十五話 故郷
遅ればせながら、十五話です(汗。
常々思っていたように、レインの荷物は少なかった。三人きりの侍女が手分けしただけで持ち切れている。侍女はそれぞれ自分の荷物があるにもかかわらず、だ。
「ほほう、堅実な姫君ですな」
顎鬚をなでながら唸るのは、サザール将軍だ。ロベリアの命令で、レインとジクルスの護衛に付くことになっている。その声は感心半分、疑問半分といったところだ。
数か月前まで最前線にいたジクルスにしてみれば、護衛されるのは妙な気分だ。レイン皇女自身にしても暗殺者を返り討ちにした来歴がある。王子と異国の姫を中心とした一団のくせに、戦えないのは侍女たちだけという結構な武道派揃いになっていた。
「まあ、身軽に越したことはないでしょう」
丁寧に答えるジクルスはサザールの隣りに立ち、馬車に積み込まれる荷物を見守っていた。ウォールディア王国内にはケイオス帝国に恨みを持つ者が多く、ケイオスに入ればウォールディア王子は仇だ。気の休まらない旅になるだろう。サザールも戦歴の軍人であるから、そのことは理解している。故の感心だ。
将軍はふと、表情を引き締めてジクルスに向き直った。ジクルスは長身だが、恰幅の良いサザールには威圧感を感じる。
「それよりも殿下、出立にあたり、一つ頼み申し上げたいことが」
“殿下”の呼称に反射し、ジクルスの佇まいが王子のそれに変わる。サザール将軍に比べると随分若いジクルスだが、潜った死線は勝る。それは血筋とも相まって威厳を醸していた。
ジクルスは「続けろ」と指示する。サザールは頷き、跪いた。
「仮に交戦となった場合、殿下は剣をお取りになりませんよう」
ロベリアに裏から手を回されたのかサザールの考えなのかは不明だが、ジクルスはこう言われることを予想していた。
「貴公や貴公の部下を犠牲にしてもか」
「左様に御座います」
答えるサザールは膝を突いたまま、真摯だった。立場上これ以外の返事はできないが、本心から言っているのだと分かる。
王位継承権を破棄したとはいえ、ジクルスは第一王子だ。死ねば国の威信にかかわり、帰還した護衛は無事では済まされない。ジクルスが戦ってはいけないのも、道理なのだ。戦時中、英雄ジクルスが前線に立つことを求められたのと同様に。
王子の返答は決まっている。
「了解した」
そこへ、レインがやってきた。女物にしては動きやすそうな、質素なワンピース姿だ。
「サザール将軍ですね? しばらくの間、よろしくお願いします」
「これはご丁寧に。護衛など活躍する機会がないのに越したことはありませんが、誠心誠意お守りさせて頂きますぞ」
レインが暗殺者を返り討ちにした件は秘匿されているので、サザールは皇女が実は相当戦えることを知らない。淡く微笑むレインに好々爺のような(実際、孫がいる)笑みを返して冗談さえ言った。ジクルスも紳士的な微笑みを作った。
「では、参りましょう。まず目指す所は――」
――*――*――
紅龍部隊は今日も、城下の数人を除いて兵舎の外れで訓練していた。
剣と左手を縛り付けていた布を解き、セルムは木陰に腰を下ろす。休憩時間なのだ。
すると、最近入隊した赤毛の少女が隣に座った。
「ねえセルム、シア副隊長の様子がおかしいと思わない?」
「ラピスもそう思うんだ。僕も気になってた」
歳が近いので、セルムとラピスはそこそこよく話す。自然、隊長がケイオス視察に出発して以来沈みがちな上官の話題になった。
シアは訓練中こそ鮮やかに剣を振うが、剣を手放すと表情が曇り、似合わないため息などをつきだす。隊の指揮を任されたくらいで重圧を感じる人ではないのだが、何故落ち込んでいるのだろうか。
「カック先輩は何か知ってますか?」
ラピスはそのまま近くに立って汗を拭いていたカックを見上げた。セルムにはよく分からないのだが、ラピスはシアとカックの間に何かあると思っているらしい。おそらく“女の勘”というセルムの一生理解できない次元の能力なのだろう。
カックはタオルを顔から離し、苦笑いをした。基本的にふざけているこの男にしては珍しい、含みのある表情だ。
「知っているが、俺からは話せない。シアも話したがらないだろうな」
てっきり「分からない」と返ってくるかと思っていたセルムは意外に思っただけだったが、ラピスは諦めなかった。立ちあがって気の強そうな目つきになり、
「他に知っている人、いますか」
と、セルムがおいおいと思うような質問を繰り出した。しかしカックは苦笑いのままこの場にいない(いても訊けたもんじゃない)人物の名前を挙げた。
「隊長か、サザール将軍なら。……ほら、休憩終わりだ。昼飯までもう一頑張りするぞ」
言うなり、自分の剣を掴むと歩き出した。普段はジクルスかシアに叱られるまで木陰に居座るのに。
「……ラピス、カック先輩も変だね」
「うん」
少年少女は首をかしげあった。
「ねえセルム気付いた? さっきカック先輩、副隊長のこと名前で呼んだんだよ」
「言われてみれば。『姐さん』じゃなかったね」
「やっぱりあの二人、何かあるよ」
「……シア副隊長が心配なの? 色恋を面白がってるの?」
「六対四くらいで前者」
「え」
素直すぎるラピスの答えに、絶句するセルムだった。
その日、夜間の警備担当はシアとラピスだったのだが、待ち合わせ場所に来たのは何故かカックだった。
「何であんたがいるのよ」
私服で物騒な雰囲気を漂わせるシアを、カックはまあまあと宥めた。
「暗くなってから女二人が出歩いてたら変だろ。俺が代わるように頼んだんだよ」
「……そうね。私の手落ちだった」
それからまた、シアは無自覚にため息をついた。
警備のため、いつぞと同じように肩を並べて歩く。しばらくは互いに無言だった。
人気のない裏通りにさしかかったが、放火犯の気配はない。カックは前を見たまま、そっとシアに話しかけた。
「ネーデに――俺達の故郷に、行きたかったな」
シアは立ち止まってカックの顔を見上げた。
ケイオス視察に出発する前、シアとカックはジクルスの執務室で行程を説明された。
『少し遠回りになるが、ネーデ村に立ち寄ろうと思っている。サザール将軍は納得してくださった』
副隊長たるシアだけでなくカックまで呼ばれたのは、二人がネーデ村の出身だからだ。
『……私たちが同行することはできませんか』
珍しく無理を言ったシアの気持ちが分かったのだろう。ジクルスは故意に無表情になって首を横に振った。カックはシアに同調しないよう自分を律するのに必死だった。あと数分長くそこにいたら、膝でもついて頼み込んでいたかもしれない。
ネーデに。十年前に滅んだ故郷に、行かせて欲しいと。
「情けないよね、ラピスやセルムにまで心配かけて」
「仕方ないさ」
「あんただって帰りたいのに」
「まあな」
愚痴をこぼすうちに、シアはこの同郷が気を遣っているという事実に気付いた。意外と細やかな気遣いのできる男なのだ。隊の人間はほとんどが知らないが、シアは知っている。
「……ありがと」
「どういたしまして」
このそっけない励ましに、シアは何度も助けられてきたのだから。
「ネーデに行きたかった」
「俺もだ」
「でも一番辛いのは多分、行ける隊長だよね」
「だろうな」
それからまた会話は途絶え、二人は歩き出した。それぞれが十年前、故郷の最期に思いを馳せながら。