遺された「無」
令和の空は、救いようのない色をしていた。
東京都下、再開発の計画からも見捨てられた街の片隅。
湿った土と錆びた鉄の匂いが立ち込める築五十年のアパートが、
五代無一郎の唯一の居場所だった。
数日前、ここで父・誠一が死んだ。
狭い六畳間の畳に突っ伏したまま、
心臓を抑えて力尽きていたという。享年五十八。
そのあまりに早い死は、過労と、何より「絶望」に
よって身体が内側から蝕まれた結果だった。
無一郎は、父の遺骨が入った安っぽい骨壺を抱え、
薄暗い部屋に一人座っていた。
「五代無一郎」 父がつけた自分の名前を、無一郎は憎んできた。
「無」——持たざる者。奪われ続ける者。何者にもなれない者。
父はなぜ、これほどまでに残酷な名を自分に与えたのか。
五代家という、百五十年続く「負け犬」の系譜を、
その名前で終わらせろという意味だったのか。
「……何が正義だ。何が日本のためだ、父さん」
部屋に散らばるのは、金融機関からの最終通告、
未払いの税金の催促状、そして父が最期まで書き殴っていた、
国家の不正を告発する「届くはずのない手紙」の山だ。
父は、バブル崩壊後の総量規制、
そして外資による日本資産の収奪を止めようと、
銀行員として内部から声を上げた。
その結果、背任の罪を着せられ、職場を追われ、社会的に抹殺された。
無一郎の視線は、父が死の間際まで
握りしめていたスマートフォンに向けられた。
液晶はクモの巣状に割れ、もはやガラクタにしか見えないその端末が、
不気味な熱を帯びているように感じられた__。




