第13.5話後編「雪と理性」
きっと……奏なら、受け入れてくれる気がする。
でも……明日、オレに笑顔を向けてくれないかもしれない。
「ふぅーーーー……」
そう思ったら、少しだけ冷静になれた。
「わり……ガッツき過ぎた。……今日はここまで。な?」
そっと腕を回して、背中から抱きしめる。
奏の髪に顔を埋めると、ふわっと甘い匂いがした。
さっきまでお風呂に入ってたのに、もうこんなに……オレの匂いに染まってる。
「……寝ろ」
囁くように言って、首元に唇を近づける。
かすかに、くすぐったそうに肩が震えた。
「……ひゃっ……」
「……動くなって。危ねぇんだから」
冗談でも、嘘でもなく。ほんとにヤバい。
ちょっとでも動かれたら、理性なんか一瞬で崩れる。
「……怒ってるの?」
「怒ってねぇよ。ただ……これ以上は、マジでオレ死ぬってだけ」
「だって……その……」
あー……さすがに、少しは気づいてるか……
「なあ、オマエさ……」
指を絡めるように手を繋いだり、互いの指の形を確かめるようになぞり合ったり。
もう、それだけで……さっき止めてよかったって思える。
「こんなに甘えてきといて、全部“責任取れません”は、反則だって……」
「……だって、セナ君が……全部、優しいから……」
振り向かずにそんなこと言うなよ。
背中越しにこっちの顔が見えないのをいいことに……
手のひらが触れてるところから、どんどん熱が伝わってくる。
オレの心臓、バレるんじゃねぇかってくらい、ドクドク鳴ってる。
「……指、あったかいね」
「指だけじゃねーよ。全部、オレ今……熱暴走しかけてっから」
そう返したら奏がくすっと笑って。
自分から指をぎゅっと握ってきて、ほっとしたように息をついて目を閉じて……力を抜いたのが、わかった。
「……おやすみ」
その一言がもう少し続けたい気持ちにそっと蓋をしてくれた。
腕の中の奏がゆっくりと深く呼吸をし始める。
心臓の音が、重なった気がした。
数分も経たないうちに、小さな寝息が聞こえてくる。
「……もう、寝た?」
小さくうなずいたように見えたあと、奏は何も言わず、そのままオレの胸に顔をうずめた。
「……マジか。どんな肝の据わり方してんだよ……」
抱きしめたまま、毛布をゆっくりかけてやる。
奏が小さく寝返りを打った。
もう、逃げないでいい。
今夜だけは、この腕の中にいてくれ。
奏の手は、まだオレの手をぎゅっと握ったまま。
離したら、何かがほどけてしまいそうで……
オレも、手を離せなかった。
「……バカ。どんだけオレの理性いじめりゃ気が済むんだよ……」
くしゃっと前髪を撫でながら、頬に触れ、ピアスのラインをなぞる。
笑いそうになるのを、ぐっとこらえて。
オレはその寝顔を、ただ黙って眺めていた。
長いまつ毛。ほんのり赤い頬。
オレの服の袖が長すぎて、手がちょっとだけ覗いてる。
触れたい。けど、起こしたくない。
だから、ただ、眺めるだけ。
「……ほんと、やばいくらい好きなんだけどな。……バレたら、引くかもな」
誰にも聞こえないように。
誰にも見せない顔で……
オレは、その寝顔に、もう一度だけキスをした。
「奏……わり。オレ、朝から仕事なんだ」
聞こえてるのか……?
オレのほうに身じろぎしてるけど……
「外、まだ雪がすごいから。いつ帰ってもいいし……なんなら、帰らないでいてもいいから」
淡い期待を残して、そっと言葉をかける。
「いってくんな」
……後ろ髪を引かれるって、こういうことを言うんだろうな。
本当にこのまま“行ってしまっていいのか”ってくらい、未練がましく玄関のドアを見つめてた。
スタッフが迎えに来てくれた車の中。
雪はまだ、止んでない。
大きな交差点に出るまでの道も、タイヤが何度か滑った。
助手席にはスタッフ、後部座席にオレひとり。
何でもない顔して外を眺めてるけど、気を抜くとニヤけて表情筋が死ぬのがわかる。
「……離さないで……」
って、奏。オレに言ってたよな……?
あれって、そういうことだよな。
つまり……オレの彼女になったってこと、だよな?
……え、マジで!?クリスマスだぞ!?
サンタさん、今年やたら本気出してない???
「お疲れさまですー」
愛想笑いしてるフリだけど、脳内ではずっと『あの寝顔、破壊力どうなってんの』がループしてる。
てか、オレ……
なんでキスだけで何十分もかけてんの?????????
……え、ちょっと待てよ。
抱いたわけでもなく
脱がせたわけでもなく
朝まで、ただ抱きしめてただけ
なのに、オレ……
なんか、人生でいちばん疲れてる気がする。
あれ……??
オレ……昨日のオレ……
超がんばってたくない???????????????
……てか言わせて。
奏、マジで罪すぎるだろ。
オレの部屋着に、うなじに、ゆるい袖に、あの目線。
完全にR18超えてる体感なんですけど???
モザイク必要だったんじゃない???大丈夫???
なのに、寝顔は天使。声はあったけぇし、手はめちゃくちゃ柔らかい。
え、オレ、あんなの我慢したの???
ほんとに???????
「やっべ、オレなんでもできるわ」とか言っといて、結局なにもしてねぇって、どういうこと!?!?!?!?!??!
……いや、そろそろ誰か褒めてくれよ。
せめてツバキあたりに言ったら拍手してくれるやつじゃね???
てか、レオにバレたら絶対バカにされる。
ってか……あいつ、確認してねーけど、絶対奏のこと好きだろ……
「え、なにしてんの?結局手ぇ出してないの? じゃあ俺がもらっていい?奏ちゃん」
とか言うに決まってんだろ……あいつ……
やめろやめろ。
あいつが本気出したら勝てる気がしない。マジ怖い。
マジでそういう冗談、今は刺さるからほんとにやめて。
「外、まだ雪がすごいから……」
って、我ながらあのセリフ、めっちゃ予防線張ってて笑えてくる。
もしかしたら、まだ残ってるかもしれないし。
誰にも見られずに帰れる時間を選んで、もういないかもしれない。
何かひと言メッセージでも来てたらいいな。とスマホを見るけど、通知はなし。
いや、でも、そりゃそうだよな。
あんな夜だったし。下手に気遣ったら、逆に変かもしれないし。
でもさ……
もし、帰ってたら?
あのまま、“何もなかった顔”で終わっちゃってたら?
考えれば考えるほど、仕事どころじゃない。
楽屋に着いても、メイク中ずっとスマホばっか見てるオレに、シンが「なんかあった?彼女と?」って茶化してきたけど……
「違ぇし」
って即答した声、やけに必死だった。
収録が終わって、車に乗って。
ようやく自宅マンションのエントランスが見えてきたとき……
心臓が跳ねた。
まだ、いるかな。
ドア、開けたら「おかえり」って……言ってくれるかな。
期待してんのか、オレ。
いや、違う。期待っていうか、確認したいだけ。
カードキーをかざして、部屋のドアを開ける。
……やっぱ、もう帰ってるか。
靴もなかったら、そう思って玄関に目をやった瞬間……
小さなブーツ。
壁ぎわに、きちんと揃えて置いてある。
一瞬、息が止まった。
マジか……
いるじゃん……
部屋の奥から、カチャッ……と、小さな食器の音がした。
思わず、コートのままリビングに歩き出す。
背中が見える。
ダイニングに立つ、小さな背中。
「お、おかえり……!」
精一杯、自然な声を出そうとしたけど、顔を見た瞬間、胸の奥がぎゅっとなった。
「ただいま。……お前、まだいたんだ?」
「うん……もう少しだけいてもいいかなって」
「雪、まだ残ってるもんな……」
鎖骨の辺りに昨晩付けてしまった痕が見え、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。
でも、そんなことしたら、絶対に今日も離せなくなる。
「……そろそろ帰るね」
帰るなよ。
そう言えたら、どんだけ楽なんだろう。
「送れたらいんだけど……」
「大丈夫。タクシー呼んだから」
「そっか。せめてエレベーターまで」
1分1秒でも長く一緒にいたい。
エレベーターなんて、来なきゃいいのに。
思わず、エレベーターに乗り込んだ奏を壁に追い込んで……
唇を奪う。
昨日と変わらない、甘い唇。
エレベーターが閉じる気配を感じて、奏から離れ、そっと降りる。
「セナ君……」
「……またな」
閉まる扉を、未練がましく見送る日が来るなんて。
部屋に戻ると……
いつもと同じはずの部屋が、やけに広く感じて、無意識に奏の痕跡を探す。
ソファ……ベッド……着ていたスウェット……
昨晩の奏が鮮明に思い出される。
マズイマスイ……今はマジでマズイ。
ジェラピケの写真なんて開いたら、2回で終わらん気がする。
家に帰したことは間違いではないと本気で思っている。
けど……
ほんの少しだけ後悔しながら、思わずスマホに伸ばした手をもう止められなかった。
ダメだ……ってわかっているのに……
【更新予定】
『スターライトパレード』第5巻
9月29日(月)よりスタート予定!
揺れ動く奏を応援してください。