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鬼蜻蜓(オニヤンマ)の羽ばたく空:パグと歩む異形の黙示録  作者: 水前寺鯉太郎


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第3話

空が、塗り潰された。

 バイオ研究所「ガイア・フロント」を目前にして、蓮の複眼が異常なアラートを発した。北から迫る黒い雲――それは気象現象ではなく、数億の翅音を響かせる、飢えたサバクトビバッタの超巨大群だった。

「……冗談だろ。あんなの、まともに相手にできるかよ!」

 蓮の胸元で、タカシが震える声で叫ぶ。

 バッタの一匹一匹が、小型犬ほどのサイズに変異している。彼らは通過する場所のあらゆる有機物を食い尽くし、ただ「増殖」と「移動」を繰り返す生きた災害だ。

「逃げ場はないよ。……あの中を突っ切るしかない」

 みゆきが、高架橋の支柱に指先を食い込ませ、低い姿勢を取る。彼女の傍らで、綾は無言で自分の指から糸を引き出していた。その顔は青白く、だが瞳には決死の覚悟が宿っている。

「蓮さん、私の背中に隠れて……。道、作りますから」

 綾が両手を広げた。

 彼女の指先から放たれた数千、数万の「鋼鉄の絹糸」が、空中で複雑に交差する。手芸部部長としての意地。彼女は飛来するバッタの群れを、空中に展開した巨大な**「多層クモの巣状の防壁」**で受け止めた。

 バシバシッ! と、肉が千切れる音が連続する。

 防壁に絡まり、自重で圧死していくバッタたち。だが、敵の数は無限だ。

「今だ! 蓮、行けッ!」

 タカシが叫ぶ。

 蓮は四枚の翅を臨界点まで回した。キィィィィン、と鼓膜を劈く高周波音が、自身の咆哮と重なる。

「うおおおおおッ!」

 鉄パイプを突き出し、綾が切り開いた「針の穴」のような隙間へ、蓮は弾丸となって飛び込んだ。

 視界を埋め尽くすバッタの脚、翅、顎。

 複眼が処理しきれないほどの情報量が脳を焼く。

(殺せ。喰え。邪魔なものは、すべて粉砕しろ――)

 脳の奥底で、人間ではない「何か」が囁き始める。

 蓮の動きが変わった。直線的な飛行から、不規則で暴力的な、予測不能の軌道へ。

 激突するバッタを、鉄パイプを振るうまでもなく、剥き出しの大顎で噛み砕き、引き千切る。

「……蓮!? おい、蓮! 落ち着け、スピードが出すぎだ!」

 タカシの声が遠く感じる。

 蓮の意識は、加速する世界の中心で、純粋な「暴力の渦」と化していた。

 その時、横から凄まじい衝撃音が響いた。

 ドシュッ! ドシュッ!

 蓮の進路を塞ごうとしたバッタの頭部が、次々と粉砕されていく。

 高架橋を並走するみゆきの「投石」だ。

「ぼさっとしないでエース! ストライクゾーンはあたしが作る!」

 みゆきの声が、蓮の「人間としての耳」を辛うじて繋ぎ止める。

 ついに、バッタの雲を突き抜けた。

 目の前に現れたのは、強化ガラスとコンクリートで固められた、要塞のような研究所の入り口だ。

 蓮は着地の減速もままならず、鉄パイプの先端を地面に突き立てて、アスファルトを削りながら強引に停止した。

 背後の空では、未だにバッタの群れが渦巻いているが、なぜか彼らは研究所の敷地内には踏み込んでこない。

「……助かった、のか?」

 タカシがハーネスの中で荒い息を吐く。

 蓮は、自分の口元にべっとりと付着した、緑色のバッタの体液を拭った。

 手が、震えている。

 恐怖からではない。……まだ「獲物」を食い足りないという、形容しがたい飢餓感が、体の芯で燻っていた。

「……中に入るぞ」

 蓮の声は、自分でも驚くほど低く、野性的だった。

 研究所の奥、冷たい暗闇の向こうから、さらなる「捕食者」の気配が、蓮の触角を震わせていた。

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