十四話 その手は血に染まり
お久しぶりです(汗。
暗殺騒動から二週間ほど経った。副官の調べでは、侍女に扮した三人はウォールディアの下級貴族だったが、いずれも数年前に戸籍上では死んでいた。それも、川に流されたり海に身を投げたりと遺体を確認できない死を遂げたとされている。彼女らの生家が事件に関わっているのかはまだ分かっていない。
ジクルスは副官の報告を聞きながら、朝食を飲み込んだ。
「御苦労。この先は王妃陛下の領分になるだろう。シアは城下の警備に合流しろ」
「はっ。しかし、ラピスのことはどうされますか?」
ラピスは結局、紅龍部隊に起用された。隊の面々には、「亡き母と生き写しの容貌を持つため、王妃陛下が城に上げた」と苦しい説明をしてある。ジクルスの複雑な立場を察してくれたかのように、隊内から疑問の声は上がらなかったが、エルフォードが隊の様子を見に来る回数が増えた。
「お前と組ませろ。カックとセルムは引き続き二人組だ」
了解したシアは、王族に向ける最上級の礼をして執務室を後にした。普段は上官に対する略式の礼をするが、城内では改めるのだ。
同性の誼か、シアは短い期間で随分ラピスのことを気に入ったらしい。ラピスが訓練を受ける様子もこまめに報告してくる。
ジクルス自身も別の用事があったので、副官を見送った後、上着を羽織って執務室を後にした。
本格的な冬を迎えたため、城を一歩出ると寒い。行き先の後宮と城との間には屋根壁の付いた渡り廊下とてあるが、父王が使うことが多いのでジクルスは非常時以外用いない。
後宮の入口に立つ女衛兵は、当然ながらジクルスを素通りさせた。その様子を見た数人の侍女が色めき立っていたが、顔を向けないようにする。ここで愛想笑いを返してこじれた経験があるのだ。王位継承権を破棄したとはいえ、ジクルスはこれからも要職に就き続けるだろう。エルフォードかマリアが即位した暁にも、大貴族となることは間違いない。そう考えた下級貴族の娘たちがあわよくばと思うのは道理だ。しかし、ジクルスの結婚は政治的駆け引きの内と決まっている以上、倫理にもとる行動はとれない。
そうこう考えるうちに、目的の部屋の前まで来た。後宮の中で王城に最も近く、広い部屋だ。
ジクルスが王妃に呼び出される頻度はさほど高くない。効率重視のロベリアは、伝達事項くらいなら書簡で済ませてしまうのだ。それが、今朝は呼び出された。
「よく来ました、ジクルス。今日は貴方に相談があります」
朝も早いというのにロベリアの身支度は完璧だ。侍女は既に下がらせてしまっている。退出を戸惑った女衛兵も、「あなたたちが束になろうと、ジクルスには敵いません」と身も蓋もないことを言って追い出してしまった。
「王妃陛下の一日が恙なくありますように。して、私に相談とは?」
「ケイオス視察の件です」
終戦時からケイオス帝国各地にはウォールディア軍を駐屯させて治安維持に当たらせているが、王侯が直接訪れたことはない。一年ほど経つこの頃、ジクルスもしくは師団長クラスの人間が直接視察に訪れる話が持ち上がっているのだ。
ロベリアは椅子に腰かけて上品な所作で紅茶を口に含んだ。勧められたジクルスも、作法を守りつつそれに習う。
「昨晩、陛下が貴方を遣わすとお決めになりました。規模は抑え、学者を五人派遣するに留めます。サザール将軍の隊を護衛に付けなさい。出立は明後日とします」
「私の部下はいかがしましょう」
「引き続き城下の警備に当たらせなさい」
直属の戦闘部隊を持っているのに、他人の護衛を受けるとは奇妙な話だ。サザール将軍には何度か会ったことがあり、有能な人物であることは分かっているのだが、将軍自身がそうであるように隊には貴族が多い。実力重視の隊を率いている身としては不安がある。
ただし、ロベリアがここまで述べてきたことは相談ではなく決定事項だ。命令と言い換えても良い。ジクルスはいくらかの不満を飲み込んで了承した。
「相談はここからです。ジクルス、ケイオス視察にレイン姫を連れていくべきだと考えますか?」
暗殺騒動以来も、ジクルスはロベリアの指示で時折レインの元を訪れていた。最初から影のある人ではあったが、ここのところの沈み様は並々ではない。ただ励ますことだけを考えるなら故郷の土を踏ませることは有効かもしれない。
しかし、それはレインが普通の皇女だった場合だ。
ジクルスは周囲に人の気配がないことを注意深く確認した。
「申し上げます。レイン姫と此度の暗殺者との因果関係については不明ですが、私はレイン姫自身が何らかの思惟の元この王宮に送られたのではないかと考えております」
先を続けろと目で示された。
「まず、彼女の手です。あれは並大抵でない剣術の訓練を積んでいることを物語っています。具体的には、私の副官である女性と同程度、あるいはそれ以上です。腕は細いながらも、動作を観察するに、見た目以上の腕力があります。
次に、以前庭園を案内した折、彼女は鈴蘭を求めました。毒があることを指摘すると手を放しましたが、不自然さは拭えません。
そして、三人の暗殺者を返り討ちにした件もあります。背に一人を庇いながら素手で三人を相手取り、傷一つ負わなかった。エルフォードの証言から推察するに、彼女の武術は宮廷で習うようなものではなく、敵を殺すためのものです」
そこまで言って言葉を切ると、ロベリアは瞑目してしばし考え込んだ。
「つまり貴方は、レイン姫が暗殺者であるとでも言いたいのですか?」
「はい。全く考えのない話ではありますが、ケイオス皇太子であれば打ちかねない手です」
ケイオス帝は長く病床に伏せており、帝国の実権を暗愚な皇太子が握っているのは有名な話だ。ジクルスの隊が人数の遥かに上回るケイオス軍の部隊を破ったことがあるのは、その隊を指揮していたのが皇太子エストレイジアだったせいが大きい。
「では、行かせましょう」
即答とまではいかないが、それに近い速さの切り返しだった。流石のジクルスも意表を突かれたが、すぐにその決断の合理性を悟った。
「承知致しました。レイン姫を視察に同行させ、然るべき対処をいたします」
レインが刺客であるなら、アラン王やエルフォード、マリアなど王族の傍からは離した方が良い。ジクルスは最も殺される可能性が低く、万一殺されたとしても問題が少ないのだ。王宮の外であれば、ジクルスがレインを始末することもできる。
ロベリアにとて情はあるが、国王に次ぐ為政者として妥当な判断を下したのだ。
(レインが暗殺者であるなら、俺は何だ。戦争が終わろうと剣を振るい続ける俺は)
息苦しさに似た、重苦しい感覚がした。ジクルスには馴染み深い感覚だ。王位継承権のあるなしにかかわらず、ジクルスに流れる血が、逃れることを許さない。
脳裏にレインの物憂げな横顔が浮かんだ。
――*――*――
「な逝きそ。汝無き世に如何なる甲斐かあらむ」
「しばしの別れに侍り。願はくは良き人ぞ得て、長く世に在り賜へ。我、幾度の生を受けど、背子をぞ想はめ」
「何故だ、レイン。何故俺を庇った」
東の邑を治め、西国との同盟が成立し、いよいよ帝政が本格的になろうとする矢先の出来事だった。
“広大なる山脈”へ狩りに出かけたラクシオを、数人の賊が襲った。無論、護衛は連れていた。オリカをはじめとした精鋭だ。ラクシオ自身も剣を抜いた。
勝てない戦いではなかった。賊は、日頃は鍬や鋤を握り、身なりの良い人間を見かけたときだけ追剥となるような一団だったのだ。ところが乱戦の最中、ラクシオを狙った矢を、レインがその身に受けた。彼女の白い衣は瞬く間に血に染まり、レインは地に伏した。
「……貴方が今まで私を守ってくれたのと、同じ理由よ」
掠れた声で返事をし、レインは弱く咳き込んだ。
彼女の見る間に青ざめていく頬に手を添え、ラクシオは激情を飲み込んだ。
賊は一人残さず切り捨ててしまっていた。
「レイン死ぬな。お前のいない世界に、何の値打ちがあるというのだ」
たった一本の矢だ。鏃に石が使われるような粗末な矢に、ラクシオの最愛の妻の命が奪われるなど、耐え難い。
次第に冷たくなるその痩身を温めようと、ラクシオはレインを強く抱きしめた。
浅い呼吸が、矢の当たり所の悪さを物語っている。
「ラクシオ私ね、戦う力を持たないことを、ずっと悔しく思ってたわ。それさえあれば、いつも貴方の隣にいられたのに。だから次は、貴方の背を守れるような人生を歩みたい」
「次だなど……! お前はいつだって俺を支えてくれたじゃないか、それで充分だ!」
しかし戦士たるラクシオは、何度も仲間の死を見送ってきたのだ。妻がもう長くないことなど、理性では分かっていた。
レインはそっと微笑んだ。医術にも通じる彼女は、己の死を悟ったのだ。
「少しの間のお別れです。どうか良い後妻を娶って、長生きをして。私は何度生まれ変わっても、貴方のことを愛しているからね」
ラクシオが皇帝でも英雄でもなく、レインが邑長の一人娘に過ぎなかった幼い日と、同じ微笑みだった。それからレインは目を閉じ、ラクシオの腕の中で息をするのをやめた。
慟哭を抑えられなかった。
ラクシオ帝、レインが骸を抱きて泣けり。その衣、御髪、深紅に染まれり。
神の愛し子の乙女、あはれ広大なる山脈の麓に斃れけり。
本文中の古文は、高校生の知識で書いたものですので、誤り等ございましたら教えていただけると幸いです。