれた。
「隣のお部屋に、貴女に見せたい物があるの。
わたくしの可愛らしいプリンセス、不作法で申し訳ないのだけれど、少し席を外させて下さいね」
「ええ、どうぞ」
フェリシアおばーさまの怒涛のトークは毎度の事で慣れているのか、にこにこと相槌を打っていたミズ・メイヒューは、ホステスの中座を特に気に障った様子もなく頷いて了承を示す。
こちらへいらっしゃい、と先導するおばーさまの笑顔には非常に嫌な予感がするが、逆らえる雰囲気ではない。カレンは壁際に慎ましく控えているし、ミズ・メイヒューは何の憂いもなく笑みを浮かべている。
おにーさまはこの場に居ない。あたしには今、味方が居ない。
ラウンジに続く廊下側の扉ではなく、隣室に繋がる扉をメイドさんが開き、招き入れられたお部屋。そこは温室になっているようで、ブリズセリュトに来てからは見ていなかったが、南国でよく見掛けた観葉植物が幾つも植えられ、気温もやや汗ばむほどに高い。
「お祖母様、わたくしに見せたい物、とは……」
「レディ・フェリシア、もしくは前マクレガー伯爵夫人と呼びなさい」
クルリとこちらを振り返ったおばーさまは、バサッと扇子を広げて口元にまで持っていき、冷ややかな眼差しであたしを睥睨してくる。つい先ほどまでミズ・メイヒューに向けていた、甘いお婆ちゃんの様子など微塵もなく、目の前に立つのは気品と気位に満ちた、生まれながらの上流貴婦人。
……孫娘の芝居を中断し、雇い主側の貴婦人として『あたし』に何か申し付けたいのだろうか。あたしは泥土でドレスの裾が汚れないよう気をつけながら、丁寧にお辞儀をした。
「畏まりました、レディ・フェリシア」
おばーさまの紺色の扇子がスッと突き出されて、先端があたしの顎をクイッと強引に持ち上げる。
間近でしげしげとあたしの顔を眺め、おばーさまはふんと鼻を鳴らした。
「本当に、ウンザリするほど生き写しだこと。ここまでお前の顔が似通っていなければ、エドガーもこんな馬鹿げた企みを実行に移したりしなかったでしょうに」
どうやらあたしの顔は、おばーさまから見ても本物のレディ・エイプリルの顔と比較して遜色ないほどにそっくりらしい。ここまで色んな人から似てる似てるとお墨付きを貰えれば、顔ではまず身代わりだとバレない、そう自信を持って良さそうだ。
因みに『エドガー』とは、おとーさまのファーストネーム。人からはマクレガー伯爵閣下、あたしとおにーさまはお父様に父上と呼ぶので、多分滅多に名前が呼ばれないお人だ。
「どれほど愚かしくとも、その企みで救われた人間もおります」
他ならぬあたしの事だが。
おばーさまはあたしの顎から扇子を引き抜き、パチン! とやや大きな音を立てて閉じる。灰色味がかった緑色の瞳がすっと細められた。
「忠義を尽くすべき王族を謀る企みが、愚かでなくて何だと言うのです」
「わたくしめに王族の方々の不利益をもたらす手段などなく、よって『謀る』事など不可能でございます」
「マクレガー家のエイプリルを名乗り、ヴィンセント殿下の御前に目通りし、そのまま消えれば良いと? 馬鹿馬鹿しい。
あのエドガーが下準備を調えた見合いという物を、どうやらお前はずいぶん楽観的に捉えているようね」
おばーさまはやや苛立たしげに、扇子を開いたり閉じたりの動作を繰り返し、嘆息を漏らした。
「わたくしも甘く見ていたわ……あの方があのように嬉しそうに、楽しそうな表情を浮かべておいでだなんて。
これまで周囲に群がってきた令嬢達とは、育ちや感性が一線を画すのかしら?」
「……あの方とはどなたの事でしょう?」
……何だろう。今何となく、おばーさまから貶されたっぽい空気を直感した。ところでおばーさま、『あの方』って誰の事ですか? 見合い相手のヴィンセント殿下の事?? そんな意味を込めたあたしの疑問には明確には答えず、
「わたくしからお前に警告出来るのは、今が最初で最後の機会でしょうね。
エドガーの張った網から逃げ出すのならば、もう今しか無いでしょう。貴族社会の歯車に組み込まれたくなければ、すぐにこの館から出て行きなさい」
「それは、つまり……?」
声を荒げるのでも、忌々しげに睨まれるのでもなく。おばーさまはまるで、あたしがおとーさまに骨の髄まで利用されて逃れられなくなる前にとっととトンズラしろ、と忠告しているみたいだった。
にこにこ笑って『君は私の娘だ』と言い出す、何考えてんだかマジで分からんおとーさまが、見合いが終われば自由の身に、ついでに新しい職場も推薦してくれるなどというあたしにとって都合の良すぎる約束を守ってくれる確固たる保証が無いのは確か、なのだが。
「レディ・フェリシア。具体的には、何らかの策を授けて下さるのですか?
身を隠す場所の伝手や道中の移動手段に旅費、信用のおける保護者など、レディ・フェリシアが手配して下さいますか?」
あたしの立て続けの問い、お屋敷から上手く逃げる手助けだけではなく、それ以降の長期に渡っての支援要求に、レディ・フェリシアは厚かましく浅ましいと言いたげに不愉快そうに眉をひそめるが、この辺の確認はこちらの生死に関わるのだからきっちり確かめておかねば。
「安易に『逃げろ』などと言われても、こちらはそう簡単に頷けるはずがありません。
マクレガー伯爵閣下とわたくしは雇用契約を結び、両者合意の上でこの場に居るのです。故意に反故にしてしまえば、様々な内情を知ったわたくしはマクレガー伯爵閣下の手の者に探し出され、口封じをされるのは確実です」
信用出来ないから逃げる、などという手段が取れる段階を、あたしは疾うに通り過ぎてしまっている。具体的には、おとーさまから身代わりの話を持ち掛けられた時に。
あたしに残された道は二つに一つ。演じきるか、出来なければ死ぬ。
「……知らない、という事は、幸福であると同時に、時として致命的なまでに判断を誤らせるものなのね」
「権力を持つ貴族の理不尽さは、わたくしとて存じております。ですが、もう後には退けないのです。
飢えて死ぬ寸前のところを救い上げられたわたくしは、期待された役割に誠意を示すのみでございましょう」
「そう……わたくしはどうやら、ずいぶんと高過ぎる評価をお前に下してしまっていたようね」
おばーさまは至極つまらなさそうに言い、傍らの花壇に咲いていた南国の色鮮やかな紅色の花を無造作に手折り、長い指があたしの髪に甘やかな香りを放つ生花を差し込む。
「愚直で不器用、どんな好機に恵まれようと、それを掴み取り活かす器量も技量も持ち合わせられない。それでいて、無駄に悲観的な方向への達観ばかり。
お前は本当につまらない娘だわ。これが因果というものかしら」
ううむ。身代わりからの脱走そそのかしを拒否ったせいで、おばーさまから『つまらない娘』評価を頂いてしまった。おばーさまはやっぱり、あたしには優しくないですミズ・メイヒュー。
というか、そもそもおばーさまはいったい何がしたいのだろう? 息子であるおとーさまはマクレガー伯爵家の当主で、おばーさまとてその決定に従わなくてはならないはずだ。
あたしが気に食わないので自分チから追い出したいだけなのか、平民の分際で王族と会うなんてとんでもない! という選民思想による私憤?
「レディ・フェリシア。ご意向に沿えず大変申し訳ございません。その上で重ねて厚かましくお頼み致します。
わたくしがマクレガー伯爵家に相応しい令嬢として振る舞えるよう、是非ともご指導頂けたら、と……」
おばーさまが何を望んでいるにせよ、このマクレガー伯爵家の女主人は紛れもなくレディ・フェリシアその人で、疎んじられればメイドさん達からさり気なくそっぽを向かれてしまってもおかしくはないし、女性同士のお付き合いや交流という分野では、おにーさまを頼れまい。
出て行く事は出来ないので、追い出すような真似はしないでくれないだろうかと考えていると、おばーさまはあたしを置いてラウンジに続く扉へ歩を進め。
「わたくしがどんなにお前など必要無いと考えようと、当家の当主は既にあの馬鹿息子ですからね。お前が姫様に誠意を示し続ける限り、わたくしはお前を排除するつもりはありません。
本当に、エドガーがお前の存在を知った時点で動かなかったのが悔やまれるわ。せいぜい、姫様の盾となり目眩ましの道化を演じる事ね」
「レディ・フェリシア」
レディ・フェリシアが、ミズ・メイヒューの事を大切にしている事はこの短い時間でも伝わってきた。そうした態度をおとーさまが許容しているのが何故なのか、は分からないけれど、問題視などされないとおばーさまも踏んでいるからこそ、隠す事もしないのだろう。
おばーさまは扉の向こうで待っているメイドさんに扉を開くよう呼び掛ける。あたしがその後ろ姿を追い掛けて背中に呼ばわると、おばーさまは振り返らずに言う。
「ここからは『お祖母様』よ。どんなに愚かしい茶番だろうと、今後、マクレガー伯爵家の名を貶める真似だけはしないでちょうだい」
「一つ、お聞かせ頂けませんか」
やや声を潜めて演技の再開を指示してくる貴婦人に、あたしも小声で問うた。この疑問はおとーさまとおにーさまが理由をはぐらかす以上、多分、まともに答えてくれる可能性があるのはおばーさまぐらいで、二人きりの今を逃せば尋ねる機会がもう一度訪れるかは分からない。
「何故、本物のレディ・エイプリルをお見合いに出さないのですか?」
顔がそっくりなあたしが本物の代わりに出なくちゃならない明確な理由があるのならば、それをきちんと把握しておかないと身の危険があるかもしれない。保身は大事だ。
おばーさまはあたしの顔を見下ろしもしなかったが、誤魔化したり返答を拒否するでもなく、短く答えてくれた。
「存在しないからよ。この世のどこにもね」
ヒュッと、無意識のうちにあたしの喉が鳴っていた。
メイドさんが開けてくれた扉を潜っておばーさまがミズ・メイヒューに中座の非礼を詫びているようだけれど、さっきの衝撃的なおばーさまの台詞が脳内を駆け巡って、二人が会話している内容が頭に入ってこない。
『本物のレディ・エイプリル』が、既にこの世の人ではない……亡くなっているのであれば、今後本物が戻ってくる事もなく、おとーさまやおにーさまがあたしを永続的にマクレガー伯爵家のレディ・エイプリルとして遇する事に、何の支障も無い。
いつ、どうして何故『本物のレディ・エイプリル』は亡くなったのか。彼女はおとーさまが言いふらしている設定通り、本当に生来病弱であり、何かの事件に巻き込まれて殺害されたのではなく、病死だと言うのならばあたしが気にする必要は無いが……
そうだと仮定するには、クウェンのあんちゃんの何気ない反応が疑問を呼ぶ。
彼が最後に本物に会ったのがいつなのかは知らないが、そうさして久しぶりといった挨拶も無く。ごくごく最近にも、今にも死にそうな体調などではない本物のレディ・エイプリルと、顔を合わせたかのような態度だった。
秋にはすこぶる元気だったが、冬の間に病気を患って亡くなったのか? 金持ちで名医を呼び放題な伯爵家のご令嬢が?
むしろ、元気だったお嬢様が何らかの外的要因で死んだと考える方が……
「……る、レディ・エイプリル?」
ミズ・メイヒューから呼び掛けられて、あたしはハッと我に返った。
「あらごめんなさい、ミズ・メイヒュー。温室が暖かかったものだから、少しぼんやりしてしまったみたい」
「そのお花、レディ・フェリシアから頂いたのですよね。とても可愛らしくてお似合いですよ」
考え込んでいる間にも身体は意識せず動いていたようで、いつの間にかあたしはちゃんとソファーに座り直していて、隣に腰掛けるミズ・メイヒューの顔が間近にあるお陰で、眼鏡のレンズ反射に邪魔されずすっごい嬉しそうな輝く笑顔を目撃する事が叶った。相変わらず美人さんだわ。
自分にばかり柔らかい笑顔と声を掛けるおばーさまに内心気を揉んでいたけれど、祖母と孫娘の仲がそれなりに良好らしいと手応えを感じられて安堵した、ってところかなあ。
「ありがとう、ミズ・メイヒュー。お祖母様、ミズ・メイヒューに似合うお花もお育てしていらっしゃるの?」
「ええ、リトルプリンセスには薔薇園の薔薇を贈らせて下さいね」
おばーさまは、ミズ・メイヒューと植物のお世話を趣味にしている、変わった貴婦人だ。
また一緒にお菓子を作りましょう、とミズ・メイヒューは提案し、おばーさまは微笑ましげに、そうしたらまたわたくしもお茶をご一緒させて下さいねと相槌を打つ。どこか歪ながら、和やかな雰囲気であたしとおばーさまの面会は終わった。
その日の夜。
いつものようにあたしはおとーさまとおにーさまの二人と共に晩餐をとり終え、自室に戻ろうとしていたところで、おとーさまに呼び止められた。
「エイプリル、今日は母上とお会いしたのだろう?」
「はい」
「ふむ……万が一の際はエイプリルの意志を妨害させないよう、今日のところはアーウェルを遠ざけておいたのだが、どうやら不要な配慮だったようだね。
今後もよろしく頼むよ」
何気ない口調でそう言い、すれ違いざまにあたしの肩を軽くポンと叩いてスタスタと執務室に向かって行くおとーさまを、あたしは一拍置いて振り返った。歩き去るその真っ直ぐな背中は、もう必要な話は終わったと言わんばかりでこちらの様子を窺う素振りも無い。
「エイプリル、こんな寒い廊下で立ち竦んだりして、どうかしたの?」
「お兄様……」
ひょい、と顔を覗き込んでくるアーウェルおにーさまの訝しげな表情に、あたしは言葉に詰まった。
「お父様は、いつも何をお考えでいらっしゃるのかしら?」
「さあ? 息子の僕が言うのもなんだけど、父上ほどひねくれている人はそうそう居ないと思うよ」
あたしが掠れた声で呟くと、おにーさまは廊下は冷えるよとあたしを自室へと促しながら、肩を竦めた。