表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼蜻蜓(オニヤンマ)の羽ばたく空:パグと歩む異形の黙示録  作者: 水前寺鯉太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/6

第6話

研究室の最深部。巨大な霧散装置から、白く冷たい薬剤の霧が、静寂を切り裂いて噴き出した。

 それは「ガイア・フェロモン」を中和する、人類最後の切り札。

 窓の外、研究所を取り囲んでいたサバクトビバッタの軍勢が、一斉に方向を失い、地上へと墜落していくのが見えた。彼らは瞬時に本来の小さなサイズへと縮み、ただの「虫」へと戻っていく。

 街を覆っていた緑の霧が、夕暮れの赤に染まりながら、ゆっくりと霧散していった。

「……戻った、のか?」

 みゆきが自分の手を見つめる。

 八本の蜘蛛の脚は消え、人間の腕が二本。だが、その肌は以前よりも硬質で、指先には岩をも砕く力が宿ったままだ。

 綾もまた、背中の白い翅が砂のように崩れ落ちた。しかし、彼女が紡いだ「鋼鉄の絹糸」は消えることなく、その手元に光るリボンとして残っていた。

 そして、蓮。

 背中を焼くような熱さが引き、二対の透明な翅が、音もなく消失した。

 複眼は消え、視界は元の「狭い」人間のものに戻る。だが、体内に満ちる重機のような怪力と、動体視力だけは、彼の肉体に深く刻み込まれていた。

「……おい、蓮。俺はどうだ。イケメンに戻ったか?」

 胸元のハーネスから、聞き慣れた、しかし「低すぎる」声がした。

 蓮は、ゆっくりと視線を落とした。

 そこには、以前と変わらぬ――いや、より一層しわくちゃになった顔で、首を傾げる一匹のパグがいた。

「……タカシ。お前、そのままだな」

「はあ!? なんでだよ! お前らは人間に寄ったのに、なんで俺だけ100%パグなんだよ!」

 パグがジタバタと短い脚を振る。その姿に、みゆきが堪えきれずに吹き出し、綾が優しく微笑んだ。

「でも、喋れるし。……それに、その顔の方が、タカシさんらしいですよ」

「綾ちゃん、それフォローになってねえから!」

 蓮は、ハーネスからタカシを解放し、自分の肩に乗せた。

 翅を失った背中は、驚くほど軽い。だが、地に足をつけた足取りは、かつてのどの瞬間よりも力強かった。

 研究所を出ると、世界は静まり返っていた。

 巨大な蜘蛛の巣も、ビルを回遊するスズメバチも消えた。残されたのは、ボロボロに破壊された街の骸と、そこかしこで立ち上がり、空を見上げる人々。

「……これから、どうする?」

 みゆきが、拾い上げた硬球を弄びながら聞いた。

「とりあえず、腹が減ったな。特大のドッグフードを探さなきゃいけない奴もいるし」

 蓮が肩のタカシを小突くと、「俺は高級なササミがいい!」とパグが吠える。

 復興には、気が遠くなるほどの時間がかかるだろう。

 自分たちの身体も、完全に元通りにはならなかった。蓮の怪力、みゆきの投力、綾の糸。そして、知性を持った最強のパグ。

 この「異形」の力は、これからの過酷な世界を生き抜くための、呪いであり、贈り物だ。

「……行こうぜ。家まで、歩いて帰るんだ」

 蓮は、残った怪力で仲間たちの荷物――そして綾が編み上げた「思い出のリボン」を軽々と担ぎ上げた。

 夕日が、四人の影を長く伸ばす。

 空を飛ぶことはもうできない。

 けれど、彼らには、共に地を歩む仲間がいる。

 蝉の声が、再び聞こえ始めた。

 それは断末魔ではなく、新しい季節の始まりを告げる、騒がしい生命の歌だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ