九話 放火
ウォールディア城下の市場にはすっかり活気が戻り、露天商も増え始めた。まもなく日も暮れる時間柄、あちらこちらで店仕舞いこそ行われているが、反対に酒場などの明かりは灯り始めていた。
売り文句や馬車の往来する音が鳴り響く中、三人の男女が道の端で集まっている。
「しっかし、隊長も大変なこった。宰相代理が終わったと思ったら、ケイオスの姫さんを誑かさなきゃならんとは」
頭を掻きながら言う男は、職人風の服装で、これといって目立った特長はない。
「確かにね……。軍人としても使えるだけ使われて、王族の役目も果たせなんて、同情するわ」
女性は商人の娘が少し粧し込んだような格好をしていて、物憂げに顔を伏せた。台詞は中々物騒だが、傍からは若さゆえの憂鬱にしか見えない。中々の女優だ。
「……シア副隊長、カック先輩、街中でそんなこと言って良いんですか?」
こちらはまだ幼さの残る少年だ。連れ二人の暴言にびくびくしている。
答えたのは女性で、口の端を歪める妖しい含み笑いを見せ、
「セルム、貴方が黙ってれば大丈夫よ」
と言った。
「死んでも言いません!」
「……シア姐さん、あんまりセルムを苛めんなよ……」
カックは頭を抱えるのだった。
紅龍部隊は現在、城下町の治安維持に借り出されていた。
ウォールディア城下町は平素、憲兵が巡回しているのだが、ここ数日はそれだけでは足りなくなった。ケイオス皇女が入国して以来、放火が続出しているのだ。憲兵の目を掻い潜って行われる犯行を防ぐため、使い勝手の良い……もとい、柔軟性の高い紅龍部隊は私服で城下に配置されている。
シアたち三人の任務は明日の朝までだ。ジクルスは部隊を半分に分けて一日交代とし、三人一組で巡察させている。本人も参加すると申し出ていたのだが、シアが止めた。
(隊長は目立つからね……あの無自覚イケメンめ。何のための私服警備だと思ってるのよ)
基本的に有能すぎる上官だが、自分の容姿を計算に入れることだけはできないらしい。新副隊長の特権を行使して止めなければ、本当に街に出てきただろう。
シアが思い出し苛立ちをしているのを敏感に察知したセルムは、しっかり話題を逸らすことにした。
「副隊長、もうすぐ人気がなくなりますよ。いつまでも話し込んでいては怪しまれませんか?」
「グッジョブ、セルム……あ、いや、なんでもないって。それより、俺と姐さんはともかく、いい加減セルムは目立つぞ」
下手な同調をしたカックは脛を蹴飛ばしておき(変な悲鳴が聞こえた)、シアはセルムに頷いた。
「そうね……。セルム、今日のところは家に帰りなさい。後は私たちがやっておくわ」
「え、いいんですか?」
「ええ。たまには家族のところに行ってあげなさい。引継ぎも顔出さなくて良いから」
シアが副隊長に選ばれた理由は、剣の腕前だけではない。気配りの細やかさと、任侠味のある優しさを、ジクルスに買われたのだ。
日が暮れた。
「……で、なんでこうなるんっすか」
「歩幅を小さくしなさい。腕を肩に回して」
シアがセルムを帰した理由は、幼くして一人息子を出兵させた家庭への気遣いだけではなく、警備の都合でもある。
警備に割り振られた区域は、夜になると恋人たちが逢瀬する場所になる。子供がいると悪目立ちするのだ。
「いや姐さん、俺も一応は健全な成人男子でしてねぇ。非武装の姐さんに引っ付かれるってのは……」
「不愉快だろうけど、任務だと思って耐えなさい」
シアとカックも周りに合わせてデート中の振りをしているのだが、カックの言いたいこととシアの叱責は若干ずれている。
「いや姐さん、むしろ愉快ですけどねぇ……」
普段シアには、投げ飛ばされたり打ち据えられたり刃物を突きつけられたりすることしかないのだ。スカートをはいて薄化粧までしている同輩の姿に、戸惑ったりもする。
(姐さんは俺のこと何とも思ってねえもんなぁ……)
シアは女性にしては大柄だが、それでも辛うじてカックのほうが長身だ。それにこうして密着していると、シアの体形までよく分かってしまい、なんだか申し訳ない。
人口密度が高くなってきたので、演技のレベルを上げる。シアとは共に戦場を生き抜いてきた仲だ。慣れないこととはいえ、連携はたやすい。
「なあシア、人気のない所に行かないか?」
「いいわよ。貴方がシアって呼んでくれるなんて、久しぶりね」
無論、放火魔が現れそうな方に行くのだ。下心はそんなにない。シアの台詞にしても、率直な感想を艶っぽく述べたまでだ。
シアとカックは入隊前からの知り合いで、昔は互いに呼捨てだった。
――*――*――
大通りからは少し奥まったところにあるその酒場は、今日も賑わいを見せていた。
「ラピス、これを入り口横に頼む」
「はい!」
経営者の婦人が臨月に入ったため、現在は主人と住み込みで働く少女の二人だけが店に出ていた。まだ働き始めて一週間ほどしか経っていないにもかかわらず、少女の給仕振りは中々様になっている。
ラピスが店特製の炙り肉を運んだ先には、馴染んだ少年の顔。
「エル、今日も来てたんだ……」
「客に呆れ顔する女給とか初めて見たんだけど」
ニヤニヤ笑いながら軽口を返されたので、大げさに肩をすくめてやった。
「毎晩カードに興じるお金は、どこから出てるんだかね。自分で稼いでるようにも見えないし」
「毎晩勝てばいいのさ。……なんだその目は、イカサマはしてないぞ」
「どうだか」
疑ってるのか? 当然でしょ、といった応酬をしつつ、ラピスは仕事に戻った。エルのカード仲間はまだ来ていないらしい。
初日こそ酒気に当てられたが、もう酒の臭いで気分が悪くなることはない。ラピスは椅子や客の足を器用によけながらカウンターに戻った。
すると、なにやら焦げっぽい臭いがラピスの鼻を突いた。
「マスター、野菜焦がしました?」
厨房に向かって大声で聞くと、客の数人が笑い出した。マスターは妻ほど料理が上手くない。たまにこんな失敗もするのだ。
「何言ってるんだい。今日は焦げてないよ」
手を拭きながらカウンターまで出てきて、マスターは眉をひそめる。ラピスが雇い主を笑い者にするつもりだったとは思い難かったのだ。
「え、でも何かが焼ける臭いがしますよ?」
きょとんとしたラピスの言葉の後、ラピスとマスターと、炙り肉に噛り付くエルの脳裏に同じ事が浮かんだ。
最近、放火が多い。
そして間合い良く、店の中に煙が充満しだした。
「火事だ! 皆、外に!」
最初に我に返ったエルの声に、客は次々と従いだした。最初は入り口に人が殺到したのだが、エルが再び「女と老人が先だ!」と言うと、不思議と混乱も収まった。
(エルの言葉って、妙な迫力があるのね)
ラピスはその光景をぼんやりと見守っていたのだが、
「女の子は先。速く行って」
「ラピス、来い!」
マスターとエルにせかされて、入り口に向かった。
店の外を歩いていた男女は、騒ぎを聞きつけ、煙の立ち上る酒場まで走った。
阿吽の呼吸で二手に別れ、それぞれが反対向きに店の周囲を回る。しかし、火をつけたと思しき人間の姿は無く、二人は店の入り口手前で再開した。
入り口は風上になっていたので、そこには今しがた出てきたと思われる人々が溜まっていた。まだ店内に残っている人はいるようだが、押し合いをすることもなく一人ずつ出て来ている。
「カック、憲兵に連絡を」
「了解。姐さん、これを」
手渡したのは一本のナイフだった。服装的に武装のできないシアの分を、カックが隠し持っていたのだ。たとえ放火魔に出くわしたとしても、シアはナイフで応戦できるだろう。
カックが走り去る気配を感じつつ、シアは店の扉に目を戻した。すると、店主らしきエプロン姿の中年男性の後に、一人の少年が続くところだった。
黒髪に瞳は深緑、細身――なんだか大変、見覚えがある。
(あの馬鹿王子、こんな所に居たんかい!)
おそらく客の退避が落ち着いていたのはエルフォード王子の活躍によるものだとは思うが、手放しで褒めてやる訳には行かない。
シアはスカート姿にあるまじき歩幅でエルフォードにつかつかと詰め寄る。その傍には赤毛の少女がいたが、気にせずにエルフォードの襟首を引っ掴んで路地の奥に引きずり込んだ。
エルフォードは抵抗したが、シアは職業軍人である。こんなか細い若造に逃げられはしない。
付いてきた赤毛の少女以外の人影がなくなったところで、シアはエルフォードの頭をポカリと殴った。
「痛ってぇ! くそ、兄貴の副官に捕まるなんて……」
「捕まるようなことをするほうが悪いのです。また勝手に抜け出して、カードでもやっていたんでしょう。第二王子の自覚も無く」
「あ、ラピスもいるのにばらしやがったな!」
「身分を隠して逢引でもしてたんですか? 隊長が聞いたらなんておっしゃるか……」
「兄貴は関係ないだろ!」
独り、ラピスは混乱するのだった。
(第二王子?)