十三話 紅
この話を投稿する前に、十話が飛んでいたことに気付きました。番号を詰めましたが、内容に変化はありません。ご迷惑をおかけしました。
暗殺者に襲われた皇女を気遣うという名目の下、その日予定されていた国王夫妻との会食は中止された。
事件現場が後宮という王族以外の男の立ち居が禁止されている場所ゆえ、後始末と詳しい調査はジクルスの隊に回された。
ジクルスは副官の手を借りながら暗殺者の死体を調べた。連れてこられたのは女であるシアだけだったので、居合わせたエルフォードも手伝っている。
「しっかし、この暗殺者たちは、相当な訓練を積んでいる。本当にレイン姫が仕留めたのか?」
生かしておいた最後の一人も結局、服毒自殺を遂げた。
「ああ、全員だ。剣を嗜むとは聞いていたが、あれほどの腕とは……しかも、奪ったナイフでだ」
腕を組むエルフォードも唸る。それから小さく、「シア以上かもしれない」と付け加えた。これにはジクルスも驚く。なにせシアは部隊においてジクルスに次ぐ剣の使い手だ。元々精鋭をそろえた部隊であるから、ウォールディア全軍を見ても屈指だろう。
エルフォード自身は大して剣に覚えがあるわけではないので、シア以上と評するレインのそれは、シアよりずば抜けて優れているのだ。
「隊長、言いづらいのですが……」
「黙っておけ。どこに耳があるか分からない」
「はっ」
シアの言わんとしていることは分かる。ジクルスはレインの到着時から疑っていたことだ。エルフォードも普段の軽薄な行動からはおおよそ想像のつかない気難しい表情だ。
「……まあ、考えても仕方がない。とりあえずはこの者たちの素性を探ろう。シア、暗殺者の素性を洗え。城下の班は残りの人員で組み直す」
ジクルス自身は後宮を歩くと碌なことがない(侍女に秋波を送られたりする)ので、ここは副官に任せて引き続き司令塔だ。安全な場所から命令だけするのはジクルスの性に合わないが、効率を考えると致し方ない。
城下町の放火騒ぎも解決しないままであるのに、ジクルスの仕事は溜まる一方だった。そして、終わる見込みのないそれらがもう一つ増えたのは、その次の日のことだった。
書類仕事の息抜きがてら城下町を視察しようと城門を出たところで、ジクルスは一人の少女に袖を引かれた。
「あの、……エルという十五歳くらいの男の子を知りませんか?」
ツインテールの赤毛、意志の強そうな金色の目――自分が女だったらこんな風になったのではないかと思うような少女が、おっかなびっくりジクルスを見上げていた。
眩暈がした。
「すみません、普通分からないですよね……」
少女は語尾を小さくして、しゅんとなった。
「あ、いや、分かるが……」
「分かるんですか!」
今度ははっきりと、金色の目を輝かせた。感情の起伏が激しい娘だ。
おそらく、エルフォードに会うためだけにここまで来て、けれどどうすればいいのか分からなくて城から出てきたジクルスに一か八か声をかけたのだろう。賢くも、エルフォード王子ではなくエル少年を探すことにしたらしい。両者が同一人物であることは、副官がばらしたはずだ。
ジクルスが取り乱したのは一瞬で、軍人らしい自制心が紳士的な表情を作る。
「お嬢さん、君の名はラピスだね?」
「は、はい!」
元気に返事をして、小さく「貴方様のことは存じ上げませんが……」と付け加えた。
それはそうだ。弟を迎えに行ったとき、少女の位置からはジクルスは逆光だった。
「とりあえず、エルの知り合いだと思っていて。エルにはちょっと会わせられないけれど、代わりに用件を聞こう」
すると、今度は目の輝きを引っ込めて、気まずそうな表情になる。
「えぇ、その、仕事の斡旋というか、紹介というか……」
「『仕事が欲しい。住み込みだと尚良し』ってところかな?」
「あつかましいですよね……」
とりあえず、あまり大勢の目に晒してはいけない。ラピスに可哀想だが顔を隠すように指示をして、ジクルスは彼女を執務室に招いた。
――*――*――
路肩に止められた小さな荷馬車に、雇い主だった夫妻は少ない荷物を積み込む。それを手伝ったラピスは不意に、身重の婦人に手を引かれた。
「ラピス、ごめんなさいね。店さえ無事だったらあなたを雇い続けるのに」
熱くなった目の奥を誤魔化すために、ラピスは首を左右に振った。赤いツインテールがふるふると揺れた。
「いいんですよ、ハンナさん。私は気楽な身の上ですから。それよりも、元気な赤ちゃんを産んでくださいね」
放火で失った店の主人夫婦は、遠くの親類の元に身を寄せるらしい。ラピスは解雇されることになったが、彼らは「一緒に来るか?」とさえ聞いてくれた。流石にそこまで甘えては悪いと辞退したが、短期間働いただけの素性の知れぬ娘にここまで親切にしてくれることに、胸が熱くなった。
きっともう、会うことはないだろう。
妻を馬車の中へ誘い、主人はラピスの頭に手を置いた。
「少ないが、今日までの報酬だ。小分けにしてあるから、鞄に少し、ポケットに少しとばらばらの場所に持ちなさい。物取りにあったときに一つを置いて逃げられるように」
「有難うございます。どうかお元気で……」
姪っ子にでもそうするようにラピスの頭をくしゃくしゃと撫で、労働期間を考えるとやや多い貨幣の袋をラピスの腕に押し付けた。
「え、こんなになんて申し訳ないです!」
「いいから取って置きなさい。私と妻は大丈夫だから」
我慢の限界だった。養母と決別するときには気配すら見せなかった涙が、ラピスの頬を伝った。
こんな両親が欲しかった。親戚でもいい。ずっと一緒にいられる肩書きがあったらよかったのに。
「あらあら、かわいい顔が台無しよ」
馬車から降りてきたハンナが、エプロンの裾でそっと涙を拭ってくれた。
夫妻はラピスの身の上について何も聞かなかったし、それに甘えてラピスも何も話さなかった。けれど別れる今、彼らに知って欲しいと思った。話さないと、ラピスがどれだけ感謝しているか伝わらないと思った。
嗚咽の混ざった声で、それでも顔だけ笑って言った。
「だってあたし、実の親に捨てられた子供なんです。養父母には疎まれて育ちました。こんなに優しくしてもらったことないんです。だから……」
ハンナは黙って、ラピスを強く抱きしめてくれた。お腹の赤ちゃんは大丈夫かとラピスが不安になるほど、強く。
温かかった。
――*――*――
気丈な子だ、と感心した。身の上話をする間、一度として自分を哀れむことも、同情を引こうとすることもしなかった。ジクルスの亡き母と生き写しの少女はしかし、イベリア王妃より遥かに逞しく成長したらしい。
母上、貴女の娘は強く育ちました。戦争も終わりました。それでもこの子に出自を教えることを、貴女はお許しにならないのでしょうか。
執務室の扉がノックされ、同時に凛とした声が「ロベリアです」と名乗る。ラピスを連れ込むと同時に侍女に預けた走り書きを、受け取ったようだ。
「どうぞお入りください」
ジクルスはほっとしたが、ラピスは青ざめて「王妃様!?」と小声で悲鳴を上げた。
ロベリアは相変わらず威厳の漂う佇まいで、その威厳を目の当たりにしたラピスは反射的に平伏してしまった。王妃は一応膝をついたジクルスに頷き、ラピスに立ち上がるよう言った。刹那、ジクルスやエルフォードに時折、マリアにはもう少し頻繁に見せる、慈愛に満ちた微笑がロベリアの美貌を彩った。ラピスは先ほどまでの緊張を忘れて、率直に見蕩れている。
「他人の空似は間々あることです。今知らせるには、時が早すぎます」
ジクルスに向き直った表情は為政者のそれで、その言葉の意味をジクルスは正確に読み取れる。ラピスの身の上は隠されるのだ。
「御意、王妃陛下。しかしこの娘は完全に寄辺をなくしたようです」
その返答はロベリアも予測していたようだった。
「後宮の侍女……素質次第では、貴方の隊でもよいでしょう」
素質とは、言うまでもなく体力や戦闘の才覚だ。ジクルスと両親を同じくする妹である以上あってもおかしくない。そしてケイオス皇女レインのこともあり、現在は後宮よりもジクルスの部隊のほうが安全だろう。
「ラピス、体力に自信はあるか?」
花咲く年頃の娘に尋ねるのは気が引けるが、本人の希望次第だ。ジクルスは女性の副官を言い訳にして聞いた。すると、ラピスは元気に即答した。
「はい、同じ年頃の男の子にも負けません」
「マジか」
思わず市井の言葉で低く呟いたジクルスに、ロベリアが噴出しかけた。ラピスは仕事を得る機会を逃すまいと畳み掛けた。
「根性だってあります。きっと兵士となってもお役に立てます」
金色の目がきらきらしている。
ああこの子、俺の妹だ。ジクルスは決して口に出せない感想を、残念ながら抱いた。
「決まりね。ジクルス、正式に名乗りなさい」
可笑しそうに念を押すロベリアも、ジクルスと同じことを思ったのだろう。剣術に魅せられた、幼い日のジクルスを。
一方ラピスは嫌な予感がしたらしく、「え、ジクルスって……」などと呟いている。
溜息を一つ噛み殺し、ジクスルはラピスに名を明かした。
「御意。では改めて、我が名はジクルス。元は第一王子だが、現在は一兵隊を指揮している。後ほど適性を確認させてもらうが、その結果次第では君の上官になる」
「第一王子殿下!? じゃあ、あたし、じゃない、私が試験を受ける隊って……!」
こういうときに、隊に名前をつけなかったことを後悔する。ジクルスが言葉を選んでいると、ロベリアが楽しそうに口を挟んだ。
「巷では“紅龍部隊”と呼ばれているわ」
ラピスのただでさえ大きな眼が、更に大きく見開かれた。
(エルフォードにどう説明しようか)
弟に「関わるな」と言いつけてしまった手前、ジクルスは頭を抱えることになった。